1-14 夢と現実、そして自分の領分

『どうして……』


 明かりが灯されていない部屋は、どんよりとした空気のせいか、それ以上に薄暗さを感じる。ジメジメと湿気も広がっているかのようだ。

 ほとんどものが置かれていない狭い部屋に、喪服姿の男性が一人、ポツンと膝を抱えて丸まっていた。


『どうして……』

 か細い声が繰り返される。

『どうして……誰にも話していないのに……どうして』

 声が震える。肩も震えているのか、押さえ込むように両肩を自分の腕で抱き締めた。


 場面が一変する。

 突然の明かりに目が眩む。太陽の下のような明るさはないが、部屋の中に明かりが灯される。部屋といっても、男性が住んでいる部屋ではなかった。もっと広く、2〜3人がけのテーブルが四角く囲うように設置されている部屋は会議室のようだ。

 数人が会合していた。会合といっても、話しているのはただ一人。くたびれた背広が、内に入った肩のせいでより貧相に見える。

 会議ではなく、雑談のようだった。

 

『歯が抜ける夢を見たんですよ。ただそれだけなんですけどね、ちょっと聞いてもらいたくて』


 眉を下げて笑う男性の顔は憔悴しきっていた。

 何を聞かされているのかわからない周囲の人間もまた、困惑の色を顔に浮かべている。

 一方的に話し終えた男性は、疲れた顔ではあったが、満足そうにその場を離れた。

 スマートフォンが鳴る。先ほどやっと緩ませた顔が強張る。

 震える手で電話に出ると、さらに色を失くしていく。


『事故……? それで、大丈夫だったのか? うん、うん。足を骨折、でも、そう……命に別状はない。そうか、よかった……』


 足元から崩れていく。男性は安堵のため息をこぼしていた。


『よかった……話してよかった』




 ***




 明け方、まだ陽も昇らないうちに目が覚めた渉は、布団の中でスマートフォンを見ていた。

 ネットを開き、検索ワードを入力する。

 数日が経っているのに、手は勝手に動いた。『蓮水 火災』という字面を見て、キテレツなことをしているような気分になる。自分は一体何をしているのだろうか。

 あれは夢の中の出来事なのに、夢で見た——実際は他人が見ている夢を見た——だけなのに。現実と関係があるかどうかもわからないのに。


 しかし、驚くべきことに、渉が入力した奇妙な検索ワードにヒットするものがあった。

 検索結果から一番上にきたものを選び、中の記事を見る。最初で当たりを引いた。蓮水という人物が、火災事故により命を落としたという記事だった。

 寝タバコによる火災で亡くなったのは、蓮水光昭みつあきという男性だった。享年62歳。独身で、一人で実家の農家を切り盛りしていたとのこと。

 近くに他の家はなく、近所付き合いもなかった。そもそも人当たりがよくなかったらしい。

 火事の際、発見が遅れてしまったのは、光昭宅が奥まったところに建っていたことが要因だと告げられている。寝室から出火した火は、光昭氏の身体を燃やし、肉体を残すことなく燃え尽くした。

 不幸な事故として報道されていた。


 ネット記事を読み終えてから、渉はため息をついた。そのまま息を吸い込み、深呼吸をする。

 渉がこれまで見ていた夢は夢であって、夢ではない。本当に起きたことであり、依頼人が実際に経験したことを夢に見たのだ。夢に見るほど、彼の中に根強く残っていたのだろうか。


 奇妙だなと思った。

 どこまでがリアルで、どこまで夢なのだろうか。

 どうして、と依頼人が怯えていたことも気になる。

 今すぐ布団も部屋も飛び出して、六夏を起こしに行こうか。そんな考えがふとよぎり、すぐに消し去る。


 仰向けになり、天井を見上げた。

 まだ暗い部屋の輪郭が、徐々に縁取られる。

 気持ちを落ち着かせ、改めて自分の領分について考える。頼まれているのは、見た夢について話すことだ。それだけだ。

 きっと何も考えなくていい。考えない方がいい。

 六夏は渉の話を聞いてくれる。訊いたことは、すべてではないにしろほとんど答えてくれる。答えてくれることに、甘えていたのもしれない。そんなことに今さらながら気づく。



 ——決して話しかけてはいけないよ——



 ふと祖母の言葉が頭によぎり、渉は静かに目を閉じた。

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