第15話 皇女ローゼリア
ヘルタライア帝国帝都ウルガ。
その中心にある宮廷は、他国の王城など足元にも及ばないほど大きく、そして美しい。
そんな宮廷の裏庭にて、赤い髪を持つ一人の少女が暗い表情で茶を飲んでいた。
裏庭と言っても、大の大人が三十人程で宴会をしてもなお余りある広さがある。その中心でぽつんと一人で座っている彼女は、もしここに通行人がいれば奇異に映るだろう。
六歳か七歳に見える少女の名は、ローゼリア・フォン・ヘルタライア。現皇帝と正妃の間に生まれた長女にしてヘルタライア帝国第一皇女。
普通、彼女と同年代の貴族の令嬢であれば友達の一人や二人持っているものだ。しかし、彼女のあまりに高貴な身分と、女性である彼女は帝位継承権を持たないことから、ローゼリアに近づく大人も子供もいなかった。
そんな日々に慣れてしまいすっかり心を閉ざしてしまった彼女は、今日も独りで茶を啜る。
しかし、その日は違った。
「こ、困ります。ここには皇女殿下がいらっしゃいまして……」
「知っている! ここを通せ! 俺はさいしょうの息子だぞ!」
「……?」
にわかに、裏庭の入り口が騒がしくなる。
ローゼリアがそちらを見ると、そこには諦めた顔をした騎士と一人の少年がいた。
少年は幼いながらも将来は女性に困らないだろう端正な顔を持っており、その金色の髪は目を細めてしまう程眩いものだった。
「あなたは……?」
久し振りに口を開いたローゼリアの声は震える程か細かものだった。
しかし、少年はその声を聞いて嘲るようなことをせず、人懐っこい笑顔を浮かべた。
「俺はヴィクセン。いつも独りぼっちのお前と友達になってやる! 俺はかんだいだからな!」
あまりに偉そうな言葉は、だからこそローゼリアの記憶に深く刻まれた。
▼▼▼▼
それから二年ほどが経った。
その日も、ヴィクセンとローゼリアは宮廷の裏庭でお茶会を開いていた。
皇女であるローゼリアと、次男とはいえ公爵の息子であるヴィクセンは貴族たちから遠巻きにされることも多く、そんな彼らが互いを親友と呼べる仲になるまでそう時間はかからなかった。
だが、ローゼリアは知っていた。同年代の友達が一人もいない自分とは違って、ヴィクセンには何人かの友がいた。それでも自分の所へ遊びに来てくれる彼を、ローゼリアは優しい人だと思っていた。
その日、ローゼリアとヴィクセンは騎士物語に花を咲かせていた。
騎士物語とは、帝国では盛んな小説の一種で、騎士である男が強大な魔物を倒したり、隣国との戦争で大手柄を残したりして成りあがっていく、庶民に人気なジャンルだった。
「それでね! 騎士ローシェは王国を襲うアンデッドの大群を一人で倒すの!」
「へぇ」
「王国を救ったローシェは、好きだった王女様と結婚して自分たちだけの国を作るのよ!」
「良い話だな」
と言っても、専ら口を開くのはローゼリアのみで、騎士物語にさほど関心がないヴィクセンは相槌を打つだけだ。
しかし、ローゼリアはそれで満足していた。
これまでローゼリアには話を聞いてくれる者すらいなかった。それに、ヴィクセンも口数は少ないものの、その表情は楽しそうだ。
ローゼリアはそれで満足していた。
「好きだった人と結婚して幸せになる……。憧れるな。お前にはそんな人いないのか」
「……っ!」
なんとはなしに発言したヴィクセンの言葉に、ローゼリアの表情は暗くなる。
「ど、どうしたんだ?」
「あのね、私昨日聞いたのよ。私は将来、お父様が決めた相手と結婚するんだって」
「――!」
ローゼリアは皇女だが、ヘルタライア帝国では女性が家督を継ぐことは出来ず、それは皇帝も同じことだった。
「私に望まれているのはお父様と他の貴族の関係をより強固にすること。好きな人と結婚なんて私には出来ないわ」
「そ、れは……」
目にうっすらと涙を溜めながら悲痛そうな表情を浮かべるローゼリアを前に、ヴィクセンは口ごもってしまう。
今まで自分を孤独から救い楽しませてくれたヴィクセンでも、こればかりはどうにもならない。
ローゼリアの心は闇に染まろうとしていた。
「ロ、ローゼリア!」
「っ!?」
だが、ローゼリアの頬に涙が伝わろうと思われたその瞬間、彼女の両手はヴィクセンの手に包まれた。
「俺が、兄貴を出し抜いて宰相になったら、お前を皇帝にしてやるよ」
「え、えぇ……?」
脈絡のない、更に荒唐無稽な言葉にローゼリアは固まってしまう。
しかし、ヴィクセンの表情は真剣そのものだ。
「そうなったら、お前が好きな人と結婚した時に文句言う貴族なんて、俺が黙らせてやる」
ヴィクセンの兄は非常に優秀な人だと人づてに聞いているし、例え彼が宰相になったとしてそう上手くいくだろうか?
しかし、彼の自信満々な顔を見ると、その考えはどんどんと薄れていく。
「だから、お前はお前の好きな人と結婚しろ。きっと、お前に相応しい相手が見つかるし……俺もそう願っているよ」
ヴィクセンはそう言って、いつもの尊大な笑顔ではなく、人好きのしそうな優しい笑顔を浮かべる。
無謀だ。無理だ。馬鹿馬鹿しい大それた夢だ。
しかし、その言葉こそローゼリアが求めていたものかもしれない。
ローゼリアは今度こそ涙を流しながら頷いた。
でも、その表情に悲しみの色はない。浮かべているのは溢れんばかりの笑顔だった。
――自分にとっての騎士とは誰かを胸に秘めたまま。
▼▼▼▼
「あ、ああ……?」
俺はゆっくりと目を開ける。朧げに、覚えのない天井が目に入る。どこだ、ここ。
「し、知らない天井だ」
言ってやったぜ、人生で一度は言いたい言葉ランキングTOP10の言葉をな。
「ヴィクセン!? 貴方目を覚ましたの!?」
未だぼやける視界に映ったのは真っ赤な髪の毛。
「ローゼリア……か?」
「あぁ、よかった! リーゼット!」
「医師を呼んできます!」
左側からリーゼットの声と、扉が閉まる音が聞こえる。
俺は、何をしてたんだっけ。
なんか、夢を見ていたような……。いや、あれは俺の過去……?
過去とはいっても二宮繁という男ではなく、この身体、ヴィクセンのものか……?
しかし、その思考を断ち切るように俺の体にぽすんと衝撃を感じた。
「ヴィクセン……!」
「ロ、ローゼリア!?」
段々とはっきりとなってきた目が、ベッドで仰向けになっている俺の体にローゼリアが抱き着く姿を捉えた。
彼女の目にはうっすらと涙が滲んでいる。
それを見ると、俺の体が拒否反応を起こす。その涙を見たくないと、全神経が訴えてくるような奇妙な感覚だった。
「良かった……本当に……。貴方、数時間も目を覚まさなかったから……!」
そうだ。俺はさっきまで盗賊たちと戦ってたんだ。
それで、最終的に盗賊頭にとどめを刺して……それからの記憶がない。
「ローゼリア、俺は……」
「盗賊たちを全員倒した後、倒れたのよ。無理はないわ。寸前でヒールが間に合ったけど、貴方死にかけていたもの」
どうやら、俺は意識を失っていたらしい。
まあ凄い数の傷を負ったし、血もすげえ流れてたしそらそうか。
俺はふと、窓の外を見る。
空はすっかり闇に覆われていて、もう夜も深いことを教えてくれていた。
「ねぇ、ヴィクセン……貴方、なんであんなに必死になって盗賊たちと戦ったの?」
「え?」
「だって、少し前までの貴方ならきっと、私たちのことなんか見捨てて逃げていたわよ」
逆にあの状況で逃げない奴なんかいるの?
俺の頭にそんな考えがよぎったが、あの状況で逃げるからこそヴィクセンは悪役なのだろう。
こんなことを思われるなんて、本当に性格の曲がってるやつだ、ヴィクセンは。
「ねえ、どうして?」
「ぅぉ……!」
俺が黙っていると、ローゼリアはぐいと顔を近づけてくる。
近い近い俺がなんで助けたかなんていや顔が良いな俺が助けなければお前たちはいや近いなんかいい匂いするキースとくっつかないそうしたら俺がカップルをみることがいや近いってぇ!
「お、俺のためだ」
「……あなたの……ため……。そっか……」
高鳴る心臓のせいで、俺は自分が何を言ったのか聞き取れない。
だが、それで満足したのかローゼリアは俺から顔を離し、窓際に置かれた椅子に座る。
空は闇に覆われていると言っても、一面真っ黒という訳ではない。
きらきらと輝く星々や、黄金に輝く月によってつくられた幻想的な光が、ローゼリアの後光のように降り注いでいた。
あ、これ、やばい。
傍から見れば今の状況はギャルゲーのイベントCGのようなありさまだ。
この状況、告白イベントと言われても俺は疑わない。役者には文句を言うが。
顔に少し朱を灯すローゼリアの表情も、それに拍車をかけている。
「ロ、ローゼリア。心配をかけたな。だが、もう遅い時間だ。俺は大丈夫だから、お前はもう寮にもどれ。明日も授業だろう?」
「……優しいわね。こんな時でもまだ私の心配をしてくれるなんて」
ち、ちがーう!心配じゃない!
今の状況はマズイ!非常にまずい!
先ほどまでヒロインを庇いベッドで横になる男と、そんな彼を遅くまで看病していたヒロインが夜の医務室に二人っきり!?
ここがエロゲーだったらもうパンツを脱ぐ時間じゃないか!
このままではキース×ローゼリア至上主義である俺は全身から血を流しながら死んでしまう!
「ねぇ、ヴィクセン」
「ひぃ!?」
俺のそんな考えなんかお構いなしとでも言うように、ローゼリアは俺の手を両手で掴む。
まずいまずいまずい!
こんなシーン、キースに見られたらお終いだ!
だが、ローゼリアは真剣な表情で俺を見つめている。その真っ赤な瞳から、俺は目を逸らせない。
な、なんだ何を言われる?
「もしかしたら、私、あなたのこと……」。
そんなこと言われたら目を覚ませるためにビンタの一発くらいしておいた方がいいか!?
きっとまた嫌われるだろうが止むを得ん。俺が見たいのはヴィクセン×ローゼリアなんかじゃなくキース×ローゼリアなん――
「ヴィクセン。私、貴方が好きよ」
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