1-8 それは君の夢じゃない
夢は暗闇の中から始まった。どこにいるのかわからず、迷子にでもなったような心細さを感じさせた。まるで今の自分を映し出しているかのようで、渉は自嘲気味に笑う。
暗闇の中には一本の道が走っていた。渉は自分がどの地点で傍観していたのかも思い出しながら話す。道の上ではなく、道の外、暗闇の中にいたと思うと曖昧に答える。
まっすぐに伸びる道を歩く男性がいた。今改めて振り返ってみると、その男性は依頼人だったように思う。後ろ姿しか見えなかったが、昨日事務所を出ていくときに見た丸い背中に見覚えがあった。
「話していて思ったんですけど、昨日聞いた話と同じ内容だったような気がします」
「歩いている途中に水が現れたのかい?」
「はい、俺も溺れるかと思いました。でも動けなくて。あ、でもあの方もお話しされていたように、息苦しさはなかったです」
「そのあと転んで、水の底に引きずり込まれるところまで同じ?」
渉は頷く。
「そのとき足は? 転んだときに足は何かに引かれてた?」
「はい、足を引いているのは手でしたね。でも、引いているのは一人ではなかったです。二人……はいたかな。両手でこう、足を掴むようにしているように見えました」
渉は両手を前に出し、長い棒でも掴むようなジェスチャーをして見せた。
「顔は見えた?」
「いえ、深海のように暗くて、足を引いている人の顔までは……それでいうと、手だと思っているのも手じゃないのかも……あ、でもひとつだけじゃないのは確かです」
そこまで口にして、渉は「あ」と何かを思い出したように持っていた湯呑みを置いた。
「どうかしたのかい?」
「あ、いえ、足を引いている人の顔は見えなかったんですけど、そのときの依頼人の顔は見えたんです。それが何だか気になっていて」
「顔?」
「何というか、いい言葉が浮かばないんですけど……笑ってるって言うのかな。怯えてるって感じが全然なくて。水が現れて、転んで引きずり込まれている間、もがいて、必死に浮上しようとしてたから、てっきり焦ってるか、怯えてるか、そういう顔をしてるのかなって思ってたんですけど。いや、焦ってはいたんです。いたんですけど……そもそも俺が見たこの夢ってなんなんでしょうか? 昨日話を聞いたから、同じような夢を見てるだけなんですかね? ということは、俺の中で捏造してるってことなのかな」
聞いた話を自分の中で改造してしまったのだろうかと、言い表しようのない気まずさを感じ、渉は頭をかいた。真面目な顔で六夏が話を聞いていることもまた、居た堪れなさを増幅させる。
「さっきも思ったけど、ピョン吉くんは無自覚タイプなんだね」
「無自覚? さっきから何の話ですか?」
訝しげに首を傾げる。
「ピョン吉くんが見ていた夢は、君の夢じゃない」
表情変わらず、真剣な面持ちで言いのける六夏に、渉は眉をしかめた。「は?」と思わず声が出てしまいそうだった。
「君は見ることができる人間なんだ。そちら側の人間なんだよ。だから佐々木さんも懐いたんだね」
「だから、どういうことですか? もっとわかるように説明してもらえますか?」
「わからないかい? おそらくこれまでも君は見ているはずだ。君が眠った時に見ている夢は、ピョン吉くんじゃない他の誰かが見ている夢だよ。第三者の夢を傍観者として見てるんだ」
「そんなこと」渉は目を見開く。「ありえるんですか?」
「ありえるよ。それはピョン吉くん自身が証明してる。今朝見た夢だってそうだ。君は依頼人の話を聞いて、そのとおりに同じ内容の夢を見たわけじゃなく、依頼人が見ている夢を見ていたんだ」
証拠は他にもある、と六夏が笑う。
「君のように他者の夢に入ることができる人間を、僕はピョン吉くん以外に二人知っている」
——そんなことありえるのか?
渉は心の中で同じ言葉を繰り返した。刹那、腕を組み、考え込む。
そんなフィクションのようなことがありえるのかと否定しつつも、渉には思い当たる節があった。思い当たることというよりは、他者の夢を見ているのだと説明された方が納得できると言った方が正しいだろうか。
これまでにも見知った人間が夢の中に出てくることはよくあった。特にその日よく話をした人物が夢に登場することが多く、印象に残っているからこそ、夢にまで出てきたのだろうくらいに思っていた。
しかし、見ている内容は、渉には何の関係もないことの方が多かった。夢特有の想像なのかとも思っていたが、どうやら違っていたらしい。あれは渉が見ている夢ではなく、その人が見ている夢だったのだ。
それは渉がこちらに戻ってきた理由でもあった。いや、あれがすべて他者の夢だったのかは定かではないが——
「もしかして、無意識ながらも他人の夢を見ることに疲れていたのかな? 見るだけでも辛い内容の夢もあるだろうからね」
何でもお見通しのように六夏は眉を下げた。
そんな六夏の顔を見た渉は咄嗟に否定の言葉が口を出ていた。
「見ることがきついんじゃなくて、コロコロ内容が変わることに疲れてたんです。チャンネルがくるくる入れ替わるような、乗り物酔いをしているみたいな……」
中には見るのもきつい内容のものもありはしたが、口にはしなかった。
「なるほどね……無自覚だったとはいえ、無意識に人が多いところは避けてきたってわけか。賢い判断だ。でも、それだとあれだね……僕の依頼は引き受けてもらえそうにないかな」
「あ、いえ……というか、結局俺にできることって何かあるんですかね? 悪夢を内側から解決しろと、そういうことですか?」
嫌味っぽく口にした渉に、六夏は「まさか」と笑う。
「夢に介入する必要はない。よく言うじゃないか、寝言に答えてはいけないと」
寝言ではないけど、と内心思う。
「じゃあ俺は何を?」
「見た夢のことを話して聞かせてほしい」
「それだけですか?」
「それだけだけど、とても重要で、君にしかできないことだ」
「さっきの話、参考になりましたか?」
「うん、とてもね。参考になったどころの話じゃないよ。手伝いもさ、そんなに気負わなくていいから、もちろんピョン吉くんが嫌になったらすぐに辞めてくれて構わないし……いや、それは困るけど……あ、でもここに住む件については、別で考えてくれていいから」
六夏は渉のご飯が気に入ったらしい。
あまりに多くの情報が一気に押し寄せ、パンクしそうになっていたので、返事を保留にしてもらえたことは大いに助かった。
料理ができるよう仕込んでくれた祖母にも改めて感謝した。
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