第18話
結局色々悩んで手土産にケーキなどを買い、場違いさ全開なのは解っているが恐る恐ると言うようにノイ伯爵家の屋敷にマルクスはたどり着いた。会えなくても手土産ぐらいは受け取ってくれるだろうか、気晴らしになるだろうか、そんな己の貧困な思考に呆れながら、門番に取次を頼む。
「あのー。会えそうにないなら差し入れだけでも……」
申し訳無さそうに名を名乗るマルクスの顔を覚えていたのか門番の男は、坊っちゃんのお友達ですね!少々お待ち下さい!と朗らかに中へ確認に行ったので面食らう。
文字通りの門前払いと言う事は無かったが、逆にあの様に朗らかに対応されても非常に困るというマルクスの考えをよそにいそいそと門番は屋敷へ案内してくれた。
玄関ロビーにいるのはノイ伯爵家の家令とそれと同じぐらいの歳の男。何やら話をしているようだが、門番が声をかけると今までも彼を迎えることが多かった家令は笑顔でマルクスを迎えた。
「ようこそおいでくださりました。旦那様。ロートス様のお友達でございます」
「あぁ。えっと、マルクス……なんだっけ。ごめん。ロートスから聞いてたんだけど」
「マルクス・クラウスナーです」
「そうそう。ロートスに会いに来てくれたんだ。退屈してるから相手してやってくれる?」
「はぁ。あのぅ……これ……ケーキなんですけど」
なんか凄い俺間抜けじゃない?っていうか、ロートス全然お父さんに似ていないのな、そんな事を考えながら手土産を差し出すと家令がそれを受け取る。するとニコニコと上機嫌にフレムデ・ノイはその箱に顔を近づけた。
「なんだろう。パイ?タルト?」
「フルーツのタルトです。ロートスが好きなので。ホールです」
「ぼくも好き。あ、お茶にしようか。天気も良いし庭で。マルクス君を案内してあげて」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
控えていた侍女にタルトを渡すと家令がマルクスを案内する。それに対して、直ぐぼくも行くからとフレムデは上機嫌に言い放つと階段を登っていった。
綺麗に整備された庭園にお茶ができるように東屋がある。そしてそこから少し離れた所にぽつんと小屋が立っている。
「あれは」
「魔具工房でございます」
「あぁ……えっと……俺邪魔じゃないですか?大丈夫ですか?」
ここまで来ておいて今更な気はしたのだが家令に申し訳なさそうにマルクスが訪ねてみると、彼は瞳を細めて笑う。
「いえ。お嬢様は手続きでお忙しいですが、旦那様はヴァイス様がいらっしゃるまでは時間がございますし、ロートス様は朝から暇を持て余しておいでです」
「あ、ヴァイス様来るんだ」
「はい。爵位返上の手続き書類を持って来られると聞いております」
ヒェッと思わずマルクスは上がる悲鳴を押し殺した。それを察してか家令は口元を僅かに緩める。
「どうお使いになるかはまでは聞いておりません」
「うわぁ。怖い」
「何が?」
「あ、ロートス」
お茶を運ぶ侍女と一緒にやってきたロートスを眺め、マルクスはホッとしたように表情を緩めた。
ロートスが席に着けば侍女は早速お茶を入れて切り分けられたタルトをそれぞれの皿へ乗せる。
「旦那様からお先にと言付かっております」
「あ、はい」
小さく礼をすると侍女はそのまま家令と一緒にその場を離れる。ノイ家と言うのは余りベッタリと使用人がついているタイプの家ではないのを何度かの訪問で知っているマルクスは、小さくお辞儀をして彼等を見送るとロートスに視線を送った。
「お前授業いいの?」
「モーリッツが!!ノートとってくれるって!」
「後で俺にも貸して」
「勿論。っていうか……イリス様は元気?お前は大丈夫?」
「姉さんは元気だし、僕は今日学園行こうと思ってたんだけど質問攻め面倒臭いんじゃないかってヴァイスに言われてサボっただけ」
「行こうと思ってたんだ!」
「休む理由別にないし。姉さんは婚約破棄の追加書類にサインしなきゃなんなくて忙しいけど、僕はすることない」
「……ちょっと思ってた空気と違って俺めっちゃ戸惑ってる」
「そう?」
「いや、こう……ブチギレのノイ伯爵とか、ブチギレのお前とか、悲しみに暮れるイリス様とか色々想像してた」
そうマルクスが言うとロートスはタルトを口に運ぶ。季節の果物がふんだんに使われたタルトはさっくりとした土台にやや甘みの強いクリーム、そして果物の酸味が丁度良いバランスでロートスは満足そうな表情を浮かべた。
「父さんはこれで研究所辞められる!ってご機嫌だし、僕は流石に昨日はムカついたけど、姉さんが好きなことこれでできると思ったら婚約破棄でも良いかと思った。疵物にしたのは絶対許さないけど」
「最後怖い。めっちゃ怖い。でも確かにノイ伯爵はご機嫌だったな。中央研究所勤めって嫌だったの?賃金良いだろ?」
「あれ作れ、これ作れって煩いんだって。昨日作業途中の設計図全部破棄して辞めてきたって言ってた」
「まだ辞めれてないよ!?所長預かりってベルント言ってたよ!?」
「ベルント?誰?」
「生徒会のオスカーじゃない方」
「あぁ。アイツか」
我ながら適当な言い方だと思ったが、ロートスは直ぐに顔を思い出したのか頷いた。
「仲良いの?」
「いや、何か今日は声かけられた。アイツの親父さんが国庫の財務やってるから、少ない毛根が死滅しそうだって」
「何で?」
「なんか……国庫に入る金減るって」
「へぇ。大変だな」
うわぁ、これ全然興味ないな。知ってたけど。そんな事を考えながらマルクスはとりあえずと言うように口を開く。
「えっと。何か困ったことあったら声かけて。爵位返上とか、国外逃亡とか……こう、色々。俺の爺さん住んでた屋敷空き家だからボロいけど住めるし、魔物狩ってくれるなら家賃とかもいいし……ほかは……」
そこまでマルクスがしゃべると、ロートスは笑い出す。
「お前心配性だな。爵位返上の書類は辞表受け取らせるために作るだけだってヴァイス言ってた。まぁ、別に返上しても良いって父さんは言ってたけど」
「そこが怖いんだよノイ家!!まじでやっちゃいそうで!!財産も没収だよ!?」
「また稼げばいいんじゃないの?」
「一芸特化強いな!」
「でも、ありがと。父さんにも言っとく。ボロ屋で気兼ねなく家族で住むのもいいよな」
「最終手段だからな!!俺はお前と一緒にいたいから国外逃亡だけはやめてくれよ!」
「そうだな。僕もお前といるの楽しいし、ちょっと勿体ないか」
「あ、そんじゃマルクス君も一緒に来る?魔物狩れるんだったら養ってあげるよ」
「俺の永久就職先がノイ家になったぁ!って、あ、ノイ伯爵」
頭を抱えて勢いよく突っ込んだマルクスは突然会話に割って入ってきたフレムデに驚き、慌てたように頭を下げた。すると一緒に来たヴァイスは咽喉で笑って口を開く。
「いい友達だな。授業サボって大丈夫なのか?」
「モーリッツがノートとってくれてるんだって。僕と違って友達多い」
「そりゃイイ」
速攻で席について侍女が紅茶を入れる前にタルトを食べ始めたフレムデとは逆に、ヴァイスはちらりと屋敷に視線を送ってから漸く着席した。
「ホールなんですけど、大丈夫ですかヴァイス様」
「ホールならいける。時計回りに二番目とってくれ」
「かしこまりました」
侍女は指示通りにタルトをヴァイスの皿に乗せる。それを眺めてマルクスは安心したように息を吐き出した。口にするものに対して神経質になるのを知っているだけに、まだ加減がわからないのもあって気を使う。けれどそんな事をマルクスが考えているのに気がついたのだろう、ヴァイスは薄く笑った。
「そんな気ィ使わなくても大丈夫だ。こっちでちゃんとやっから」
「あ、はい。えっと、ミュラー伯爵家の養子になったって聞きましたけど」
「情報早ェな」
「ベルント情報です」
「あぁ。財務の息子か。今朝叔父貴に出してもらった。そろそろ受理されてるんじゃねぇの」
ヴァイス独断ではなくミュラー伯爵家自体が早々に出すことに決めたのかと少しマルクスが驚いたような顔をすると、のんびりとした声色でフレムデが言葉を放つ。
「えぇ?ついでに爵位返上の書類も頼めば良かった」
「そっちは辞表ねじ込むのに使うって説明したろ。どんだけ爵位返上したいんだよ」
「面倒臭い」
「父さん当主の仕事やってないじゃん。爺さんと兄さんに丸投げだし」
「家族に楽させてあげようと思って」
爵位を返上することが楽をさせてやるという感覚な事にマルクスがひっそりと驚いていると、フレムデは子供のように口を尖らせる。
「まぁ研究所辞めれるだけでいいかー。会議長引いて家族と食事できないとかなくなるだろうし。あ、学園どうする?続けるならロートスが卒業まではこっちいるけど」
「僕はどっちでも良いけど……姉さんの希望聞いたら?」
「居心地悪くて嫌なら仕方ねぇけど、できるなら卒業しとけ。国外に後々行くにしても、中央の学園卒業の肩書ありゃ国交のある国なら役に立つ」
それは知らなかった、そんな顔をしたのはマルクスだけではなくロートスやフレムデも同じで、ならイリスの希望を聞いて決めるかとそんな流れとなる。しかしながら、ヴァイス自体が国外逃亡の可能性をまだ持っている事に僅かにマルクスは心配になった。
「とりあえず……えっと。婚約は破棄、ノイ伯爵は研究所を辞めて、他はあんま変わらない感じですかね?」
「そうだよ。あ、ヴァイス君がミュラー伯爵家になったね。アクセ喜んでるんじゃない?」
「叔父貴?そーだな。けど、アンタには怒ってた」
「えぇ?何で?」
「また新作魔具溜め込まない様に確認しに行くの面倒なんだと」
「あー。昔溜め込んで怒られたなぁ。だから研究所入れって言われた。あっちは進捗管理とかあるから。でもそれが面倒臭い。作りたいもの作りたい」
「まぁ、俺が適当に工房見に行くから良さげなの紹介してくれ。使えそうなのこっちで選別して売る」
金になるのに作るだけ作ったらほったらかしなことも多いフレムデの尻を叩いて新作魔具をミュラー会長は広めていたのだろう。商売っ気が全く無いノイ家。
「あと、ノイ家の利権利率はそのままで良いかって言われてんだけど。研究所の中抜き分減るからあと一割は上げれる」
「いいよそのままで。手間賃だと思って儲けといて」
「わかった」
結構重要な話さらっと決めるなぁ、そんな事を考えながらマルクスはタルトを食べきる。
そんな話をしていると朗らかな声が聞こえてマルクスは振り返った。
「イリス様」
「あら、マルクス君。遊びに来てたの?」
遊びではないがそう言われてしまえばマルクスは曖昧に笑う。ここまで来ればそんな気はしていたが、萎れた様子のないイリスの姿を確認して少しだけホッとした。
「賠償金の書類書き終わったけど」
「賠償金!?イリス様が払うんですか!?」
「イリスに問題はねぇんだから、王家側に決まってんだろ。普通の婚約でもあんだろ」
「ありますね。あー、吃驚した。因みに幾らぐらいですか?いや、あんま金の事聞のアレだと思うんですけど、純粋な興味で……」
「手前ェの家吹っ飛ぶ位」
「うわぁ」
ヴァイスの言葉にマルクスは悲鳴を押し殺す。ただでさえフレムデが研究所を辞めることで来季以降の国庫が心許ないと言うのに大丈夫なのだろうかと変な汗が出てきたマルクスを眺め、つまらなさそうにヴァイスが口を開く。
「賠償金の請求しねぇから以降そっとしといてくれって交渉すんのに使うんだよ。イリス引き止めるためにあれこれ画策してきたら邪魔臭ェし。これありゃ財務方面から王家側に呑めって圧かけてくるだろ」
「別にお金は稼げばいいしねぇ。賠償金放棄は構わないんだけど、やっぱり夕方の宰相閣下と国王陛下との話ヴァイス君来ない?色々交渉するの面倒臭い」
「ちゃんと台本考えてやったろ。ノイ家の安寧の為に最初で最後の当主らしい仕事しろよ」
「それもそうかぁ」
できればヴァイスに丸投げしたいという空気であったが、ノイ家の安寧と言われれば納得したのかフレムデは漸くやる気を出す。それを眺めてイリスは瞳を細めて口を開いた。
「お父様お願いしますね。以降!!のんびり過ごしたいです!!」
「それじゃぁちゃんと交渉してくるよ。ぼくものんびりしたいし確かにまた指図されるの怠いし」
「そうしてくれ。第二王子殿下の婚約者の座が空いてゴタゴタすんのに巻き込まれたくねぇだろ」
「え、エーファさんが座るんじゃないの?」
「一筋縄じゃいかねぇだろ。子爵令嬢じゃ格が足りねぇし、ノイ家が金を運んでくるからそっちの方が得だって黙ってた連中も躍起になんだろ」
「えぇ?でも殿下って王太子に子どもできたら公爵になるんでしょ?それでもやっぱり争奪戦なの?」
不思議そうなイリスの言葉にマルクスは驚いたように声を上げる。ノイ伯爵家の中で唯一まともに社交に出ているイリスは貴族感覚的な部分は比較的マルクスに近いが、それでも根本的な所はノイ伯爵家なのだろう。
「公爵とか俺からすれば雲の上の人ですからね!!うちの姉ちゃんがもしも公爵家に輿入れとかになったら、領内一同お祭り騒ぎですよ!?」
「そういうこった。ルフトの寵愛得てる聖女候補引きずり下ろしたいんじゃねぇの」
「泥沼の予感しかないですね」
思わずマルクスが突っ込んでしまったのも無理はない。爵位にこだわらないノイ家の面々には理解できないのだろうが、彼にしてみればイリスが座っていたから損得勘定で他が黙っていたと言うヴァイスの話も分かる。そういう意味でイリスと言うのは十分に国のゴタゴタを抑えていた存在だったのだとマルクスは思った。大破壊でボロボロだった国をひっそりと財政面、政略面を支え続けていたのだろう。そして今は亡き風切姫は国防面でも柱であった。
「……あのう……ノイ伯爵」
「何?マルクス君」
「いえ。もしもイリス様が円満に婚約解消だった場合は研究所続けられました?」
「円満解消の時?まぁ、続けてくれって言われたら続けたかもねぇ。一応はじめに約束した通り、解消時は瑕疵なしでイリス返してくれる訳だし。でも今回は駄目。向こうが先に約束破った」
「ですよねぇ」
子どもの様に口を尖らせて言うフレムデを眺めてマルクスは、ノイ家にとって約束大事、そんな当たり前だが意外と蔑ろにされがちな事を心に刻んだ。
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