ノイ一族と生真面目騎士・終
直ぐに対話というのも難しい。そんな事を考えながらオリヴァーは第二王子の執務室へ戻る。すると彼は深刻そうな表情をして書類を眺めていた。
もうすぐ学園も長期休みが終わって授業が再開する上に、創立祭という生徒会主催のイベントもある。その辺りに関しても本来ならこの休みの間に下準備はしておくべきだったのだろうが、結局婚約破棄騒動の後始末の為にほぼ手をつけていない状態であった。休み明けに会計であるベルント辺りが巻き気味で仕事を片付けていくだろうと思いながらオリヴァーは茶を淹れた。
オリヴァーの淹れた茶を飲みながら第二王子は少しだけ迷ったように視線を彷徨わせたのちに口を開く。
「オリヴァーの成績はどの程度だ」
「座学でしたら上の下程度でしょうか。多少教科によってばらつきはあります。実技は一応上位に勘定してもいいとは思いますが」
なぜそんな事を突然言い出したのかと思いオリヴァーはちらりと第二王子の手元の書類に視線を落とす。
それはエーファにつけている講師からの報告書であった。ざっと見た感じであるが余り思わしくないようだ。
「……彼女は学園の成績も中の下ですから……」
「知ってはいたがイリスとここまで差が出るとは……学園で基礎は学んでいるからそんなに苦労はしないかと思っていたのだが」
イリスの場合はノイ伯爵家が重視していない礼儀作法や所作の部分で初期には苦戦はしたが、軌道に乗ってしまえばどんどんと前倒しで課題を消化していった。そのイメージが第二王子には強かったのだろう。
元々イリスが勤勉であるのを差し引いてもここまで苦戦するとは思っていなかったのかもしれない。ヴァイスなら見積もりが甘いと言い放つだろうと思いながらオリヴァーは口を開いた。
「ルフト殿下が一緒に勉強をしてみてはどうでしょうか」
「私がか?」
「はい。お忙しいのは分かっていますが……」
第二王子としての仕事以外にも生徒会の仕事も当然ある。時間的余裕がないのはオリヴァーも理解していたのだが、それでもなんとかしようと思うのならその方法が良いと彼は思ったのだ。
「イリス嬢が元々勤勉だったのもありますが、ロートスやヴァイスが彼女のサポートをしていました。作法やダンスなどはそれこそ反復練習ですし、他国の言語もヴァイスが彼女に会話形式で叩き込んでいました。……ロートスの所作がしっかりしているのはイリス嬢に付き合って共に学んだからだと言っています」
学園に入る前からロートスが中央のノイ伯爵邸宅にいたのはイリスの相手をするためである。狩りに行く時以外はほぼ彼女に付き合って学んでいたし、ヴァイスも多忙な中彼女のために時間を割いていた。モチベーションを持続できたのもそのためだろう。そんな話をオリヴァーがすれば、第二王子は少しだけ考え込むような表情を作る。
「……殿下。イリス嬢が何年も貴方の隣に立っていられたのは勿論彼女の努力もありますが、それを支える者がいたからです。本気でエーファ嬢を己の隣に立たせたいのなら、殿下がそれを支えるしかないかと思います」
言葉を選ぶようにオリヴァーはゆっくりとそう発言して僅かに瞳を細めた。伝わっただろうか。そんな不安そうな表情がうっすらと浮かぶ。
「……エーファのことは反対しないのか」
「殿下の立場を考えれば良いとは思いません。けれど殿下が本当に彼女を望むのであれば何かしらの方法を一緒に考えます。ただヴァイスほどお役に立てるとは思っていません。殿下からすれば気休め程度かと」
はっきりとそう言い放ったオリヴァーを眺め、第二王子は驚いた様な表情を一瞬作ったが、困ったように眉を下げて笑った。
「いや、お前の意見は参考にする。私は今まで余りにも周りをきちんと見れていなかった。イリスに対してもヴァイスに対してもオリヴァーに対しても」
「……ローゼ様から対話をした方が良いと助言頂きました」
「対話?」
第二王子にとって意外な名前だったのだろう。ローゼの名前が出てくれば少しだけ表情を緩めた。
「はい。ヴァイスやイリス嬢の様にいかないのは私自身よく理解しています。ですのでできれば殿下がどうお考えかきちんと話して頂ければと。彼らの様に先回りはできなくても、殿下の邪魔にならぬようにはできますので」
大体ヴァイスが察してくれてさっさと先回りで片付けてくれていたり下準備をしていてくれていた。それは第二王子自身も自覚している。そしてイリスはイリスで絶対に第二王子を煩わせるような事もなかったのだ。王族教育の進捗も良く、派閥も作らず、常に控えめであったし問題らしい問題も起こさなかった。
「……そうか。私もエーファと今後の事を話してみよう」
「はい。そうなさって下さい。エーファ嬢の望みと殿下の望みを上手くすり合わせてよき道を選んで頂ければと思います」
今までイリスやヴァイスが徹底的に己に合わせてくれていた。第二王子の婚約者として問題がないように。国が安定するようにと。
けれど聖女候補にそこまで求めるのは己の身勝手なのだろうかとうっすら第二王子は考える。もしも公爵夫人という肩書が彼女にとって重いと言うのなら彼女と共にいるために別の方法を考えようか、もしも頑張れるというのなら己も一緒に、そんな事を考えて第二王子は久方ぶりに己の護衛の顔を正面から眺めて笑った。
***
齟齬があるのか、解釈が違うのか。
じわじわと己を蝕む不快感を払うように彼女の言葉に耳を傾けてみたが、何がおかしいのか明確にわからない。けれどほんの少し……世界が半歩違うようなズレがオリヴァーに警鐘を鳴らす。
先だってオスカー・クレマース伯爵令息と学園長がイリス・ノイを監禁した生徒たちに話を聞いていて、その調書にも目を通していた。それを踏まえて話を聞いても、余計にオリヴァーは判断に迷う。悪意はない。相手の勘違い。そうかもしれない。けれど違和感は増してゆく。
咎人とはなにか。人柱……それはイリスだろうが、なぜそこまで彼女を排除しようとしたのか。それほど元婚約者の影は重かったのか。
脳内で考えるより言語化した方が考えがまとまるだろうかと思いオリヴァーは顔を上げたが、自分より明らかに憔悴し動揺している第二王子の表情を見ると言葉を発することができなかった。
教会での出来事もざっとベルントとマルクスに聞いてみたが、彼らも意味がわからないと首をひねる。後で正式な調書は出してもらうことになるのだが、それを読んでも恐らく聖女候補に対する違和感は消えないだろうと薄っすらオリヴァーは感じていた。
ただヴァイスは恐らく何か知っているのではないかとぼんやりと考える。
マルクスの言葉通りならば彼は命をかけてでもイリスを守ろうとしていた。聖女候補をずっと警戒していた。恐らく最悪の事態は想定していた。これが最悪の事態なのかオリヴァーにはわからなかったが、イリスを抱きかかえて馬車に乗る彼の表情を見れば、望みは叶えたのだろうとぼんやりと考える。
「殿下。ベルント・ゲルラッハ侯爵令息の調書です」
生徒会室に入ってきた男は持っていた調書を第二王子に渡す。
本来ならば創立祭の数日後に行われる今期最後の王家主催の夜会準備で忙しいのだろうが、流石に聖女候補の刃傷沙汰や元第二王子の婚約者の監禁騒ぎを中央は無視できなかった。そっとしておいて欲しいという賠償金を放棄する条件もある。
学園の警備担当から連絡を受けた騎士団が聖女候補を早急に拘束し事情聴取をしたのだが、学園として聴取したものと変わりはなく、追加で教会での目撃者であるベルントの聴取も行われた。恐らく近いうちにマルクスの方にも事情聴取の人員は派遣されるだろう。
被害者であるイリスとヴァイスに関しては、治療名目で帰宅し中央より派遣された医師が二人の診察をしたのだが、イリスに関しては投与された薬が抜けきるまで安静にするように診断され、ヴァイスに関しては問題なしと報告が上がっている。
ただの睡眠薬であったらしいのだが、それでも学園内で令嬢に投与されたとなれば有耶無耶にするわけにもいかないだろう。学園・中央・神殿を交えての話し合いになる。
黙って届いた調書を読んでいた第二王子が大きくため息をついたのに気が付きオリヴァーはそばに寄って小声で言葉を零す。
「私も読んで構いませんか?」
「あぁ」
寧ろその場に途中からとは言え立ち会った者として齟齬がないか確認して欲しいと調書を持ってきた男が言えば、オリヴァーは手招きをして創立祭の書類の最終チェックしていたオスカーをそばに呼び寄せる。
ベルントに関してはロートスが消し炭にしてしまった扉の見積もりを出す業者の立会に行っているので部屋にはいない。
既に生徒はほぼ帰宅している中、生徒会室は重苦しい雰囲気に包まれていた。
オスカーは教会に行ってはいないが、イリスの監禁騒ぎと教会での刃傷沙汰が無関係ではないのもあり気になるだろうとオリヴァーは思ったのだ。
無言で調書に目を通す二人。その間に第二王子は調書を持ってきた男を部屋から出した。調書の写しなので後ほど返却してくれれば良いと男が言ったので第二王子は小さく頷く。
イリスを監禁した部屋の方にも調査のために人が入っているし、壊れた備品を一緒に確認しているベルントもしばらくすれば戻るだろうと第二王子は深く椅子に腰掛け直す。
「……殿下」
「読み終わったかオリヴァー」
すっかり温くなった紅茶を飲んでいた第二王子はオリヴァーに視線を移す。すると彼は申し訳無さそうな顔をして口を開いた。
「前言撤回してもよろしいでしょうか」
「……前言とは?」
「対話は無理かと」
「……そう思うか……」
実際話は噛み合わなかったし、こうやって調書を見ても理解できる気がしない。お互いに対話を、そんな話をしたのはいつだったか。少なくとも第二王子とオリヴァーの間ではそれなりにすり合わせはできるようになったのだが、聖女候補と対話を重ねてもズレが酷くなるだけの様な気がしてオリヴァーは眉を下げた。
「マルクスの言う通り、ヴァイスがイリス嬢を守るために全てをつぎ込んだ事ぐらいしかわかりませんでした。イリス嬢が国の人柱と言われればそうかもしれませんが……ヴァイスが咎人と呼ばれる所以がわかりませんし、そもそも、皆に愛されると言うのは?」
イリスを第二王子の婚約者という人柱にしたのを咎だと言うのなら、それこそ第二王子も己も、無論国王とて咎人となってしまう。ヴァイスが全部背負う必要などない。
そして皆に愛されるのは自分だと言い放った聖女候補。
「イリス様がこんな目に合うなんて……あの方は何一つ恨んでなかったし、寧ろ長い仕事から解放されて喜んでいた……。そっとしておけば良かったんだ……」
ポツリと言葉を放ったのはオスカーで、オリヴァーは驚いて彼の表情を眺める。僅かに震える手は感情を抑えているのだろう。それに気がついたオリヴァーは同意するように言葉を放った。
「そうですね。例えイリス嬢の影が重かったとしてもそれはエーファ嬢自身が乗り越えるべき事でイリス嬢もヴァイスも関係ない。……もしかしたらヴァイスはエーファ嬢がこうすることを知っていたのかもしれませんが……」
唯一会話が噛み合っていたのはヴァイスだけである。けれど彼は詳しいことは話さないだろうことも薄っすらオリヴァーは理解していた。聖女候補が元第二王子の婚約者を害する恐れがあったので警戒していた。それで説明を通されてしまえば納得できてしまうのだ。話の端々にヴァイスに好意を聖女候補が抱いている様な発言も見受けられたが、ヴァイスはバッサリ拒否しているし、寧ろヴァイス自身に関して言えば聖女候補に嫌悪感すら懐いていただろう。しかしそれ故の嫉妬からイリスを害したという流れだと、第二王子の立場がない。上層部の判断次第だが、少なくともヴァイスとイリスには落ち度がないと判断され、聖女候補の身勝手な暴走だと切り捨てられる可能性が高かった。
助けようにも彼女が何を考えてあんな事をしたのかわからない。ただ、行動に対して他人へ害を及ぼしたという事実で処罰されてしまう。
「殿下……エーファはどうなりますか?」
「わからない。ミュラー伯爵家とノイ伯爵家の出方次第だろう。ノイ伯爵家もだが、ミュラー伯爵家は嫡男を危うく失いそうになったのだ。甘い処罰では許してくれないだろう」
あの時マルクスとベルントがいなければと思えば誰もがゾッとした。ヴァイスはイリスを助けるために全てをつぎ込んでいた。それこそ命さえも。
ローゼの言う通りなのかもしれないとオリヴァーが思ったのは、イリスを抱きしめた彼が泣いていたからだ。嬉しかったのだろうと思う。イリスが生きていることが。己の前にいることが。イリスが己自身を選んだことが。
「色々とこれからも迷惑をかけることになる。オリヴァー、オスカー、申し訳ないが力を貸してくれ。私自身まだ気持ちの整理はついていないが……起きたことをきちんと把握して対応していく」
第二王子の言葉にオリヴァーとオスカーは驚いたような表情をして暫く彼を眺めたが、直ぐに小さく頷いた。
「あーーーーーーー!!よりにもよって高い備品を!!」
そんな中部屋に入ってきたベルントはバァンと持っていたチェックリストを卓に叩きつける。いつもはおっとりとしている彼の豹変ぶりにオスカーは瞳を丸くした。
「殿下。イリス様を監禁した生徒に賠償請求はできますか?」
「恐らく。扉に関してもロートスが弁償するとは言っていたが、監禁した生徒の方に回そう。学園長とその辺りは話をすることになると思うが」
「そうですか。ついでにホールの照明魔具もあのバカ達が壊したようですので請求を回します。一応例の部屋に関しては立ち入り禁止と騎士団の方から指示がありました。当日も騎士を立てておくそうです」
一気に喋ってしまうとベルントはソファーに座り眉間に皺を寄せる。そして卓の上に乗っているチェックリストとは別の調書に気が付き顔を上げた。
「読みました?」
「はい。マルクスの言う、なーんもわかりません、でしたが」
オリヴァーの言葉に思わずベルントと第二王子が吹き出したのは全くマルクスに似ていなかったからだ。けれど普段生真面目な彼がそんな事を言うのが少し可笑しかったのだろう。その場にいなかったオスカーは不思議そうな顔をしたが、少しだけ部屋の空気が緩んだのに気が付きホッとしたような表情をする。
「……まぁ創立祭の後にきちんと処分を下す形になるんじゃないですか?……いや、王家主催の夜会の後かな?どちらにしろ生徒たちは暫くは謹慎処分ですよね」
「今日も学園で事情聴取はしているが、騎士団に引き渡されたからそちらでも明日以降厳しい取り調べになるだろうな。薬の入手方法等の問題もある。学園としても重い処分になると思う」
ベルントの言葉に第二王子はそう返事をする。監禁だけではなく薬、そして制服を切り裂くなど悪質だと判断されたのだ。謹慎処分では寧ろ軽いだろう。
そして王家主催の夜会は言ってしまえば社交シーズンの締めとも言える大きなものだ。それが終わるまではどうしてもバタバタとしているので先延ばしになってしまうだろう。水面下での調整などは図られるだろうが、表立っての処分は恐らくその後になると思われた。
「明日の創立祭は殿下とオリヴァー様は来られますか?」
「わからない。ただオリヴァーはできるだけ学園に行けるように配慮する」
「では殿下はいないものとして回します」
「あぁ。すまない」
ベルントの確認に第二王子は眉を下げる。実際王城に帰ればどの様な指示が出るのか分からなかったのだ。
「もう一つ。イリス様はご無事ですか?怪我などは?」
「薬が抜けるまで安静にとは言われているが、怪我などの問題はないようだ」
「それは良かったですね。傷のひとつでもつけようものなら、ノイ伯爵家だけでなくヴァイス様も徹底報復したでしょうから」
「……そうだな。ヴァイスは絶対に許さないだろうな」
「ええ。イリス様を助けるために全てをつぎ込んだと言ってましたし。淡白そうに見えて重いタイプなんですかね」
呆れたようなベルントの言葉に思わずオリヴァーが吹き出しそうになったのに気が付き彼は可愛らしく首をかしげた。
「おかしなこといいましたか?」
「いえ。砂糖を煮詰めたような粘度だと以前言っていた方がいましたので」
「でなければ命までさしださないでしょうね。それを周りに気が付かせない鉄壁の理性にも驚きですよ。それもイリス様を守るためだったんでしょうけど」
「イリス嬢を?」
「……エーファの嫉妬がイリス嬢に向きますよ。まぁ一緒にいるだけでも向くんですから怖いですよね。そして実際ヴァイス様がイリス様に全てをつぎ込んだのを知ったエーファは、取られる位ならと刺そうとした訳ですし。僕に婚約者がいたら危害を加えられてたのかとぞっとしますよ」
第二王子がいるというのにこんな発言をして大丈夫なのだろうかとオスカーは焦った様な表情をしたが、オリヴァーは小さく頷く。
「一人から愛されるのでは満足できなかったのでしょうか。私には理解できません。いえ、正直に言えば愛と言うのもよくわからないのですが」
「人それぞれカタチが違うそうですよ。僕の母が言っていました」
にっこりと笑ってベルントはそう言い放つ。
久しぶりにゆっくりとヴァイスと話がしたいとオリヴァーは思った。イリスの作ったアップルパイと自分の淹れたお茶を準備すれば付き合ってくれるだろうか。いつか昔、己が大事に抱いた思い出の様に。
そんな事を考えてオリヴァーは小さく笑った。
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