第19話
「ベルントいる?」
「早いな。門前払い?」
「お茶だけして帰ってきた」
昼休みに合わせて学園に戻り生徒会室を覗けばベルントが一人で書類の処理をしていた。最上級生の役員以外がこのゴタゴタで休んでいるので、至急分だけベルントが処理しているのだろうと思ったマルクスはお茶淹れようか?と首を傾げた。
「じゃぁよろしく。それでお茶してきたって事はロートスに会えたんだね。様子は?」
「めっちゃ元気だった。っていうか、こう……想像してた感じと違ったかなぁ」
「……詳しく」
書類を束ねて置くとベルントはマルクスの話を聞く。するとマルクスは茶葉を準備しながら口を開いた。
「とりあえずヴァイス様からお前への言付けだけ先にいい?」
「ヴァイス様?」
夕方にはノイ伯爵が宰相に会いに行くが、その時に研究所の辞表を受け付けないなら爵位返上をすると言う事。そして、賠償金放棄の条件として以降ノイ家をそっとしておいて欲しい事。その条件を呑むのが一番マシだと。
「婚約破棄の賠償金!あぁ、それもあったか」
「何かうち位は吹っ飛ぶ金額だって言ってたけど」
「条件次第ではその二倍だよ」
「条件?」
「婚約中にイリス様以外の相手と子を作った場合。これは結構普通の婚約破棄の賠償でもあるだろ?」
顔を覆ったベルントの前にカップを置くと、うわぁ、と思わずマルクスは言葉を零す。
「約束破ったのはそっちだから好きにするって言うのがノイ伯爵の言い分で、えっと……放っておいてくれるならとりあえずイリス様が婚約する前に戻るだけ的な?あんまゴネたらノイ伯爵が交渉面倒くさくなって全部どうでもいいって投げ出す可能性高いから、こう……上手くそっちで調整してくれって」
「追加制裁がないだけノイ家も譲歩してくれてるって事かな。それとも逆に完全に興味が失せたか」
「興味ない感じだった。昔に戻るよ!やったー!みたいな不思議な雰囲気だった」
「後二年粘ってくれれば、もう少し国庫へ入る税収割合の調整や利権関係の調整もできたのに……研究所の方がジリ貧になると余裕がなさすぎる」
「やっぱ大きいんだ魔具の利権料」
「うん。これからもノイ家の天才が新作は出すだろうし、現状研究所が持っている利権魔具の上位相互が出されれば先細りになるのは目に見えてる。その補填に他からの税収を上げるか、支出を減らすか……毛根死滅するかなこれ」
「何か……ミュラー商会で頭皮に優しい商品でも探して贈ってあげたら?」
大破壊後の立て直しに必要な膨大な資金を研究所が賄っていたのだ。国内だけではなく、国外にも生活用魔具等を流し荒稼ぎした。漸く立て直しの目処がついてきて、国庫に余裕が少し出たと言う程度。余りにも魔具研究所に頼りすぎなのも健全ではないと各領地に補助金などを出し、例えば新しい産業や、元々あった地方の特産品などを作るのを推奨し、少しずつ税収を増やしている段階であったのだ。けれど下手をすればその補助金を捻出するのも難しくなってくる。
そんな事を考えていたベルントはちらりとマルクスに視線を送った。
「助かったよ。精々ノイ家の雰囲気だけでもわかれば良いかと思ってたんだけど」
「……研究所辞めれるって超上機嫌なノイ伯爵がめっちゃ色々話してくれたし、ヴァイス様がお前にこれだけは伝えとけっての帰り際に纏めてくれた」
「本当に殿下も勿体ない事を。イリス様やノイ家の後ろ盾だけではなくヴァイス様も手放した。あの人は本当に優秀だからね」
「未来予知でもできるのってレベルで先回りして手を打つよなあの人」
「宰相閣下が惜しむ訳だよ。今となっては精々ミュラー商会として国に貢献して貰う方向に舵を切るしかないけどね」
「ミュラー商会からの税収にご期待ください!的な?」
「……そんなとこ」
マルクスが軽く言い放ったのが可笑しかったのか、ベルントは表情を緩める。
「それはそうと生徒会大丈夫?お前しか来てないの?何か手伝おうか?」
「至急分だけ処理してるし、明日には少なくともオリヴァー様は来るって言ってるから大丈夫。ロートスたちはどうするって?」
「ヴァイス様は殿下殴った件で自主的に二、三日謹慎って名目でアイゼン家からミュラー家へ引っ越す荷物を運ぶ段取りするって。まぁ、半分ぐらい住んでたらしいから直ぐ終わるらしいけど。ロートスとイリス様も多分ヴァイス様に合わせる感じじゃないかなぁ。明日は一番上の兄ちゃんがノイ領から来るとかでお迎えするって言ってた」
「二、三日の自主謹慎で済むなら僕も一発殴りたい。いや、髪の毛毟りたい」
「お前可愛い顔して怖いな!!まぁ殿下もこう……色々検討した結果だろうし……いや、検討したのか??検討してこの有様とかやばくない??」
「暫くは厳しい立場になるだろうね。流石に財務が黙ってないしノイ姉弟の卒業後の軍属も下手すれば白紙でそっちからも恨み節が来るんじゃないかな」
「……何か、珍しい魔物素材を長期休暇に狩りに行こうとか相談してた……」
「風切姫の早逝がここに来てじわじわ効いてくるな。あの方が存命なら軍の手伝いはまだしてくれただろうに」
臨時ではあるが大規模魔物討伐時には力を貸してくれていたのだ。風切姫が行くと言えば、子どもたちもついてくる可能性はあったし、例え婚約破棄をしたとしても軍属になってくれる希望ははあった。けれど彼女がいなければそれこそ昔のノイ家に戻り、好きに魔具素材を集めるために魔物討伐をするのだろう。それでもしないよりはマシなのだが。
「とりあえず僕は一旦帰る」
「まじで。午後からの授業俺が代わりにノートとっとこうか?」
「……ありがとう助かるよ」
まさかマルクスがそんな事を申し出てくると思わなかったのか、ベルントは少し驚いたような顔をした後に笑った。
ともかく早く帰って父親を通して宰相へ報告も上げたいし、余裕があればオスカーの様子も見に行こうか。そこまで考えてベルントは茶器を片付けるマルクスに視線を送った。
「……あのさ」
「ん?何?あ、俺字はあんま綺麗じゃないからそこは勘弁な」
「あんまりエーファに関わらないほうがいいよ。神殿がかなり彼女に干渉してるし、彼女自身も何故かわからないけどイリス様を敵視してるし」
「は?イリス様引きずり下ろしたのに?もう敵視する必要もないじゃん」
「可愛い顔して欲深いよ彼女。何しろオスカーもたらしこんでる」
「うへぇ……肝に命じとく」
自分が忠告するまでもなく、恐らく既にヴァイス辺りが関わらないように予防線をはっている訳なのだが、一応と思いベルントはマルクスに言葉を放った。
マルクスの性格なら取り込まれる事はないだろうが。
「それじゃぁ。今日は助かったよ。ありがとう」
「おう!ヴァイス様の言付け伝えただけだけどな!」
朗らかに笑ったマルクスを眺め、本当に人がいい、そんな事を考えてベルントは少しだけ笑った。
***
「何か思ってたのと違う」
「そうか?」
「こう……あの子婚約破棄されたんですって、プークスクス、的なのを想像してたのに、何か皆が優しい」
「お前が優しくしてた分だろうよ」
扇で口元を隠しながらこそこそと講堂の隅でイリスが呟くと、ヴァイスは呆れたようにそう返事をする。
試験もあるので結局三日ほど手続きやら交渉やらに時間を取られた後の登校となったのだが、講堂に入るなり休んでいた間のノートを良ければ使ってくれと同級生の令嬢が持ってきたり、色々と大変でしたね……落ち着いたらまたお茶でもしましょうなどと労る言葉を山程かけられた。多少遠慮した空気はあるものの、もっと距離を置かれるかとも思っていたのもありイリスにとって予想外だったのだろう。
多少事情を聞かれたりもしたが、詳しいことは自分から話すことが出来ないと全力でルフト側に丸投げすれば向こうも勝手に脳内で話を補完して同情の眼差しを向けられる。
試験前でそれぞれ余り他の事に構っていられないのも多少はあるだろうが。
これならロートスの方も大丈夫だろうと安心したようにイリスは笑うと、ヴァイスにちらりと視線を送る。
「どうした」
「貴方は変わらないと思って」
「変わりようがねぇよ。とっくに歪んでるし」
「歪んでるとは思わないけど……。それでも色々ありがとう。これからもよろしくでいい?」
「そうだな」
ヴァイスは僅かに口元を緩めると、授業始まんぞ、と教官の方へ視線を向けた。
***
「何か凄い変な感じになってる」
「そうなの?」
「殿下に対して怒ったヴァイスが臣下の鑑とか、姉さんが悲劇のヒロインとかそんな感じ」
「なにそれ、怖い」
昼食を食べながらロートスの話を聞いたイリスは思わずそう言葉を零す。普通婚約破棄などはされる側に問題があると思われがちなのだが、今回に関してはその貴族の常識がネジ曲がってしまったらしい。
「ムカついたから殴っただけだけど」
「だよね。けどなんだっけ……主を諌めるのも臣下の役目とかそんな感じ。殿下の臣下だったのヴァイス」
「俺はどっちかっつーと商人だな。一応ミュラー家の爵位継ぐから臣下と言えば臣下だけど、第二王子殿下じゃなくて今上陛下のだな」
「それもそうか」
ロートスが納得したように頷く訳なのだが、マルクスは付け足す様に言葉を放った。
「結局ノイ家が黙って身を引いたってのが美談になってるみたいですよ。イリス様も取り乱す事なく受け入れてお労しいみたいな……そんなイリス様の代わりに怒ったヴァイス様格好いい!って何か人気出てます」
「人気なんざどうでもいいけど。つーか、普通不敬罪だろ」
「まぁ、イリス様の婚約期間が長かったのもあるでしょうね。献身的に支えていたのにってこう……同情的な意見が多い感じです」
「八年ちょいかしら。人生の半分位って考えたら長いわね確かに」
確かに長いなぁ、とマルクスもイリスを眺めて同意する。ただイリス自体が政略的な婚約であるとドン引きする程割り切っているのもここ数日ノイ家に出入りして知っているので、マルクスは思わず苦笑した。
「イリス様は暫くのんびりですか?長期休暇に試験終わったら入りますし」
「楽しみだわ。今までは中央の催しへのお付き合いもあってゆっくり出来なかったの」
王族の婚約者として参加していた集まりなどから解放される事が嬉しいのもあって、イリスは満面の笑みを浮かべる。とっかえひっかえドレスを着たり、お茶会だと呼ばれれば毎度毎度参加者のプロフィールを叩き込んだりと大変だったのだ。それでもきちんとこなしていたのは彼女の勤勉さ故であろう。
社交シーズンも真っ只中なので招待自体はイリスにも来るかもしれないが、婚約破棄になったばかりだから遠慮すると一筆添えれば無理強いはされないのも非常に楽で良い。そう考えてイリスは、何をしようかと顔を綻ばせる。
イリスとてルフトに対して情はあった。けれど政略的なモノだと言うことも理解していたので、彼に対して必要以上にのめり込まないようにもしていたのだ。もしもルフトが己に対して愛情を傾けてくれていたなら話も違っていただろうが、結局お互いに月日がもたらすそれなりの情しか持つことはなかった。寧ろルフトが愛情を向ける相手が出来たのなら喜ばしいと本気で思っている節もイリスにはあった。
「今期は社交も全力でお断りできる大義名分もあるし」
「大義名分なくてもノイ家はサボんだろ」
「ヴァイスもでしょ?サボっちゃ駄目よ。ちゃんと行かないとおじ様に迷惑かかるんじゃないの?」
どちらかと言えば社交の場が好きではないヴァイスの心配をするようにイリスが言うと、彼は咽喉で笑った。
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