1-2 そのネーミングセンスは……

「すみません」


 静かだった部屋の奥の方から、突然慌ただしい物音が聞こえる。音は消えることなく、渉に向かって近づいてくる。ウリ坊を抱く腕に力が入る。

 騒々しい音とともに一人の男性が現れた。男性は渉が抱えたウリ坊を見るや否や目を輝かせ、渉ごとウリ坊を抱きしめた。


「よかった……無事だったんだね! あんまり遅いから探しに行こうとしてたんだよ」


 飼い主であろう男性は声を震わせていた。

 感動の再会に水をさすようで悪いが、早く離してほしい。気まずいこの状況から解放してほしい。


「君が連れてきてくれたんだね。ありがとう」


 落ち着いたところで渉の方に視線を向けた男性は、そのまままじまじと渉を見つめた。

「君は……」

 神妙な面持ちで少し高い位置から見下ろすように顔を近づけてくる。渉は近づかれた分だけ後ずさった。

 何も悪いことをしていないのに、どこか後ろめたさを覚える。そんな威圧感のようなものを男性から感じた。


「君は……なんてきれいなストレートヘアなんだ!」

「……はい?」


 予想だにしなかった言葉に、何とも間抜けな声が出た。

 男性は気にすることもなう、むしろ先ほどよりも前のめりに渉に身を寄せた。


「ほら、僕は見てのとおり、かなりの天パでね。君のようなストレートヘアに強い憧れを持っているんだよ。いやぁ、素晴らしいね。羨ましいよ」

「はぁ……」


 テンションの高さに気圧される。渉の周りにはいないタイプだ。

 確かに癖の強そうな髪には見えた。癖が強いのは髪の毛だけではなさそうだが。

 ストレートの剛毛で、ワックスすら効き目のない渉からすれば、男性のくるくると巻かれた髪の方が羨ましいと思えた。


 ウリ坊を無事に送り届け、早々に目的は達成された。あまり長居すべきではないと危険信号が灯り始める。

 渉は挨拶もそこそこに踵を返し、事務所をあとにしようとした。——そんな矢先のことだった。

 渉は足止めを喰らった。お礼にお茶でも、とのことだ。もちろん丁重に断りを入れた。が、男性の圧の方が強かった。

 気づいたときには事務所の中にいた。入り口のガラス戸を入るとすぐ仕切りがあり、仕切りの奥に部屋が広がっていた。

 探偵事務所に来るのは初めてだったが、特に変わったものは置かれていなかった。何を期待していたのかは知らないが。

 来客用の大きなテーブルに、それを囲うように置かれたソファ。ソファは上座に三人がけのものが、その向かいに二人がけのものが置かれていた。

 デスクは二つ設置されていて、大小の差はあれど、どちらにもデスクトップパソコンが置かれていた。大きいデスクトップはこの男性が使っているのだろう。

 渉は促されるまま三人がけの方のソファに腰かけた。


「自己紹介がまだだったね。僕はこの探偵事務所の責任者で、狛犬こまい六夏りっかと言います。こっちはバクの佐々木ささきさん」

「バクだったんですね……見た目にそぐわず渋いお名前で」


 ずっとイノシシの子どもだと思っていた動物がバクだったという驚きもさることながら、バクを一般家庭で飼っているということにも衝撃を受ける。いや、ウリ坊を飼っていたとしても驚きだが。

 あまりに衝撃が強すぎて、やっとのことで口から出たのは、つけられた名前とその見た目のミスマッチさについてだけだった。


「今はこんな見た目だけど、もう数ヶ月もすれば立派な大人になるんだ。黒と白の、いわゆるバクっぽい見た目になるんだ。佐々木さんはひとりでお散歩に行くのが好きなんだけど、今日はちょっと遠出だったみたいだね」


 やんちゃで困るよ、と仕切りのすぐそばに置かれているカゴの中で寝息を立てているバクを見て六夏は笑った。

 バクが街の中を闊歩している状況下での人々の戸惑いも考慮してほしいという苦言は飲み込んだ。

 六夏が目線で渉にも自己紹介をするよう促したので、仕方なく口を開く。


宇佐見うさみ渉です」

「宇佐見さんか……宇佐見……」


 腕を組み、手を顎に当てると、六夏は独り言のように何かをぶつぶつと口ずさんでいた。

 宇佐見という名の知り合いでもいるのだろうかと考えていると、

「宇佐見……うさぎ……うさぎ……ぴょん……ピョン吉!」

などと、連想ゲームを解決したかのように声を上げた。


「ピョン吉くんだね! よろしく、ピョン吉くん!」

「はぁ……」

「僕は狛犬だから……そうだな、わんさんとでも呼んでくれたまえ。もしくはりっちゃんでもいいよ」


 勝手に進んでいく話に、渉は適当に相槌を打ちながら聞き流した。六夏のネーミングセンスはよくわからない。

 やっとのことでお茶を淹れようと六夏が立ち上がったときだった。扉が叩かれる音がした。


「すみません」


 か細い声が聞こえ、六夏が壁にかかった置き時計に目をやる。


「しまった、もうそんな時間か」

「お客さんですか?」


 それならば自分はお暇しようと立ち上がろうとした渉を止めたのは、他でもない六夏だ。


「ピョン吉くんは時間に余裕がある人?」

「え、えーと、そうですね……」


 限りなく時間に余裕はあったが、あるとは言いたくなかった。が、嘘をつけるような器用さも持ち合わせていない渉は、煮え切らない返答しかできなかった。

 すぐに否定の言葉が返ってこないことをいいように解釈した六夏は、それならば少し手伝ってほしいと目を輝かせる。


「手伝うって何を」

「とりあえず、奥の部屋でお茶を淹れてきてもらえるかな?」

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