宵の試練(1)

 濃い藍色で、太陽も月もなく、水平線間際は少しだけオレンジがかった空。

 一切の波を立てることなくただ静かに、見切れるまで広がる水面。

 その水の上にシャルロットは立っていた。


「え…バグ?なんで突然こんなところに…何かの特殊イベントかしら。いやでも特別なことは何もしていないし変な魔物がいたわけでも…やっぱりバグかしら。何もないように見えるし」


 自身の状況に混乱し、バグのせいで今この場に立っていると解釈するシャルロット。


「うーん…でもイベントの可能性もないわけではないのだし、一旦見回ってみるとしましょう。イベントだったら勿体無いわ」


 シャルロットは辺りを歩いて探索してみるのだが、特に何かが起こるわけでもなければ、足元の水以外に存在するものはない。


「やっぱりバグ?…しかしどういうバグなのかしらこれ」


 周囲の景色が動かなくなるとか、オブジェクトやNPC、魔物の形状が変化するとかそういったバグであればシャルロットも多くの心当たりがあるのだが、今回のように全くの別フィールドに唐突に飛ばされるようなバグなどはなかなか馴染みがない。


「まあ、何もないのだしとりあえずログアクトしましょうか」


 シャルロットがメニューを開いたその時。


「え?」


 何もない水面がなぜか揺れ動いた。

 小さな波紋状の波はシャルロットに向かってぽつぽつと、連続的に現れる。


 それはまるで、何かが歩いてきているかのように。


「何かいるの?」


 その"何か"にシャルロットが声をかける。


「っ!」


 反射だった。

 シャルロットはほとんど勘でバックステップすると、先ほどシャルロットの首があった場所に左に長い真っ黒の弧の軌跡ができている。


「イベントだったようね。ラッキーだわ」


「イベント?ラッキー?…変なの」


 黒い軌跡の元にフードを被った小柄な人が虚空から出現した。

 フードはかなり深く被られており、顔や種族の情報はわからない。


 小さいながらも透き通る、少し高い鈴を転がしたかのような声で、シャルロットも状況が違えば聞き惚れていたかもしれない。


「変なのだけど、暇だったから嬉しい」


 変化のない淡白な声色だ。


「その変なのってやめてもらえない?私はシャルロットよ」


「シャルロット…?変なの」


「いや変ではないでしょ…」


 シャルロットは、この人はどうしても自分を「変なの」にしたいらしいと、少し呆れてしまう。


「…なんでもいい。殺すね」


「なんで私が来て嬉しいのにすぐ殺そうとするのか理解に苦しむけれど…簡単にやられるつもりはないわよ」


 お互いに相手に直線的に向かい出したその時。


「【宵闇】」


 シャルロットは視界を失った。


「ちょ、ここ足音しないんだけど…!?」


 この謎空間では水の上に立っており、足音がしない。水が跳ねる音くらいはしそうなものなのに、それすらも。


「【夜帳】」


 シャルロットの目と鼻の先から声が聞こえる。

 何かのスキルを発動したのだろうが、何か音が出ているわけでもなければシャルロットにはまだ視覚もないので何をおこなっているのかさっぱりわからない。


 しかし、攻撃の予想はできる。


(わざわざ超至近距離まで近づいてきたということは攻撃手段は暗器系、もしくは拳ね。前からの攻撃であればまぐれで止められる可能性があるし、私が視界を失っている以上後ろに回るのは造作もない。恐らく後ろからの一撃必殺…だといいけれど)


 そんな予想からすぐさま前に移動し、後ろを振り向く。


「びっくり。最初だけじゃなくてまた避けられた」


 どうやらシャルロットは攻撃を躱せたらしい。


「考えが単調すぎてわかりやすかったわ。手加減してくれてありがとう」


「…?してない」


 純粋なのか気づいているのかわからないが、シャルロットの煽りはまるで通じずに終わった。


「1、2回ここに人類が来たけど、みんな最初で死んじゃったから工夫はいらないかなって…」


「あなたみたいな喋り方の人はもっと無口かと思っていたけれど、お喋りなのね」


「ん。気分が上がってる」


「この空間、私とあなた以外に誰かいるの?」


「いない…時間稼ぎなら、やめた方がいい。ずっと暗いまま」


(バレたわね、のんびりしてそうに見えて素早い上に頭も回ると。厄介極まりないわね)


 しかし、シャルロットはこうも考えた。


(仮にずっと視覚が奪われるすれば、どうして私の時間稼ぎを止めたのかしら?やはり時間経過で解けるのか、それとも戦闘狂でさっさと戦いたいのか…)


「いえ、貴女と話してみたいだけよ。この空間にずっと一人でいるなんて気になるでしょう」


「…」


 "それ"はやはり表情を変えなかったが、今度は会話することなくシャルロットに肉薄した。


 シャルロットは返事がないことを不審に思い、ダガーを首の前に構える。

 すると、即座に弾き飛ばされた。

 力はそこまで強くないが、シャルロットの想定よりも攻撃されるのが速かったためだ。


 先ほどの黒い軌跡がシャルロットから見て左側に長かったことから、右手に武器を持っていると予測する。

 力の強さ的に、シャルロットすぐさま戦闘不能にさせるには首か目を狙わなければならない。最初の攻撃は後ろからのものを回避したので、次は前から。

 そういった予想から、シャルロット頭を下ろす。


「えっ…」


 "それ"の驚いたような声が頭上で鳴る。


 シャルロットは拳を振り上げる。


「ぐっ…」


「やっぱり単調ね」


 その時、シャルロットの視界が晴れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る