ノイ一族と金髪侯爵令息・前編

 ざわりと学園の馬車付き場の空気が変わる。それに気が付いたのは寮より徒歩で学園に通っているマルクス・クラウスナー子爵令息であった。

 彼のように中央にタウンハウスを持たない地方貴族に関しては学園の寮に入ることが多いのだが、ノイ伯爵家に関しては当主が中央研究所に仕えていたので他に比べてこじんまりとしているが屋敷を構えている。それでもマルクスから見れば立派な屋敷なのだが。

 それもありノイ姉弟はその屋敷から馬車で通学していた。マルクスの感覚からすれば徒歩圏内ではあるのだが、彼らの場合はイリス・ノイ伯爵令嬢が元第二王子の婚約者であるという事もあり防犯面でそれを推奨されていたらしい。今となっては元なので徒歩通学に切り替えようかと言う話もちらりとマルクスは聞いていた。

 しかしながら先日の監禁騒動等もあったのでそれも先延ばしになるだろうとマルクスはぼんやりと考えていたのだが、案の定馬車付き場に止まったミュラー伯爵家の紋章のある馬車からノイ伯爵家の末っ子ロートスが降りてきた。あのノイ姉弟大好きヴァイス・ミュラー伯爵子息が過保護に迎えに行ったのだろう事は安易に予測できたので、マルクスは教室ではなくロートスの方へ歩み寄ろうとした。折角なのでヴァイスやイリスにも挨拶をしたかったのだ。

 そんなマルクスに気がついたのかロートスがほてほてとよって来たので彼は目を丸くする。いつもなら馬車から先に降りたロートスがイリスが降りる時に手を差し出してエスコートするからだ。それをやらずに己の方へロートスが来てしまった事に慌てたマルクスは思わず声を上げる。


「おはようロートス。イリス様は?おやすみ?」

「え?一緒に来てるけど」


 不思議そうに首を傾げたロートスは視線を馬車の方へ移す。それに釣られるようにマルクスもそちらに視線を送ると丁度ヴァイスが馬車から降りてくる所であった。そして彼の差し出した手を取って降りてくるイリス。

 ありそうで意外となかった光景。基本どんな時でも婚約者であった第二王子のエスコートが優先されていたし、彼がいなければ弟が、そしてその彼もいなければヴァイスと優先順位が今までは低かった。けれどロートスがいるにも関わらずヴァイスが彼女の手を取る光景にマルクスだけではなく周りも小さくざわめいた。

 馬車から降りた二人はマルクスの存在に気がついたのか、次の馬車に場所を譲るために早々に彼の方へ歩いてくる。その際イリスがエスコートしたヴァイスに礼を言ったのだろう、小声で何か彼に囁いた様にマルクスには見えたのだが、その後瞳を緩めたヴァイスがイリスの頭の天辺にくちづけをふわりと落とした。

 それに対して驚いたようにヴァイスの顔を見上げたイリスははにかむ様に笑う。


「あ、姉さんとヴァイス婚約した」

「えぇぇぇぇ!?」


 ぼそっと呟いたロートスの言葉に思わず声を上げたのはマルクスだけではなかった。周りもマルクス程の大声ではなかったが、驚いたように小さく声を上げるもの、悲鳴らしきものを上げるものと様々で一気にざわめきは広がってゆく。


「いつ!?」

「昨日だけど。朝にヴァイスが来て話まとまって、昼には手続きした」

「早い!!ヴァイス様手配早い!!」

「手続きの手配はミュラー会長だったけど」


 そう言われるとマルクスはあれ?っというように首を傾げる。


「いや、ミュラー伯爵って昨日ノイ伯爵と学園来てたじゃん。俺会ったよ?」

「そういえば一回戦は勝ってたって父さん言ってたね。おめでとう」

「ありがとう!!丁度勝ってトモダチにもみくちゃにされてる時にノイ伯爵しれっと混ざってて心臓止まるかと思ったけど!!お祝いの言葉くれてありがたかったけど!!ミュラー伯爵に引きずられてどっか行ってたなぁ」


 新入生が一回戦で勝ち星を拾うだけでもかなり評価される。元々友達の多かったマルクスの勝利を喜ぶ生徒も多かったのだろう、わーっと駆け寄って来た人の中にノイ伯爵が混じっていたのにはマルクスも冷や汗をかいたし、後でアレはノイ伯爵だと聞いた友人たちも青ざめていた。


「うん。丁度ミュラー会長も帰りにうちに寄ってのんびりしてた。そんで、姉さんとヴァイスが婚約の許可取りに来たみたいな?多分そんな流れ」

「婚約お披露目とかは?」

「改めてはしないって。でも明日の夜会は一緒に出るって」


 明日の夜会とロートスが言ったのは、王家主催の今期最後の夜会の事である。社交シーズンはこれをもって区切りとなり、以降の夜会は個人主催の小規模なものや外交的に開かれる突発的なものだけになる。クラウスナー子爵等は基本領地にかかりきりで中央の夜会での社交は言うほどしないのだが、社交を目的として中央に長期滞在していた地方貴族などはこれを期に領地へ戻ることが多い。

 マルクスはと言えば次兄が騎士団に滑り込み中央に滞在しているので子爵の代わりに次兄が夜会に出る事が多かったのだが、その役職上警備担当などに当たった時はマルクスが代理の代理という形で出ることもあった。その役割は昨年までは学園に所属していた四男の役割であったのだが、無事卒業をしたのでマルクスに譲られた形となる。滞在費節約。その一点のみに特化した貧乏子爵の苦肉の策。


「まじで!?兄ちゃんが出る予定だったけど譲ってもらおうかな。っていうかイリス様のドレスはヴァイス様のクローゼットにあった?」

「会長夫人のクローゼットに何故か姉さんにピッタリのドレスがたくさん入ってた。不思議」


 ドレスがないと今期の夜会もお茶会もぶっちしていたイリスの事を知っているマルクスが笑いながら尋ねれば、ロートスは釣られて笑う。やっぱりいざという時のために準備してた、そんな予想が当たったマルクスはにこやかに己のそばへ来たヴァイスとイリスに朝の挨拶をしたあとに祝いの言葉を述べた。


「ありがとうマルクス君。一回戦突破もお父様から聞いたわ。おめでとう」

「驚いたことに二回戦も突破したんです」


 ふわりと笑ったイリスに胸を張るようにマルクスが報告をする。すると彼女は大きく瞳を見開いた後にすごいわ!と喜ぶ。

 その上新入生で二回戦を突破できたのは五人だけだったらしく、かなり良い評価をマルクスは貰ったらしい。このまま鍛錬を積めば次兄と同じ様に騎士団に入ることもできるだろう。


「それじゃアップルパイをたくさん焼かないと」

「アップルパイ?」

「一回戦突破したら食べたいってお願いされてたの」


 不思議そうにヴァイスが声を落とすとイリスは笑ってそう返事をする。そんな様子を眺めながら、マルクスはこれはご褒美をねだって大丈夫なのかと一瞬心配をする。というのも、約束の時は違ったが己の婚約者が他の男に手料理をという事にヴァイスが気を悪くしないかと思ったのだ。

 けれどマルクスの心配に反してヴァイスは浅く笑うと口を開いた。


「俺やロートスの分も焼いてくれ」

「それじゃマルクス君へのご褒美にならないでしょ?」

「俺もロートスも頑張ったろ」


 何を頑張ったかと言われれば、イリスの救出であり、聖女候補からの悪害を妨害したことだろう。それに思い至ったイリスは困ったように笑った。


「二人にはアップルパイじゃ足りないわ。それにそっちもマルクス君は頑張ってくれたし」

「そーだな。足りない分はこれから少しずつでいい」


 ヴァイスの命を救ったのはマルクスとベルントである。それを承知している彼はイリスの身体を引き寄せると耳元で言葉をささやく。その内容はマルクスには届かなかったが、イリスが柔らかく瞳を細めると、それを眺めヴァイスも笑った。

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