第20話

 そして試験期間が終了する。

 数日かけて行われる試験の順位は採点後に掲示されるのだが、それを前にしたマルクスは驚きに瞳を見開く。


「思ったより成績良かった!」

「よかったじゃん」

「さらっとお前上位なのな。知ってたけど!!これはヴァイス様にお礼言わないと駄目なやつだな。貰った過去問がすげー役に立ったし」


 そして当然の様にヴァイスは首席でイリスは二位であった。それを眺めるイリスは首を傾げる。


「やっぱり勉強時間きっちり取ればそれなりの成績になるのね。二位は初めてだわ」

「そりゃ良かったな。たっぷり睡眠も取れて頭も冴えてるんじゃねぇの」

「ストレスフリーって素晴らしいわ。ぐっすり寝れる」


 最近のイリスはと言えば、今まであれこれと王族教育やら義理の付き合い等に割いていた時間をばっさりと切り落としたお陰で精神的にも余裕が出てきたのか、朝は爽やかな目覚めであるし夜もぐっすり眠れている。気が付かないうちに摩耗していたのだろうとヴァイスに言われればそうなのかもしれないと漸く自覚した。

 伸びてきたヴァイスの手がイリスの頭を撫でる。


「よく頑張ったんじゃねぇの。お疲れさん」

「ありがとう」


 イリスも褒められるのは当然嬉しい。それができて当たり前だと周りから思われていることでも、昔からヴァイスはイリスの事を褒めてくれた。ヴァイス自体は天才肌で苦もなく何事も出来てしまうのだが、だからといって人の努力を無駄だとは笑わない。寧ろそうやって時間や手間をかけてこつこつと頑張る事ができるのは大事なことだといつも言う。

 瞳を細めて嬉しそうに笑うイリスを眺め、ヴァイスは僅かに口元を緩めると時計に視線を向けた。


「そろそろ追加講習の時間じゃねぇの」

「そうね。ロートスと行ってくるわ」

「図書館で待ってる」


 長期休暇前の全学年混合の追加講習。昨日は魔術師団の訓練見学であったのだが、今日は騎士団の訓練見学である。

 ロートスとマルクスがそばに寄ってきたので、イリスは一緒に集合場所へと移動した。


 そしてヴァイスは一人で図書館に移動すると、適当に本を選び椅子に座って視線を落とす。これといって読みたい本がある訳ではなく、単なる暇つぶしである。

 そんなヴァイスに後ろから声がかかった。


「首席おめでとう。いつもの事だけど」

「そうだな」


 いつもイリスとヴァイスがそうしていたように、レアはヴァイスと背中合わせの席に座り小声で言葉を零す。

 オリヴァーに関しては休んだのは一日だけであったのだが、ノイ家が突きつけたそっとしておいてくれという要求を聞いたのだろう、挨拶以外は積極的に接してくる事もなかった。そして、ルフト、エーファ、レアに関しては試験だけ受けに来ていた。期間中は授業もなく試験が終われば解散となるので、学年が違うのもありヴァイスがレアの声を聞くのも久し振りとなる。


「……お義姉様に直接お詫びできないのが歯痒いわ」

「イリスは気にしてねぇよ。あともうお義姉様じゃねぇんだけど」

「そうね。お兄様も馬鹿なことをしでかしてくれたわ。中央は大混乱よ」

「金策でだろ」

「勿論それもだけれど、空いた婚約者の地位に関してよ」

「どうでもいい」


 小さくため息をついたレアには疲れが見えていた。それに気がついたヴァイスは僅かに瞳を細めて本のページをめくる。

 イリスが婚約者から外れたことに対する気落ちもあるだろうが、恐らくエーファを元々好いていないのもあり複雑な心境なのだろう。無論簡単に子爵令嬢が第二王子の婚約者になれる訳ではないのだが。


「お兄様も直ぐにエーファさんの事を認めて貰えるとは思っていなかったみたいなのよ」

「認めて貰えると思ってたら流石に引くな」

「……ねぇヴァイス。貴方はずっとエーファさんを警戒していたわね。こうなる可能性を考えてた?」

「思ったより早かったってレベルだな。生徒会に入れた時点で詰んでたんじゃねぇの。そうなりゃ俺は最低限の被害で着地させるしかできねぇよ」


 ヴァイスは聖女候補を生徒会に入れる事に反対していた。元々ヴァイスが贔屓にしているノイ家や彼がいずれ養子になる予定のミュラー商会が神殿と余り折り合いが良くないと言う理由からの発言だと判断したルフトは結局彼の反対を退けた。それに対してヴァイスは、ならちゃんと生徒会で面倒みるんだな、と言ったっきりその話題には触れず、無論生徒会の方針自体には口を出さなかった。

 それでもイリスと水面下では生徒の不満を抑えたりと動いてはいたのだ。レアはそれを知っているし、一緒に何とか出来ないかと画策もしていた。


「……知ってる?お兄様は昔エーファさんにお会いしたことがあるんですって」

「下町で違法薬物の取締に巻き込まれたとき代わりに人質になったんだろ。その後も時々会うことがあったんじゃねぇの。そんで新入生案内ん時に迷子になったあの女を第二王子殿下が見つけたとかそんなん」


 つまらなさそうにヴァイスが言い放ったので、レアは驚いたように瞳を見開いた。


「そこまで把握してるの少し怖いわね貴方。オリヴァーは全然知らなかったのに」

「アイツは第二王子殿下を守るのが仕事だからな。周りまで見てねぇよ」

「恋愛沙汰にも疎いわよね」

「……運命的だとでも思ったのかもな。よくあんだろ。身分隠して会ってた女と再会とかそんな与太話」

「陳腐な恋愛小説ね」


 陳腐と言い放ったレアの言葉にヴァイスは咽喉で笑う。


「運命なら精々二人で乗り切ればいい。俺には他にやる事あっから付き合わねぇけどな」

「やること?何?」

「……イリスの幸せ探し」


 それは小さな声。レアはヴァイスの吐き出した言葉に驚いたように息を詰めた。訪れた沈黙の後にヴァイスが咽喉で笑い言葉を放つ。


「陳腐だって言わねぇのな」

「風切姫ならこう言ったでしょうね、『それは浪漫溢れる素敵な話だ。では私は君の望みが叶うように赤い花に悪縁と穢を乗せて川に流すとしよう』って」


 レアが敬愛する風切姫は以前レアにそんな風習の話をしてくれた。赤い花を川に流すのは悪縁や穢を削ぐため。それは大事な人の幸せを願う祈りの儀式だと。

 きっと己の愛娘の幸せを願ってくれていると知ったら彼女はヴァイスにそう言葉を放つだろうと思いレアが言うと、ヴァイスは少しだけ体重を椅子の背もたれにかけて天井を見上げる。


「一番最初に会った時に言われた」

「ならきっと貴方の悪縁も穢も風切姫が彼岸へ持っていったわ」


 風切姫の棺桶に敷き詰められたのは、大人が彼女の彼岸への旅路が良きものであるようにと思いを込めた白い花と、子どもたちが己の穢を預けた赤い花。子供の幸せのために悪いものを全て彼岸へ持っていくのが最後の大人の仕事だと言う風切姫の故郷の風習。

 レアもだがヴァイスも赤い花を棺桶に入れた。ヴァイスは涙一つ見せなかったが、悲痛な表情はレアの印象に残っている。


「……貴方なら絶対に諦めない、やり遂げるって信じてる。どうかお義姉様の幸せを探して差し上げて。長い間国に尽くしてくれたあの方に何もして差し上げられないけれど、わたくしもあの方の幸せを願ってる」

「願うだけじゃ意味ねぇよ。末姫も手伝え」

「……は?」


 思わず間の抜けた声を上げてレアはヴァイスの方を振り返る。すると彼は意地の悪い笑いを浮かべてレアの方を向いていた。


「王族としてゴタゴタに巻き込むのは違反だけどよ、友達として付き合うならイリスも喜ぶだろ。いくら身内以外どうでもいいノイ家でも、友達蔑ろにする程薄情じゃねぇし、イリスも落ち着いたら末姫に声かけたいって言ってた。イリスにとって末姫と過ごした時間は楽しかったんだろ」

「本当……お義姉様……大好き……」

「とりあえずお義姉様直してからだけどよ。友達っぽくねぇし」

「わかったわ。イリス様。イリス様でいいかしら。呼び捨ては流石に恥ずかしいわ。ええそうね!イリス様の幸せ探しわたくしもお手伝いしますわ!」


 急にテンションが上がったレアを眺めヴァイスは呆れたような表情を作ったがそれは一瞬で、赤い瞳を細めて笑う。


「俺が失敗したら、後は頼む」

「貴方が失敗するはずないじゃないの」

「……失敗繰り返して漸く今の状態なんだよ」


 自嘲気味に笑ったヴァイスを眺め、レアは不思議そうな顔をした。

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