1-11 散歩のお誘い

 眠っているとき以外、食事の準備や部屋の片付けをするくらいしかやることがなく、基本暇を持て余していた。

 たまにお菓子を作ったりもしてみたが——これは甘党の六夏には非常に好評だった——毎日は続かず、ネットサーフィンもすぐに限界を迎えた。

 せめて何か役に立つものをと、美味しいお茶の淹れ方動画を見ながら、実際にお茶を淹れてみようと、茶葉を取りに立ったときだった。

 足元に黒い塊がうろつく。バクだ。

 踏みそうになり、慌てて避ける。そのまましゃがみ込み、目線を合わせた。バクは口に——鼻しか見えないが——ヒモのようなものをくわえていた。


「何くわえてるんだ?」

 バクの口からそれを受け取る。バクがくわえていたのはリードだった。

 散歩に行きたいのだろうか。リードをくわえて催促に来るなんて、まるで犬みたいだ。


「あの」リビングでノートパソコンを広げている六夏に声をかける。「佐々木さんと散歩に行ってきてもいいですか?」

「ん? あぁ、ピョン吉くんさえよければ……って、佐々木さんが誘ったのかい? 珍しいこともあるもんだ」


 確かに、バクはいつもひとりで散歩に出かける。それはそれでどうかと思うが、問題になったことはないらしい。渉が初めてここを訪れることになったきっかけは問題に含まれないのだろうかと訝しむが、六夏の中ではもうすでに消し去られた過去なのかもしれない。


「ピョン吉くんは大丈夫かい? ……佐々木さんがいるから大丈夫だとは思うけど」


 ——俺がいるから大丈夫の間違いでは?

 そう思いながらも、渉は不慣れな手つきでリードを装着すると、自宅玄関を出た。


 散歩コースは決まっているのか、バクは迷わず歩き出した。繋がれたリードを引かれ、導かれるままに渉もあとをついていく。

 人気はなかった。時間帯なのか、それともバクが意図的にそういう場所を選んでいるのかはわからない。ただ、渉としてとてもありがたかった。


「散歩、誘ってくれてありがとな。ちょうど暇してたんだよ」


 気を遣ったわけではないのだろうが、気づけばそんなことを口にしていた。誰かに聞かれたら変な目で見られそうだが、人の気配がないことをわかっていて話しかけている。

 自宅兼事務所を出て、バクは坂道を登っていた。石畳の坂道を小さな足を一生懸命動かしながら登る。

 この道をひとりで歩いているのかと思うと、遭遇してしまった人の心中を察する。近所の人にはすでに周知されているのかもしれない。思い返せば、六夏がそんなことを言っていたような気もする。

 改めて高いところから街を一望すると、何も変わっていないことに安堵した。祖母と暮らしていた家はここより北の方にあったので、見える景色も多少違うが、懐かしさを感じることはできた。


「ありがとな、佐々木さん」

 バクは知らん顔で前を進む。一緒に散歩するのが嫌なのでなければ、今度は自分から誘ってみるのも悪くないと思った。

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