1-13 マネーだけに
ご飯が炊けた音にバクが反応する。少し前からお米のいい匂いが部屋中に広がっていた。
午前中は調べものをすると言って事務所に下りた六夏が、お昼前になっても一向に戻ってくる気配がない。とはいえ、珍しい話ではなかった。集中すると、時間を忘れるタイプなのだ。
六夏が調べものをすると言って事務所に下りたときは特に邪魔にならないよう気を遣っていた。さほど下に音が響くということもないが、極力音が出るような掃除などは避けていた。
バクも気を遣っているのか、下りて行くことはなかった。自宅の自分用スペースに丸くなっているか、散歩に出かけていた。
集中している六夏がその程度のことで集中が切れてしまうことがないということも知ってはいたのだが。要は自己満足だ。
正午が近づいてきて、自分の昼食を作るついでに六夏の分も用意する。作業しながらでも食べられるようなものを作ろうとしていた。
以前、おにぎりを作ったときに、思いのほか好評だったので、今回もおにぎりをメインに考える。具はツナマヨとたらこ。ちょっと炙って焼きたらこにしてもいい。あとは卵焼きとたくあんと、黄色に偏ってしまったので誤魔化し程度にきゅうり、にんじん、セロリの野菜スティックも添えておく。ディップは二種類のチーズをベースにした渉のお手製だ。
急須にお茶を淹れて、お盆に乗せて完成となる。
自宅と事務所は別々の入り口があるが、中からも移動できるようになっていた。事務所の奥に階段があり、主にそこから行き来している。
階段を下りると声が聞こえた。一人の声ではなく、六夏のものでもない。
来客だろうかと事務所の様子を伺うが、六夏以外には誰もいない。
声の出どころはテレビだった。六夏の視線はテレビには向いていない。音だけ聞いているのかもしれないが、見た目にはわからない。
六夏はパソコンの画面を食いつくように見つめ、時折机の上に目線を落としている。手元で何かを捲る動作をしているので、資料でも見ているのだろう。
六夏のデスク横に、デスクとは別に小さな机がある。渉はそこにご飯を乗せたお盆を置いた。
「おや、もうそんな時間かい?」
静かに置いたつもりが気づかれてしまった。「邪魔してすみません」と頭を下げると、休憩しようと思っていたところだと六夏は笑った。
「いい匂いだね」
「ゆっくり召し上がれるなら汁物もあります」
「いいね、いただくよ」
自宅に上がってから再び事務所に戻ると、六夏は野菜スティック片手にテレビを見ていた。
『——なお、犯人はいまだ特定されておらず、警察が捜査を進めているとのことです』
「事件ですか?」
おにぎりの乗った皿の横にお椀を置くと、六夏がお礼を言った。
「うん、強盗だって。被害額、数千万」
「え!?」声の大きさに、渉自身が驚く。「そんな大金が盗まれたのに、足取りどころか特定もできてないんですか?」
「ピョン吉くんは意外と厳しいなぁ」
「え、だって、誰にも、何にも見つからずに盗みを実行するなんて……人が見てなくても、今やどこにでも防犯カメラがあるのに」
「ね」と軽く返して、おにぎりを頬張る。
「そんな大金、気づかれずにどうやって盗むんだろ」
「それは単なる興味かい? それともその方法を知って、ピョン吉くんも真似してみたいのかな? マネーだけに」
笑えないダジャレを披露する六夏はスルーして、渉はデスクに目を落とした。
「何か新しい情報は得られましたか?」
六夏は眉を下げ、首を振った。こちらもそう簡単に解決はしないらしい。
「ただ蓮水さん、ここ数ヶ月、睡眠薬を処方してもらってたみたいなんだ」
「睡眠薬ですか……しかも数ヶ月前って」
確か悪夢を見始めたと言っていたのは一ヶ月ほど前だったはずだ。数ヶ月前から睡眠薬を処方してもらっていたとなると、悪夢を見始めるよりも前に睡眠障害をきたしていたことになる。
「何か心配事とかがあって、それが夢に影響することってあるんですか? 例えば、心理的不安が悪夢を見せる、とか」
「まぁ、なくはないだろうね。不安に思ってるそのものが夢に現れなくても、その心情が怖い夢を見せたりすることもある。遅れちゃいけない用事があって、そのことを考えすぎるあまり、寝坊する夢を見るとかね。それは本人の自覚の有無に限らない」
となると、悪夢を見る原因はやはり現実にあるのだろうか。もし、現実世界の不安が悪夢を見せているのだとすると、それをこの探偵事務所で解決できるのだろうか。それとも、原因を突き止めるところがゴールなのか。
渉はその答えを訊くことはできなかった。
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