第18話 カップル厨の決意

 その夜。

 俺は自分の寮で着替えもせず思考の海に潜っていた。


 俺にとって、ローゼリアは『ソドアス』で最も印象的なヒロインだ。

 最初に攻略したのも彼女だし、一番好きなルートは誰かと聞かれたらローゼリアと答えるだろう。

 ローゼリアが好きかと言われれば、その答えは間違いなくイエスだ。


 しかし、それはキースの隣にいるローゼリアが好きという意味で、ローゼリアその人が想い人という訳ではないと思っていた。


「…………」


 だが、今日一日ローゼリアと接してきて、俺はどう考えていただろうか。

 至近距離で見る彼女の顔を見てどう思っただろう。

 長いまつげ、赤く光る凛とした瞳。

 花畑にいるような甘い香り。

 

 俺は絶え間なく心臓をドクドク鼓動させていた。綺麗だと思った。


 でも、俺はヴィクセンであってヴィクセンではない。

 昨夜彼女が言った遠い昔の初恋幼きヴィクセンではない。

 ……あの・・ヴィクセンがローゼリアの初恋と言うのは未だ半信半疑であるが、彼女の言葉を信じるならそうなんだろう。


 ……俺は、カップル厨だ。

 カップルを見ることに人生を懸けてきた代償に、俺は自分の恋愛がよく分からない。


 確かに、ローゼリアは魅力的な女性だ。

 『ソドアス』の人気ヒロインランキングでも一位となっていることから、それは明らかだ。


 だが、彼女が恋しているのは俺ではなくヴィクセンだ。

 俺が彼女の甘言に乗ってしまえば、それは俺がヴィクセンからローゼリアを奪ったともとれるのではないだろうか。


 俺は、今まで自分が忌み嫌ってきた寝取り野郎になってしまうのが怖いし、あんな悪役でも想い人を横から掠め取るというのは気が引ける。


「どうしたらいいんだ……」


 深い思考の海に潜っていると、不意に扉からコンコンと音が聞こえる。

 ……リーゼットだろうか。


『ヴィクセン? いるかしら?』

「――!」


 なんと、来訪者はローゼリアであった。

 出るべきか、居留守を使うべきか。


 一瞬悩みはしたが、俺は気付けば扉の方へ歩いていた。


「……何の用だ」


 俺は敢えてぶっきらぼうな口調で言うが、ローゼリアは気にしない様子でにこりと笑った。


「寝る前のお茶に誘いに来たのよ。ほら、行くわよ」

「え、は?」


 いきなりの言動に口を開ける俺に構わず、ローゼリアは俺の腕を掴むとぐいぐいと部屋の中に入って行った。


 どうするべきかと困惑するが、ローゼリアの性格はよく知っている。ここで出て行けと言っても聞く人ではないだろう。

 俺は渋々その誘いに乗ることにした。


▼▼▼▼


 俺たちは、部屋に置かれた豪華なソファに横並びに座っていた。

 目の前のテーブルに置かれた紅茶からは湯気がたっているが、部屋は完全な静寂に包まれている。

 お互いの呼吸音が聞こえてしまいそうな程だ。


「懐かしいわね。昔もこうやって、貴方とお茶を飲んだ」

「……それで? 結局なにしに来たんだ? まさか本当に茶を飲むだけというわけではあるまい」


 痺れを切らした俺は、改めてローゼリアを見つめる。


「ラフィーに聞いたのよ。貴方の様子が少しおかしかったって」


 ラフィーのやつ……余計な気を回しやがってィ……!


「ヴィクセン様が悩んでいる様子だったって言われてね。少し様子を見に来たのよ」


 そう言って、ローゼリアはカップを口に着ける。

 その所作は皇女らしくとても優雅だ。

 それに、表情、姿勢、声、全て計算尽くしではないかと思える程、彼女の姿は俺の目を奪った。


「……そうだな、お前のせいで散々な一日だった……よ……!?」

「……」


 恨み言の一つは言ってやろうと悪態をついた俺だったが、ローゼリアの瞳に涙が溜まっているのを見て固まってしまう。


「……私は、迷惑、だったかしら」


 ローゼリアは涙を頬に流しながら、震える声でそう言った。


 ……本来であれば。

 俺は彼女の言葉にその通りと言うべきなのだろう。


 そうすれば俺に失望したローゼリアは俺に付き纏うことはなくなり、そこにキースでもあてがって慰めてやれば、俺の望みは成就するかもしれない。


 だが、気付けば俺は、勝手に口を開いていた。


「そういう訳では……ない」


 時折、俺はローゼリアと一緒にいると本意ではない動きをしてしまう。もしかするとこの身体に残っているヴィクセンの残滓のせい……かもしれない。


「本当に……?」

「ああ」

「じゃあ、私はこれからも貴方の側にいていいの……?」

「そ、れは駄目だ」


 俺は縦に振りそうになった首を辛うじて制御し、そう言った。


「なんで? 自惚れじゃなければ貴方は私のことを想ってくれている。私と同じ空間に二人っきりのこの状況に胸を高鳴らせてくれている。それなのになんで……!」

「……お前が結ばれるべきなのは、俺じゃない」


 俺は血反吐を吐く思いでそう言った。

 ……俺は何故そんな感情を?ローゼリアがキースと結ばれる。それが俺の望みのはずだ。



「……どういう、こと?」

「お前が女帝となる夢を叶え、幸せになるためには、俺と結ばれてはいけないんだよ」


 ローゼリアは、キースが彼女を選ばなかった場合、どのルートでも破滅の運命にある。

 そう考えると、悪役であり嫌われ者であるヴィクセンと結ばれた場合、どうなってしまうかは想像に難くない。


「ヴィクセンは、私に幸せになって欲しいの?」

「それは……そうだ」


 俺は顔を伏せ、本心のままを口にした。

 俺はどうするべきだなんだと言っているが、俺の最終目標はヒロインたちがキースと結ばれ幸せになること……ハッピーエンドになることだ。

 なに、『ソドアス』にはハーレムエンドも用意されている。懐の広いキースであれば、きっと全てのヒロインを幸せにしてくれるだろう。


「……でも、今の私って幸せかしら」

「……えっ?」


 その言葉に、俺は思わず顔を上げる。

 視界に映ったのは、涙を流しつつ釈然としない表情のローゼリアだった。


「好きな人に勇気を出して好きだと伝えた結果、それじゃあお前は幸せにならないなんて理不尽な断られ方をした私は幸せかしら」

「そ、れは……!」

「少なくとも、今の私はあなたのせいで悲しい気持ちだわ」

「……!」


 そう言って、ローゼリアは涙を拭う。


 た、確かに、彼女の言葉は一理ある。

 俺の目標は究極、ヒロインたち幸せにすること。

 今の俺の行動はそれに反していると言っても過言ではない。


 ……しかし。


「でも、だめだ。俺はお前の初恋に、応えることができない」


 ローゼリアの初恋は俺じゃない。

 あの日、孤独だった可哀そうな皇女様を救ったのは、俺ではないのだ。

 俺はカップル厨として、人の恋を騙して奪い取るような真似だけはしたくない。


「……そう」


 小さい声で、ローゼリアは呟く。

 それから、少し時間が流れた。

 何も聞こえない、互いの鼓動すら聞こえるほどの静寂。


 そして、紅茶からたつ湯気が見えなくなった頃、ローゼリアは口を開いた。


「……初恋は、捨てるわ」

「!」


 予想外の言葉に、俺は目を見開く。

 それはつまり、ローゼリアは俺を諦めてくれたということだろうか。


 ……だが、この胸の苦しみはなんだろうか。

 カップル厨としての俺は喜んでいるが、ヴィクセンである俺は悲しんでいる……そんな感覚だ。

 

 しかし、感情がごちゃまぜになっている俺に、ローゼリアはそんな感情が吹き飛ぶことを口にした。


「そして、これを二回目の恋にする」

「……は?」


 俺はその言葉の真意が分からず、思わずローゼリアの方へ振り向く。

 するとその瞬間、俺の顔は彼女の両手でロックされた。

 な、なにごと!?


「貴方って、私のこと魅力的だと思っているのよね?」

「え、は、はぁ?」

「答えて。正直に」

「そ、それはまぁ、魅力的……だと思う」


 顔をずいっと近づけられ、その暴力的なまでの美貌を目の前にした俺の口は勝手に開いていた。


 俺の返事にローゼリアは自信満々の笑みを見せ、元気よく立ち上がり、俺を正面から見つめる。


「自分とくっついたら幸せにならない、お前と結ばれるべきは俺じゃない……貴方がそんなこと二度と言えなくなるよう、私に魅了させてあげる」

「――――」


 宣戦布告のような言葉に、俺は驚き、そして納得する。


 そうだ。ローゼリアとはこういう人だった。

 皇女らしく、威厳たっぷりで器の広いように見える彼女だが、その本質はとても我儘で年相応に欲深い少女なのだ。


「私は貴方も幸せも勝ち取って見せる。この手でね」


 ローゼリアは最後に少女のような無邪気な笑みを俺に見せると、きびきびとした足取りで部屋を出て行ってしまった。


 ……確かに、キースと結ばれなければローゼリアが幸せにならないと言うのは、俺の思い込みかもしれない。ローゼリアのことを欠片も信用していない傲慢とも思える上から目線と言えよう。

 ローゼリアの想いを勝手な思い込みで踏みにじる最低野郎と言われても仕方ない。


「だが、それはそれ、これはこれだ」


 俺は、カップル厨として、キースの横に立つ幸せそうなローゼリアが見たいのだ。


「俺は、ローゼリアの誘惑を撥ね退け、キースとローゼリアのイチャイチャを見届けるんだ!」


 俺は、一人になったこの部屋で改めてそう宣言したのだった。

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