3 緑花と少女 後編
「……ゼノン、ゼノンっ!!」
机に向かってペンを持ちながら、ゼノンは
「……なんだ?」
「無断での入室失礼します、ルイナが攫われました」
「はぁ!?」
ゼノンは勢いよく立ち上がり、頬をつねる。コウの。
「これは夢か!?」
「げんじつでしゅ、ゼノン。おねがいだから、てをはなしてくだしゃい。い、いた、いたたたたたっ」
ゼノンは唖然として、コウを見つめた。
(一体、どういうことだ!?ルイナは他国の姫か何かだったのか?)
誘拐など、この国ではここ数年耳にしない。女子供を誘拐して奴隷にしなければならないほどの貧困は見られない。初めて街へ行くルイナを誘拐する意味が分からず、何かの間違いではないかと耳を疑う。だが、コウは確信をもって頷く。コウによると背後から魔術具を使いルイナを眠らせ、眠らせるのと同様に姿くらましの魔術具を使って逃げたらしい。
森付近ではなく、人目につきやすい町中で犯行に及んだことがどうにも気にかかる。騒ぎになっても良いと考えたのだろうか。それとも、人混みに紛れられると考えたのだろうか。どちらにしろ、魔法使いではなく魔術具を使う魔術師であることは確かだ。緻密な計画を立てるのならば、大金を叩いてでも魔法使いを雇った方が確実性は上がる。使った魔術具は二つ。犯人が裕福ではないことは確かだ。刺客にしては安っぽい。懸賞金をかけられていると考えた方が都合が良いな。コウという同行者に易々と姿を見られてしまっているところから考えても、杜撰な計画に違いない。
コウは犯人に追跡魔法をかけてから、この小屋に戻ってきた。ゼノンは「よくやった」と頷く。
「ルイナに危害を加える様子はあったか?」
「ありません。眠らせたとなると、やはり殺すことが目的ではないと思います」
「分かった、行くぞ」
ゼノンは、コウとセラと共に小屋を出る。ルイナが無事であることを願いながら。
脳裏には、ルイナと出会った日のことが甦っていた。記憶と共に浮上した感情は恐怖。
(どうか、無事であってほしい。どうか、酷く傷つくことなく帰ってきてほしい)
ゼノンは震える拳を強く握った。
◆
その日、日没と見間違うほどに重い雲に覆われ、辺りは極静かだった。色とりどりの花々と水の滴る景色には、普段とはまた違った美しさが潜んでいる。普段は見逃してしまう美しさが、一層輝きを増してそこに存在していた。僅かな光をもって草花は暗がりで輝いた。
だが景色に見とれている余裕は、ゼノンにない。今までに感じたことのないほどの緊迫感に包まれ、雨粒が体温を奪っていくのを感じるばかりだった。
肌も髪も、透き通るような白で、今にも消えてしまいそうだった。それなのに、腹部にある傷だけは他の何よりも存在を主張し、もしかしたらこの傷は消えないのかもしれないと思わせるほど、深く致命的なものだった。彼女を囲う花々は、燃えるような、鮮やかさに染まっていた。止血しようと傷に触れると自分の手までも同様に染まっていく。流れ出る血液が特別熱い訳ではないのに、ゼノンは彼女が炎に包まれているように、錯覚した。
彼女は反応を示さない。息をしているか、確かめることが恐ろしくて、ただ死ぬなと願う。
悲しいわけではないのに、情けなくも涙が出て止まらない。
「どうして、こんな傷を――――」
(苦しくないよな。ごめんな、何もできなくて)
どうしたってゼノンが彼女の苦しみを取り除く手段はない。それがどうにも悔しくて申し訳なくて、ゼノンは両手で彼女の手を握った。年が近いように見えても、彼女の肩はゼノンより一回り小さく、本当に、壊れてしまいそうだった。
消えてしまいそうだった。
その後、セラとコウの介入を得て彼女は一命を取り留めた。
◇
「――――っ!」
ルイナが目覚めたのは、薄暗く、いくつもの長椅子が同じ方向へ向いた場所。教会のようだ。
(ここは…………?)
周囲に人の気配を感じて、ルイナは出しかけた声をひゅっと呑み込んだ。
「まさかこんなところで見つけるとは」
「俺らは運が良い」
ルイナに聞かせるために待っていたのではないかと思うほど、タイミング良く彼らは話し出す。何者かに攫われたのは、たった一瞬の出来事であっても考えるまでもなく分かった。
野太い声が二人。油断はしていられない。
「あの白髪は良く目立つ。魔術大会の時も良く目立っていたな」
魔術大会。
「あぁ。余所者に優勝を奪われたかと思ったら、次見かけたときには御貴族様の馬車に乗ってやがった。王族からは訃報の届けが来たが、ありゃぁ嘘だ」
優勝。王族。
「それだと、魔女が王族から逃げたか、王族が魔女を殺しちまったみたいだな」
「そういうことだ。名誉のためだろうよ」
逃亡。
「それにしても、容姿の似た娘を献上するという依頼があがったところから、運は付いてきていたのかもしれない」
「おい、魔女が聞いていたらどうするんだ、声が大きい」
「問題ない。魔女は睡眠魔術具で眠ってるだろ。魔術具の継続時間は長くて強力だからな」
「だがあれは売店で安売りしていたものだろう?不良品かもしれない」
魔術。魔法。名誉。不名誉。
貴族。平民。旅人。
不良品。良品。善悪。
強い。弱い。妥協。強要。
大会。勝利。騎士。王族。
武術。剣術。
嫌悪。憎悪。哀惜。
――――――――――――――あぁ、思い出した。
瞬間、強力な風が渦を巻いて現れた。ルイナはその中心にいて、手足を拘束していた縄も、窓の少ない協会の薄暗さと緊張も解かれていく。光を帯びた風をルイナは纏い、立ち上がり一歩を踏み出す毎に、光は蔦となり四方に伸びていく。
思い出せば出すほど、腹が立つ。思いが踏みにじられた、あの瞬間をルイナは過去の出来事だとしても許すことができない。
その怒りが腹の底から湧いてくる。
「お、おいっ、拘束はどうしたんだ!?」
「知らねえよ!この女、本当にあの魔女なのか!?」
「はぁ、なんで今更っ――――」
「だってあの魔女、瞳の色が違うじゃねえか」
ルイナは決して、目下の愚者に腹を立てているわけではない。だが、膨れ上がるこの気持ちを対処するには、放出する他ない。
ルイナが正面に手を翳すと彼らは、ひぃっ、と悲鳴を上げた。魔力は杖を生み、ルイナはその杖を振った。
(砕けろ)
「やっ、やめ――」
男二人はその場に崩れる。足の骨が砕けた彼らは今後、立つこともままならないだろう。情けない悲鳴が木霊して、ルイナはその煩さに両手で耳を塞いだ。目を固く瞑って、眉間に皺を寄せた。
その悲鳴を耳にする度に、涙が零れて仕方がなかった。
(うるさい、うるさい、うるさいっ!私は悪くないっ!)
「あああっ――!」
鋭い痛みが後からやって来た。頭が割れるように痛い。大量の記憶を突然に思い出したからに違いない。頭を抱え、膝から崩れるようにしゃがみこみ、背中を丸める。
「――――ルイナっ!!」
「…………ゼノン?」
教会の扉が開き、今までに存在していなかった光が新たに入り込んできた。そこへ視線を移すと、逆光で表情の見えない三つのシルエットが見える。
光の蔦が床を這い、視界を遮るようにその幹を伸ばした。棘を纏い、何者も寄せ付けない殺傷力をもってルイナを守り覆った。
「来ないで」
足音に向かって私は言う。足音が止み、頭痛の収まりを感じると共に、ルイナは少しの冷静さを取り戻す。
ルイナを拐った男たちは気を失い、教会の扉は既に閉ざされている。再び薄暗さが戻ってくるかと思えば、光源は絶たれたにも関わらず何かが辺りを照らしている。それは探す必要もなく、自身の髪束であるとすぐに分かった。魔力が全身に満ちている。
「私、思い出しました。私は魔女で、旅人で、とある国の王子との争いに敗れてこの国に逃げてきました」
「…………」
「王子への恨みに呑まれ、怒りに身を任せて杖を振るう私は愚者です。貴方方にあわせる顔などありません」
声が震える。
「ルイナ」
真剣な声でゼノンが私を呼ぶ。一人分の足音が背中越しに聞こえる。思わず肩が震えた。
「毎朝、日の出を眺める君の姿は淋しげで、心配をかけまいと笑顔を作る表情は、少しの強張りを残してしまう正直者だ。記憶が戻らずとも今できることを精一杯に努める姿は本物だった」
「それは虚像です。本当の私は違います」
「間違ってなどいない。記憶がなかったからこそ、その時ルイナが感じたものは嘘偽りのない本心なのではないか?」
「たとえそうでも、今の私は違うのです」
言葉とは反対に心が傾いていく。そうだったら良い、と希望を抱かずにはいられない。足音がすぐ後ろで止まった。ルイナは涙の跡を拭い振り返ると、そこには片膝をついたゼノンがいた。
「ルイナが何と言おうと私の気持ちは変わらない。私に君を守らせて欲しい、ただそれだけだ」
「ですがっ」
「神に誓う。他国の王子でも王でも、ルイナを害するすべてから、ルイナを守る」
「――――――――っ!」
涙が頬を伝って落ちていく。見られたくなかった弱さの結晶が、両頬を伝った。視界には曖昧な色しか映らない。一生懸命に涙を拭っても、拭う度に涙が溢れてくる。
「私は、ウェルディア第一王子。君を守るためなら何にだってなろう」
ゼノンの瞳に、ルイナが映っている。ゼノンに差し出された右手に、ルイナは迷いなく手を伸ばした。
「ルイナ、私と結婚してくれないか」
ルイナの中に葛藤は存在していない。
「――――――はい」
棘は光と共に空気に溶けた。教会は再び薄暗がりに戻り、女神の描かれたステンドグラスだけが光を教会内に招き入れた。
それはそれは、美しい光だった。
◇
そうして、ルイナとゼノンの物語は始まった。
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