第14話 悪役貴族の初戦闘(下)

 盗賊頭を含める三人の盗賊を同時に相手したことで俺のHPは7。一つの油断が死に繋がる危ない数字だ。

 

 俺は背中に嫌な汗が流れるのを感じながら腰に差された『ヒールの杖』に手を伸ばした。


 『ソドアス』において杖という装備は専ら治癒魔術のために使われるものだ。杖を使える兵種は限られており、『修道士』や『司祭プリースト』といった宗教にまつわる兵種が主だ。


 今の俺の兵種は【ハイロード】。最上級の兵種【ハイサーヴァント】であるリーゼットの前では霞んでしまうかもしれないが、【ハイロード】は上級兵種に分類される兵種であり、本来レベルが2である俺がなれる兵種ではない。

 しかし、敵として立ちはだかるヴィクセンの兵種が【ハイロード】だったことが原因だろうと推測していた。


 さて、そんな【ハイロード】だが、何故か使える装備に杖が含まれている。

 杖を使える兵種は少ない。ここにいる者だと俺しか使えないので、実質今の俺たちのヒーラーは俺だろう。


 そういう訳で、俺は少なくなった自分のHPを治癒すべく『ヒールの杖』に手を伸ばした。

 剣とか斧に斬られて体も痛いことだしな。


 ――しかし、俺は忘れていた。相手は盗賊と言えども、レベルを8までに上げた歴戦の猛者だということを。


「隙を見せたな! ガキ!」


 俺のその行動を見計らっていたかのように、俺が剣から左手を離した瞬間盗賊頭が鋼の斧を俺の脳天目掛けて叩きつける。


「しまっ……!」


 その意表のついた攻撃に、俺は思わずヒールの杖で防御体勢を作ってしまった。

 しかし、ヒールの杖はあくまで杖だ。呆気なく斧に弾かれ、俺のはるか後方──盗賊と戦っているローゼリアの方へと飛んでいく。


「ガキのくせに一丁前に杖なんか持ってやがって……これだから貴族のボンボンは嫌いなんだ!」

「ぐ、はっ……!」


 顔を怒りに染めた盗賊頭の攻撃をもろに喰らい、俺はその場に倒れる。

 HPは1残っているはずだが、体が動かない。体のあちこちが燃えるように熱い。剣や斧で斬られた箇所からドクドクと血が流れる。熱かったはずの体が急速に冷えていく感覚に襲われる。


「ヴィクセン!?」


 はるか遠くから、俺を呼ぶローゼリアの声が聞こえる。

 俺は重い頭をなんとか動かし、声のした方向を向く。

 すると、薄れていく視界の中でローゼリアが斧を持つ盗賊に勝利している姿が目に入る。


 よかった。勝ったのか。

 見れば、リーゼットも後一分も経たずに勝ちそうな状況だし、彼女たちが苦戦しているユリヤのもとへ助勢すればきっと勝てるだろう。


 ああ、体の感覚が無くなっていく。熱くもあり寒くもあった俺の体だが、温度すら感じなくなっていく。

 


 ──俺、死ぬんだ。



 そんな考えが頭に浮かんだ瞬間、視界の端にヒールの杖を持ってこちらへ向かってくるローゼリアの姿が映った。


(……ここで簡単に、死んじゃ、ダメだろ!)


 その姿を見て、俺の体に力が漲る。


 ローゼリアの兵種は【剣士】。下級兵種らしく、剣しか使えない兵種だ。

 そのため、当然杖なんか使えない。ローゼリアが俺のもとへヒールの杖を持ってきても彼女は治癒魔術を使えないし、俺の体はもう限界だ。杖を握る自信もない。


 だけど。


 俺はカップル厨だ。それはなにがあっても揺るがない。


 カップル厨とは、好きなカップルを見るためならどんな犠牲も厭わない者のことだ。

 俺がここで呆気なく死ねば、健気にも使えもしない杖をもってこっちへ駆け寄ってくるローゼリアの身も危ない。

 彼女だけではない。リーゼットも、ユリヤも死んでしまうかもしれない。

 そうなれば、彼女たちは真の意味で幸せになれない。


 それはダメだろ。特に、ローゼリアは。

 ローゼリアは女帝となるべく奮闘するのだが、その野望が叶うのは主人公と結ばれたルートのみだ。それ以外のルートでは、彼女は父である皇帝の傀儡となり、主人公と戦い死ぬ運命にある。

 主人公と結ばれ、女帝となり野望を果たした彼女はエンディングでこういうのだ。

 ――私、今初めて幸福という感情を知ったわ。


 そんな彼女は、俺にとって最も印象深いヒロインだ。こんなところで、道半ばで、盗賊ごときに殺されて欲しくない。

 

 ローゼリアは、この先主人公とくっつき本当の幸せを知り救われるのだから……!


「う、おおおおお!」

「なにっ!?」


 俺は残った気力を振り絞り、立ち上がって見せる。

 目の前の盗賊たちの驚いた顔は滑稽で、思わず笑ってしまう。


「ひぃ!?」


 すると、雑魚盗賊の一人が情けない悲鳴を上げた。

 人の笑顔を見て悲鳴をあげるとは失礼な、と思ったが直ぐに原因に思い当たった。 

 今、俺の体はボロボロだ。額から血が流れ、俺の顔は真っ赤になっていることだろう。顔だけではない。体の至る所から血が流れ、それは服に染み俺は悪鬼のような有様だ。


 そんな人間が急に立ち上がり笑えば怖がるのも当然か。


「恐れ入ったぜ、ガキ……。そんな体でまだ立ち上がるとはな。いいぜ、聞いてやる。お前は何のために立ち上がるんだ。そんなボロボロの体だ。諦めて人生終わらせた方が楽だろう」


 そんなもの、当然だ。

 俺はカップル厨だ。

 主人公と結ばれ、幸せになる彼女たちを見たいだけだ。


 大声でそう言ってやりたかったが、最早言葉を口にする体力もなく、舌も上手く回らない。

 だから、端的に言ってやる。


「……かのじょたちの、ためだ」

「……!」


 その瞬間、背後から誰かが息を呑んだ気配がした。

 

「かっこいいねぇ……。では、お前を殺した後にあの女たちは貰っていく。……あぁ、あの男の格好をしたアマは俺好みだ。楽しんでから性奴隷商人に売りつけてやるよ」


 だが、そんなこと今の俺に関係ない。

 

 俺の体に残る少ない血液が沸騰するように熱くなる感覚を覚える。

 今の盗賊頭の言葉は、奴が発した言葉で一番腹が立った。


「あ、ああああ!!」


 俺に剣を握る元気なんて残っていない。血が流れる両手をだらりと垂らしたまま、俺は盗賊頭目掛けて走り出す。

 俺にそんな気力が残っているとは思っていなかったのだろう。奴は目を見開く。


 実に滑稽だ。

 剣を握れないなら、お前の首を噛みちぎってやる!


 盗賊頭は驚きつつも、直ぐに斧を振りかぶった。例えその斧を叩きつけられようと、俺はお前を殺してみせる。道連れにしてみせる。


 ──ああ、だけど。

 結局、俺はこの世界に来てカップルのイチャイチャ、見れなかったなぁ……。





「『ヒール』!」





「…………え?」


 死ぬ覚悟を決めて走り出したその時、背後からありえない言葉が聞こえた。


 俺は思わず後ろを振り返る。


「な、んで……?」


 そこでは、ローゼリアが真剣な顔でヒールの杖を俺に向けて立っていた。

 ヒールの杖の先端にはめられた水晶玉が、淡い緑色の光を放っている。それは紛れもなくヒールの魔術が成功している証。


 現に、俺の体に何個もあった傷はみるみるうちに塞がっていく。


 —―なんで、【剣士】であるはずのローゼリアが杖を使っている?


 そう口にしようとした瞬間、ローゼリアの背後でユリヤが斧で槍を持っていた盗賊を切り伏せる姿が目に入った。

 ありえない。ユリヤの兵種は【レンジャー】。使える武器は暗器のみの、筋力が伸びづらい不遇職として知られており、斧は使えないはずだ。


「なぜ、ローゼリアが杖を……? それに、ユリヤもどうして斧を……」

「馬鹿言わないで。私が傷だらけの幼馴染を放っておくほど薄情だと思っているの?」


 飴玉のような涙を目の端に溜めながら、ローゼリアは震えた声でそう言った。


「どうしてって……このくたばった盗賊野郎から拝借したんだよ」


 ユリヤは顔についた返り血を乱暴に拭いながらそう吐き捨てた。


 一瞬思考が真っ白になった後、俺は自分の愚かさを嘆いた。


 そりゃそうだ、と。


 この世界は確かに『ソドアス』の世界観そのままだ。

 しかし、明確に違う点がある。

 それは、『ソドアス』はゲームで、この世界は現実だということだ。


 なるほど確かに、『ソドアス』では【剣士】は杖を使えないし、【レンジャー】は斧を使えない。

 だが、ここは現実だ。

 「僕は【剣士】だから剣以外の武器を使うわけにはいかないんです!」と戦場でのたまうバカはいないだろう。


「ヴィクセン様、よかった……!」


 呆ける俺に、リーゼットが抱き着いてくる。そこから感じる温度は間違いなく人の体温。ゲーム画面が映るディスプレイのような冷たさは一切感じない。


 そう、ここは現実だ。

 目の前でポカンとした表情でこちらを見つめる盗賊たちはゲームのデータなんかじゃなく、俺たちをとらえようと、はたまた殺そうとしている生きている人間だ。


 しかし、今や残る盗賊は三人。今更こちらを生け捕りにしようなどと考えていないだろう。

 今この瞬間、俺たちと盗賊は殺し合う関係になった。相手を殺さなければこの先生きてはいけない。


 俺は、心のどこかで人間に剣を振るうことを躊躇していた。

 だって、俺の前世は平凡な日本人で、人を殺した経験なんてない。それが普通の人間の価値観って奴だろう。


 だが、俺がここで盗賊たちを殺すのを躊躇えば、殺されるのは俺の後ろにいる二人といまだに俺に抱き着くリーゼットかもしれない。


 それはだめだ。それだけはだめだ。

 例え自分の手を真っ赤に染めようと、それだけは阻止しなければならない。


「……リーゼット。あとは俺がやる。お前は後ろで休んでおけ」

「いいえ、ヴィクセン様。私はあなたの従者。最後までお付き合いさせて頂きたく」

「何言ってるの。さっきまで瀕死だった人にこれ以上無理をさせるわけにはいかないわ。あなたこそ後ろで休んでおきなさい」

「ちっ。偏屈野郎が格好つけやがって」


 今の俺なら、盗賊三人くらい一人で殺せる。 

 だが、彼女たちは俺の横に並び武器を構えた。


「はっ! 裕福なガキどもが喚きやがって! こうすることでしか生きていけない男がいるってこと、存分に分からせてやるよ!」


 葉っぱから差す光に茜色が混じってきたころ、俺たちの長い戦いに終わりが近づいていた。


▼▼▼▼


「はぁ……はぁ……」


 俺は肩で息をしながら、剣を杖のようにしてよりかかっていた。

 眼下にはぴたりと動かなくなった雑魚盗賊二人と、息が絶え絶えな盗賊頭。


「お前らの、勝ちだ。さっさと殺せ」


 盗賊頭は喉からヒューヒューと息を漏らしながら、最後の意地を見せる。


「……あなたの遺体は、あなたの故郷に埋めておくわ」


 ローゼリアの皇女としての責務が感じられるその言葉に、盗賊頭は一瞬顔を歪ませるも、口角を上げた。

 

 俺は一歩その盗賊頭に近づき、その心臓めがけて剣を突き刺す。


「ガハァッ……」


 盗賊頭は口から大量の血を吐き出しながら、濁った眼で虚空を見つめ視線の先に手を伸ばす。


「セリーヌ……今、そっちへ……」


 だが、それも数秒。

 その手はすぐに地面に落ち、彼は完全に息絶えた。


 最期につぶやいたのは女性の名だった。

 それは愛する母親の名前かもしれないし、愛娘の名前かもしれないし…………最愛の想い人の名前かもしれない。


「…………」


 そういう意味では、盗賊頭もきっとカップルの一人だったのかもしれない。貧しいながらも幸福な家庭を故郷で築いていたのかもしれない。

 そんな人間の人生を終わらせたことに胸が痛むが、こうしなければキースとヒロインたちの物語も終わってしまっていた。

 なんだかやるせない気持ちだ。


「……お見事な指示でした、ヴィクセン様。あなた様がいなければ私たちは全滅していたでしょう」

「ちっ、今回ばかりは認めてやるよ」

「そうね。ヴィクセン、あなたやっぱり学園に来て変わったわね。少し前までのあなたならこんなこと――ヴィクセン? 顔が真っ白よ?」


 だが、こうして目の前の三人の命を救うことができた。

 そう考えると、少しだけ心が軽くなる。


 でも、このフワフワとした気持ちはなんだろう。

 自分が立っているのか浮いているのかすらわからない。

 苦しい?楽しい?痛い?


「ちょっと、ヴィクセン!?」


 ローゼリアの悲痛な表情が目に入ったのが最後に、俺は意識を手放した。

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