2 緑花と少女 前編

 眩しいほどの生命力を放つ朝日が、茜色の空をまとっていた。雲の表面は鮮やかに染まり、夜の余韻を残す暗さの中で日の光が存在を主張している。朝の風は少しの冷気を孕み、頬に心地よく馴染む。風が揺らす度に、露をまとった草花の光が点滅し、その美しさにルイナはただ見とれていた。


「ルイナ」


 聞き覚えのある声が聞こえる。振り返ると、そこには銀髪の青年がいる。


「今日も早起きだな」

「はい。おはようございます、ゼノン」

「ここには慣れたか?」

「まだなんとも言えません。時々、どこか、この土地を離れた遠くの世界に、飛び出したい衝動に駆られます」

「いつか旅立つのだと考えると、怪我をした鳥の雛を保護しているような気分になる」


 そう言って笑う青い瞳が、光を吸収した露のように輝いた。


「見てください、ゼノン。夜が消えていきますよ」

「あぁ、綺麗だな」


 そうして、彼らの一日は始まる。

 ルイナは風に乱された白髪を静かに撫でた。


 豊かな自然が残る国、ウェルディアの森の中。木で造られた小さな小屋で、ルイナは目を覚ました。腹部に傷を負い、記憶を損傷したルイナは、覚醒直後、自身の名前さえも朧気だった。だが、ゼノン、セラ、コウがルイナを保護し、会話を重ねる毎に思い出せることも増えてきた。


「セラ、行ってきます!」


 ルイナが元気よく小屋を飛び出すと、セミロングの綺麗な金髪のセラも、ルイナを追って小屋を出た。


「私も行きます。ルイナ、体調には十分に気を遣ってください」

「はい!」


 この地でゼノン、セラ、コウと共に過ごして一ヶ月。

 目を覚ましてたった一週間で、損傷した体は何事もなかったように完治した。擦り傷でさえ一週間で治らないこともあるというのに、腹部の深い傷は、幻覚を見ていたのではないかと思うほど跡形もなく消えていた。元々痛みは殆どなかったため、感覚としては擦り傷と大差なかったが、傷を診ていたセラが時折、隠れて壁に頭を打ち付けているのを、ルイナは知っている。それほどまでに信じられないらしい。


「ルイナ、山菜の見分け方は分かりますか?」

「一ヶ月もあれば十分です。それに、どうしてか山菜採りには慣れているようで、自然と山菜に目が向きます」

「それは頼もしい限りです」


 増えてきたとは言え、まだ欠けた記憶は多い。それ故か、元々の性格か、友人といった親しい間柄が嬉しいような慣れないような、くすぐったい感覚が一ヶ月経った今でもある。その割には人と話すことに忌避感がないことが不思議だ。

 ふと、ゼノンの姿を思い出して、ルイナは一人首をかしげた。


(何故か、ゼノンと話している時は、くすぐったさが倍増するような気がします。…………どうしてでしょうか?)


 セラと目が合い、水色の瞳が和らぐのが見えた。


(わぁ、良い笑顔!眩しいです)


 ルイナも負けじとセラに満面の笑みを向け、それから早速、山菜摘みを始めた。

 今日は天気が良い。

 森の木々の合間から覗き込む光が心地よく、涼やかな風が優しく肌を撫でる。大きく息を吸い込むと、夏の緑の匂いがルイナの鼻を擽った。


 ルイナが夢中になって山菜を摘み、山のあちらこちらを移動して一時間。初夏の涼しさと暖かさが混在する気候に、ルイナは疲れを感じ始めていた。山菜を見つけてはしゃがみ、移動するために立ち上がる。風を浴びれば、汗が冷え鳥肌が立つ。ルイナは手の甲で額の汗を拭いながらため息をついた。


「ルイナ、山菜採れた?」

「ひゃあっ!?」


 突然声を掛けられたことに驚いて立ち上がると、背中が反り返りバランスが崩れる。突然の浮遊感と恐怖にぎゅっと目を瞑ったが、ルイナの背は誰かの手に支えられた。


「大丈夫か!?」

「ぜ、ゼノン!…………大丈夫です。ありがとう、ございます」

「あぁ。――――コウ、山で驚かせるのは感心しないな」

「ごめん!怪我してない?本当に、わざとではないんだけど…………」

「わざとでなくとも声のかけ方ってものがあるだろう?」

「あ、あの!大丈夫です!怪我はない、です。私が作業に集中しすぎてしまっただけなので、そんなにコウを叱らないであげて下さい」


 子犬のように潤んだ瞳で懇願するコウの姿に、ゼノンは大きくため息をついた。それからゼノンは開いた手の側面でコウの頭を軽く叩き、ムッとした膨れっ面のコウから反撃を受け、それから――――――。収拾がつかなくなりそうな子犬のじゃれ愛に、ルイナは声をかけた。


「そういえば、セラは……?」


 休憩のために呼びに来たのかと思ったが、セラの姿が見当たらない。


「セラならさっき、僕にこの籠を押しつけて先に小屋に戻ったよ」

「私も帰る。先程の小競り合いで水分をとられた」


 ゼノンは手で顔を扇ぎなから小屋へ戻っていく。コウは苦笑しながらゼノンを見送り、山菜がびっしりと入った籠をルイナに見せる。男の子とはいえ小柄なコウが両手で抱える籠は、ルイナが背負う籠より随分と大きく見える。籠の中を覗き込むと種類も量も豊富な山菜がもっさりと積まれていた。セラには到底敵いそうにない。


「早急かつ正確。私はまだ全然ですね。セラの足元にも及びません」

「焦る必要はないよ。むしろセラが採りすぎたから、これから町に売りに行こうと思ってるんだ。ルイナもどう?」

「わぁ!私も行って良いんですか!」

「もちろん!あっ、でも、先に休憩しようか」

「はい!」


 ルイナはまだこの森を出たことがない。コウの提案にルイナは目を輝かせた。コウは大きく頷きながら、にっ、と白い歯を見せた。




 高さの揃った建物が多い中、時計塔と城は一際目立っていた。城の、白を基調とした外壁は汚れ知らずの輝きを放ち、時計塔の白煉瓦は蔦の絡みと黒ずみで歴史を語っている。それに対しカラフルな外装の民家は、シンプルではあるが可愛らしい。

 町は想像を遥かに越えていた。ルイナは胸中の喜びのままに駆ける。


「待ってよ、ルイナ」

「コウ!町が私を待ってます」

「分かったからぁ!」


 森を歩いていたときより早いペースでルイナたちは町を歩く。山菜も扱ってくれる八百屋があるようで、コウについていくと案外森のすぐ近くのところにその場所はあった。


「お久しぶりです」

「おう、久しぶりだな」


 チクチクしていそうな無精髭のおじさんは、無愛想にそう返す。串焼きの露天と同じ並びにある八百屋は、狭いながらも見たことがない野菜や果物がびっしりと詰められている。ルイナは身を乗り出すようにして野菜を覗き込み、じいっと色とりどりの野菜を眺めた。


「誰だ、そいつは」


 鋭い視線はルイナの方へ向き、反射的にビクッと体が反応する。


「最近、うちのゼノンが保護した子なんですよ」

「あぁ、そう」


 ニコリと笑うわけでもなくそう言うと、おじさんはコウへ手を差し出した。


「これが今日の山菜です」


 コウは当たり前のように山菜の入った籠をおじさんに渡す。


「今日の売れ具合はどうですか?」

「ぼちぼちだな」

「おじさん、いつもそれしか言わないじゃないですか~」

「いつも通りだ」

「あっ、このリキュレットとか売れました?珍しい野菜だから、厳しそう?」

「それは丁度さっき売れた」

「おっ!それはよかったです」


 コウとおじさんの会話の区切りがついた頃、ルイナは会話に混ざろうと声をかけた。


「"おじさま"、私はルイナと申します。名前を伺っても?」

「俺はクラム。…………持っていきなさい」


 ルイナの声に変わらずの無愛想でクラムは言った。そして林檎を紙袋いっぱいに入れて渡す。


「いいのですか、こんなにたくさん」

「いらないのか?」

「まさか!こんな立派で美味しそうな林檎、他では買えないわ。ぜひ買わせてください!いくらですか?」

「それは売り物ではない」

「え?」

「持っていきなさい」

「ルイナ、気に入られたみたいだよ。貰ったら?」

「えぇ?」


 コウの耳打ちに私が驚いているうちに、紙袋はルイナの手の中に収まっていた。


「ありがとうございます、クラムおじさま!」

「クラムで良い」

「では、クラムさん!」

「あぁ」


 口調は変わらず無愛想なのに、表情は心なしか和らいでいる気がした。


「ほら、あんたも」

「いつもありがとうございます」


 コウがクラムから硬貨の音が聞こえる袋を受け取ると、ルイナたちは店を後にした。

 コウは町の中心へと向かって歩き出す。歩を進める毎に新しい建物や屋台が目に映り、ルイナの好奇心を刺激していく。


「おーい!そこの美人のねぇちゃん。ちょっとうちの店、寄ってかない?新しい耳飾り、入荷したんだよ」

「ごめんね、おばちゃん。この子、今日は僕のだから!」

「あーら、そりゃ残念」

「じゃあ、わしの店寄ってかん?ぼくちゃんも一緒で良いからさ。丁度、串焼き焼けたとこだよ」

「ルイナ、食べる?」

「いいんですか?」

「うん。じゃあ、おじちゃん串焼き二つ!」

「まいど!」


 一歩、足を進める毎に温かい声が飛び交うのが聞こえる。賑やかで、和やかで、その温かい空気にルイナは頬を緩ませる。


「この国は温かいですね。人と人との距離感。空気感。私、もっとこの国が好きになりました」

「それはゼノンが聞いたら喜びそうだな」

「ゼノンが?」

「うん。ルイナ、折角美味しそうな林檎をもらったし、パイの材料を買いに行かない?」

「良いですね!」


(あぁ、また――――)


 また、コウが私を盗み見る。とても真剣な顔つきで。他方面を向いていても、他人から向けられる視線に敏感な自分がいる。


「コウ、私の顔に何かついていますか?もしかして、串焼きのタレが!?」

「いいや。ルイナの綺麗な瞳に見とれてただけだよ」

「冗談がお上手ですね」

「はははっ」


(警戒されている)


 何となく、そう思った。

 すれ違う人の数が増えていく。コウの視線が外れ、ルイナはそっと息を吐く。コウ――――もしかしたらゼノンやセラも、ルイナが知らない、思い出せない何かを知っていて、警戒しているのかもしれない。そう考えると気持ちが沈んでいく。気分の落ち込みを悟られまいと、ルイナは顔をあげた。


 刹那、視界が黒く霞んだ。


 遠退く意識。脱力。

 コウの声が随分と遠くに聞こえる。

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