1-16 逡巡した先に
暗闇が一面を支配していた。
辺りに人気はなく、物のひとつも存在しない。唯一あるものといえば、一本に伸びた道だけ。暗闇の中で、その道だけが視界に捉えられる。見覚えのある道だ。
そこに一人の男性が現れるだろうことも承知していた。予想どおり、真っ直ぐに伸びる道を歩く男性が現れる。背を丸め、靴裏を擦るように歩く男性の顔色はお世辞にもいいとは言えない。
暗い中、男性はまっすぐな道を道なりに進んでいく。まるで道の外には足を踏み入れられないかのように、壁でも存在しているかのように、道を逸れようとはしない。その先に目的地があるのだろうか。
刹那、どこからともなく水が溢れた。辺り一面に溢れる水に、男性は動揺の色を見せない。
男性は相変わらず一本の道を進んでいた。が、それも一瞬だった。
水の中を歩いていた足は数歩先で止まる。そのまま身体が傾く。何かに足をつまずかせ、転んだのだ。まるでスローモーションのようだった。
自然と目線が足元へと移動する。転んだ男性を追うように目線を下げたわけではない。なぜか足元を確認しなければという気持ちのまま、視線を移していた。
視線の先、男性の足にはいくつもの手が絡み付いていた。まるで、それらの手が男性を転ばせたようだった。しかし、複数の手は男性を転ばせただけでは満足できないと言わんばかりに、男性の足を離そうとせず、そのまま水の底へと引きずり込む。力を入れられているのか、握られている部分が歪んでいく。
手の先へと視線を移した。暗い深淵の先に目を凝らす。
男性の足を掴んでいる人たちの顔がはっきりと見えた。その中には見覚えのある人物の顔があった。
***
朝日が東から顔を出す。
世間では休日の朝。早朝ともなれば、街は静かだ。鳥のさえずりが耳をくすぐる。
明け方の涼しい風を感じながら、渉は走っていた。
ここ最近で一番の寝覚めの悪さに、気分を変えようとしていた。シャワーを浴びるだけでもよかったのだが、水はあまり見たくなかった。
内に溜まったフラストレーションを発散するかのように、走ることだけに意識を向けていた。
走るのは久々なので少し息が上がる。それすらも今の渉には都合がよかった。呼吸の音だけに耳を傾けていればいい。
渉は混乱していた。薄々どこかおかしいとは思っていた。
自分が他人の夢を見ているということに、今さら異論はない。六夏に言われて初めて気づいたことではあったが、他者の夢だと説明されれば頷けることはいくつもあった。
だが、見ていた夢すべてが他者の夢だったのだろうか。そんな疑問が頭の片隅にあった。六夏に他者の夢を見ているのだと言われたときからずっと。
今朝の夢でそれがはっきりした。
すべてがすべて、渉以外の誰かの夢ではない。それが渉の出した答えだった。
それならそれでいい。渉だって自分の夢を見るだろう。他の人がそうしているように。
問題はそこではない。
渉は今、手伝いと称して六夏に見た夢の話をしている。それは調査の一環で、渉に任された仕事だ。
それこそが問題だった。
再三言うが、渉は調査のために見た夢を六夏に話している。六夏はあくまで客観的な夢の内容を求めているはずだ。これまでも散々、渉は自分の主観を、夢の中で自分がどう感じていたかなどを併せて話していたが、調査に置いてそれは不要な産物だっただろう。
極めつけは今朝の夢だ。思い返しただけでもひどいものだった。
走り終え、戻ってきた渉は今朝の夢の話はしない方がいいだろうと結論づけた。
考えないようにと無心で走っていたはずなのに、結局頭はそのことばかり考えていた。おかげで脳がエネルギーを求めている。
「おかえり、ランニングしてきたのかい?」
「……おはようございます。ただいま戻りました」
顔を合わせたくないと思っているときに限って、玄関先で出迎えにあう。
切り替えられたはずだったが、渉はそこまで器用な人間ではない。特に対人に関しては殊更だ。
ヘマをしでかす前に、足早に退散しようとしたところ、そう簡単に逃してくれる六夏ではなかった。
「ピョン吉くん、手を洗ったらリビングに」
「え、あ、でも俺……」
「いい? 手を洗ったらすぐに来るんだよ?」
珍しく有無を言わせない物言いで、六夏は先にリビングへと向かった。
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