2-2 新たな依頼者

 約束の時間から30分ほど遅れて依頼人はやってきた。

 前回の依頼人しか探偵事務所に訪れるような人を知らない渉は、今回も前回同様、暗い空気を纏った人物がやってくるものだと思っていた。が、そんな渉の予想は扉が開いた瞬間に打ち砕かれる。


「わぁ、すごぉい! 思ってたより全然オシャレ!」


 ピンクと白を基調とし、フリルがたっぷりついたワンピースを纏った女性が開口一番甲高い声を上げる。遅れてきたことへの謝罪の言葉も、申し訳ないと思っている素振りも一切ない。


 物珍しいものでも見るかのように、女性は事務所内をキョロキョロと見回す。

 かなり小柄なのか、かなり分厚い厚底靴を履いているが、目線の高さは渉の肩にも及ばない。

 すると突然、女性が視界から消えた。下を見ると、「えぇ、何これ可愛い!」と奇声に似た声を出している。

 足元にはバクが眠っているカゴが置かれている。いつものように看板バクの役割を担っていたのだが、大きな声に驚き、事務所の奥へと逃げていってしまった。


「あぁ、行っちゃったぁ……恥ずかしがり屋さんなのかな?」


 事務所のど真ん中に置かれたソファに座るよう伝えるが、そこにたどり着くまで一時たりとも口を閉じることはなかった。本当に悪夢で困っているのだろうかと疑問を抱く。


「こんにちは。ようこそ、『悪夢専門探偵事務所』へ」

「お二人とも探偵さんなんですかぁ?」

「いえ、探偵は僕で、彼は僕の助手です」


 名刺を渡しつつ、渉の紹介も併せて行う。渉はそれに従って軽い会釈だけした。


「それでは早速お話を伺っても?」

「悪夢ですよねぇ。えーと、実はですね、ここ最近ずっと誰かに追いかけられる夢を見るんですぅ」

「追いかけられる夢、ですか。誰かというと、顔は見ていないんですね?」

「見てないですぅ。誰かいることは確かなんですけどぉ、振り返っても姿は見えなくてぇ。でも追いかけられているのは確かなんです! 夢の中で走ったりもしてるんですけどぉ、あたしが走ったらその人も走ってきてぇ……それに夢だけじゃなくて、リアルでも誰かにつけられているように思うんですよぉ」

「リアル……現実でも追いかけられているということですか? それはいつもですか?」

「毎日ってわけじゃないんですけどぉ」

「時間帯は? 夜ですか?」

「そぉですねぇ。仕事的に帰りが遅くなることが多くてぇ」


 現実世界のストーカーはの管轄外では? と渉は思うが、六夏は気にせず話を続ける。


「お仕事は何を?」

「バーで働いてますぅ」

「警察に相談は?」

「行きましたぁ。でも、実質的な被害がないうちは動けないって言われてぇ」


 口調のせいかもしれないが、緊迫感を感じない。最初にも思ったことだが、本当に困っているのだろうかと首を傾げたくなる。実際、渉は首を傾げていた。気づかれない程度に微細なものではあったが。


「あ、でもでも防犯グッズはいつも持ち歩いてますよぉ」


 鞄の中から取り出したのは、防犯ブザーをはじめ、撃退用と思しきグッズの数々だった。


「それは感心ですね。しかし、あなたのような虫も潰せそうにない人が、人間相手にそのようなものを使えるのでしょうか? あぁ、いえ、脅しているというわけではなく、心配しているんですよ」

 依頼人はおかしそうに笑った。「大丈夫ですよぉ。こう見えて子どもの頃は虫採り好きでしたしぃ。虫かごいっぱいに虫を採ってたりもしてたんですよぉ」

「へぇ、意外ですね。それでその虫はそのあと飼ったりしていたんですか?」

「飼ってたっていうか、放置してたら干からびてたんですよねぇ。暑かったんですかねぇ」


 女性は笑っていた。六夏も合わせるように笑う。

 なぜ話が虫の方に逸れたのか理解できないまま、六夏はあっという間に依頼を引き受ける旨を伝えていた。やはり何を基準にしているのかわからない。


 帰り際に六夏は最後の質問を投げかけた。


「おおよそでいいので就寝時間を教えてください。こちらは悪夢専門探偵事務所ですので、就寝時間は重要な情報のひとつなのですよ」

「帰りが遅いので、大体3時から4時くらいにベッドに入って、起きるのは8時とか9時、遅い時は11時くらいまで寝てますかねぇ」

「では、調査の間、できるだけ同じ就寝時間を守ってください。4時から8時までは眠ると、ここでお約束いただけますか?」

「えー、できるだけ頑張ってみますけどぉ」

「よろしくお願いしますね」


 依頼人が帰ったあと、渉からも六夏からもため息が漏れた。


「何か、強烈な人でしたね。あぁいうのが可愛いと言うのかなぁ」

「おや、ピョン吉くんはあぁいった子が好みなのかい? 僕というものがありながら」


 何を言っているのかさっぱりわからない。

 泣き真似をする六夏を無視して片付けを始めた。


「僕からすると、サイコパスのそれと変わらないように思うけどね」


 六夏のつぶやいた声は、渉には聞こえなかった。

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