第3話 美人教師とドブネズミ生徒
屋上から出た俺は、真っ直ぐに教室へと向かっていた。
俺がいる新校舎は4階建てで、1階は職員室や保健室などがあり、2~4階がそれぞれ1~3年の教室に宛がわれている。
さすがに始業間近ともなると、登校して来る生徒も少ない。
俺は幾人かの3年生とすれ違いながら、階段を下りていく。
そして、3階へたどり着いた刹那――
2階から上って来た人たちと鉢合わせた。
「――あ、静馬君」
「……先生」
オレンジブラウンの長いウェーブ髪をシュシュで緩くまとめており、頭頂部には少しアホ毛が出ている。
縁無しの丸メガネをかけており、右手には出席簿を抱えている。
ちょっぴり童顔だが背丈は平均以上、明るいグレー系のタイトスーツが仄かに大人の色気を感じさせる。
美那子先生は教員2年目のペーペーだったが、明るく朗らかな性格で、ちょっぴり天然な所が男女ともにウケがよく、一部の生徒からは親し気に「美那ちゃん」と呼ばれていた。
かく言う俺も1年の頃から世話になっており、生徒指導の名の元に気を遣ってもらっているので、教師の中では信頼のおける人物だった。
しかし気になるのは、先生ではなく、その隣に立っていた女子生徒。
見慣れない顔だ。
まぁ、俺はクラス全員の顔と名前を憶えていないから、彼女もそんなモブ生徒の一人なのだろう。
「静馬君、どうして上の階から?」
「……あぁ、屋上に行ってたもんで」
「そう……今朝は本郷さんと早くに登校している姿を見かけたのよ」
そういえば先生は車通勤だったな。
まさか、見られていたとは……
いやまあ、先生には俺と禮華が幼馴染ってことは、住所が近いから知られているんだけどな。
「それより、もうすぐ始業時間よ、早く教室に――」
言いかけて、先生は急にため息を吐いた。
そして、被りを振ると、左手を俺に差し出した。
「――出しなさい」
「……は?」
出す?
何を?
「屋上に行ってたって、そういうことなのね。今出せば見逃してあげるから、大人しく言うことを聞いて頂戴」
ワケがわからん……
俺は数瞬考えて、ズボンのベルトに手をかけた。
カチャカチャ。
「ちょ、ちょっと静馬君っ!? どうしてズボンを脱ごうとしているの?!」
慌てて俺を止めにかかる先生。
「いやだって、出せって言うから」
「そ、そんなお粗末なモノ、先生見たくありませんっ」
お粗末って……見た事あんのかよ。
「そうじゃなくて、コレです、コレ」
先生は左手の人差し指と中指を立てて、前後に動かし始めた。
「……いぇーい?」
俺はダブルピースして付き合ってあげた。
「だから、そうじゃありません!」
キレ始める先生。
もう一押しすれば、沸点に達しそうだ。
「煙草です、た・ば・こっ!」
「たばこぉ……?」
一体、何を言ってるんだこの人。
俺はヤニなんてとっくに卒業して――
そこまで考えて、ようやく気付いた。
――時枝か。
屋上で、あいつに吹きかけられたヤニの臭いが残っていやがったみたいだ。
あのヤロウ、朝の喫煙タイムを邪魔された腹いせだな、ちくしょうめ。
しかし、先生をどうやって誤魔化そう?
時枝を庇う気なんざサラサラないが、「チクらない」と宣言してしまった手前、それを破るのは俺のプライドが許さない。
「話すと長いんだが、登校中に見知らぬじーさんが道で倒れてたもんで、背負って近くの交番まで連れて行ったんだ。そのじーさんがヤニ臭かったもんで、きっとそれが俺に移ったんだよ。疑うんなら、禮華――クラス委員長に確認すればいい」
適当にウソを並べ立てた。
もちろん、禮華に確認したらこんなウソは簡単にバレる。
だが――
「そ、そうだったの……ごめんなさい、生徒を疑ったりなんかして」
先生はご丁寧にも頭を下げた。
重力に従って、先生の上着が少し身体から離れる。
俺の目線の高さから、先生の白いシャツから豊かな胸元が拝めた。
スレンダーな体格をしている割に、中々のモノをお持ちの用だ。
禮華ほどではないにせよ、意外と着やせするタイプなのかもしれない。
しかし、こうも簡単に生徒を信頼してしまうとは、頼もしくもあり危なっかしくもある。
それでも、時枝と比べたら月とドブネズミだ。
「人間は誰しも過ちを犯すものだ。今回の件を糧に精進してもらえば、それでよしとしてやろう」
「静馬君……っ!」
先生は目に薄っすらと涙を浮かべ、仏を拝むような眼差しで真っ直ぐに俺を見つめていた。
ドブネズミは俺だった。
キンコンカンコーン。
始業5分前の予鈴チャイムが鳴る。
「あ、いけない。静馬君、早く教室へ向かって」
「へいへい」
先生の横を通り抜けようとすると――
どういうつもりか、先生はそっと俺の肩に手を当てて、顔を近づけて来た。
ホワイトフローラルな甘い香りが漂い、俺は軽く眩暈を覚える。
「ワタシの隣にいる子、転入生なの。この後に紹介するけど、席は静馬君の隣だから」
そう囁くと、先生は俺から離れた。
「仲良くしてあげてね」
ウインクして手を振る先生。
隣にいた転入生(?)も軽く俺に会釈をした。
……今日は厄日かよ。
面倒なことにならなきゃいいんだが……
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