case 2 : 追われる夢
2-1 改めての提案
「暇ですね」
さほど汚れていない事務所の掃除をしながら、
渉がここ『悪夢専門探偵事務所』を訪れてから、最初の依頼人が来て以来、他に依頼人らしい依頼人が来たことはなかった。
「そりゃあ、そんな頻繁に依頼なんて来ないよ。ピョン吉くんは今までに何回あった? 探偵事務所に行こうと思ったこと」
「……ない、ですね」
「でしょう? それにうちは『悪夢専門』だからね。より限定されるというわけさ」
なるほど、と納得する。納得はできるが、ならば尚更そんなことでどうやって生計を立てているのかはいまだに謎だった。
何より不思議なことは、
ほんの少し、あの時の依頼だけを手伝えば終わり、くらいにしか考えていなかった渉に、前回の依頼が解決したあと、六夏は渉に封筒を手渡した。何かと思って中を見ると、そこには札束が入っていた。振ると少しばかり小銭が入っていることもわかる。
そんなつもりはなかった渉は、すぐさま封筒を六夏に突き返したが、受け取ってはもらえなかった。自分は最初からそのつもりで手伝いを依頼していたのだと。だから気にする必要はないとのことだった。
さらに六夏は正式に事務所で働かないかと提案した。もちろん給与は出すし、今までどおり住み込みで働いてほしいと。
迷いはしたが、結局渉は六夏の提案に頷いていた。どうせ行く当てもない。
六夏が探偵を務める探偵事務所は、案件を受けている間は他の依頼を受けない。依頼人は前もってアポイントメントを取ってもらうことがほとんどだが、飛び入りでも話は聞くそうだ。ただ、この探偵事務所に迷い込んで来ることはほとんどないだろうことは渉にも想像がつく。
何せこの立地だ。市街地から離れ、大通り沿いを2本も3本も入り込んだ上、さらに坂道を登らなければならない。車が入れるスペースの道路は途中で消失する。
観光地として有名な場所は近くにはあるが、近くと言っても寄り道をするような場所ではなく、お店らしいお店もないため、長いことこの地で暮らしていた渉でさえもこの辺りに来たのは片手で数えられる程度だ。
足を運び、探偵事務所の存在に気づいたからといって、「ちょっと寄ってみようか」という人がいるとも思えない。
『悪夢専門』を謳ってはいるが、まれに普通の探偵事務所と勘違いして訪れる人もいるという。その場合、少し話を聞いたあと、馴染みのある同業者のところを紹介する。一連の流れは手慣れたものなのか、非常にスムーズだった。
依頼を受けるかどうかは六夏が判断する。案件を受けていないときでも断ることもあるそうだ。
引き受ける基準は何だと以前訊ねた際、明確な答えは持ち合わせていないと返された。選り好みしているように聞こえた。
「そういえば今日依頼人が来るよ」
さも普通のことかのように、六夏が告げた。
「アポイントはメールだったんだけど、どんな感じの人なのか手に取るようにわかる文面だったよ」
——そんなことはどうでもいい。
「何時です?」
「ん? あぁ、13時に約束しているよ。あと2時間くらいだね。あ、そうだ。今日は紅茶を用意してもらえるかな?」
「紅茶ですか? 茶葉は? カップはどうします?」
何でも揃う狛犬家だが、どういうわけか紅茶を淹れる道具の類は一切ない。
さすがに湯呑みでは格好がつかないし、何より紅茶の茶葉などあっただろうかと立ち上がると、
「茶葉もカップも一式揃えたのだよ」
とドヤ顔を決め込まれた。
どうして急に紅茶セットを用意しようと思ったのか訊ねると、色々あったほうが依頼人の好みに合わせられるだろうとのことだった。それならなぜ今まで用意がなかったのだろう。自分では淹れられないということか。コーヒーは豆から挽いているというのに? それに、これだけこの家にはいろんなものが溢れているのに。そんな疑問は飲み込んだ。
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