第5話 謎の文字

「ホ、ホームルームを始めます! 皆さん、ちゃ、着席してください!」


 誰がどう聞いても緊張で震えている細い声でそう言ったのは、教壇に立つ背の低い女性だった。

 亜麻色の髪に、分厚そうな眼鏡を付けた気弱そうな女性。彼女はビクビクとしながらも、生徒たちに着席を促す。


「こ、これよりホームルームを始めます!」


 全員が席に着いたことを確認すると、彼女はそう言った。

 ちら、と教室を見渡すと、ローゼリアを見つけた。ユリヤを待っていると言っていたが、どうやら間に合ったらしい。その隣には不思議そうな顔でこちらを見つめるユリヤも座っていた。

 ……なんだ?


「わ、私は今日から一年貴方たちをた、担任するヨーレ・フォン・シドレイアです! よろしくお願いします!」


 所々噛みながらも言い切った自己紹介に、生徒たちは拍手で返す。彼女の小さい背丈も相まって、発表会を頑張った幼稚園児が頭に浮かんだ。生徒たちに流れる雰囲気が学園初日から来る緊張からほんわかとしたものに変わる。


 恐らく、この場にいる者のほとんどが彼女を初めて見るだろうが、『ソドアス』を何回も周回している俺は勿論彼女のことを知っている。


 ヨーレ・フォン・シドレイア。 

 帝国子爵シドレイア家の次女で、勉強好きが高じてイドニック騎士学園の教師となった人物だ。

 だが、教師一年目から帝国の皇女がいるクラスを受け持つことになってしまった不運な人物でもある。

 先ほどからの彼女の緊張は、教室のど真ん中に陣取る第一皇女ローゼリアのせいだと言っても過言ではない。まぁ、元々ヨーレは気弱な性格でもあるが。

 ちなみに、合法ロリ好きの変態紳士諸君の皆さんには悲しいニュースだが、攻略非対象キャラである。無念。


「さ、早速ですが、今月末に行われる紅白戦についての話をさせて頂きます」


 紅白戦。

 俺はその言葉に敏感に反応した。


 何故ならば、今の俺であるヴィクセンがゲームから退場する、序盤のメインイベントの一つだからだ。


「こ、今回の紅白戦は、げ、現段階の皆さんの実力を計るために行うもので、成績には加味されません!」


 ゲームがスタートする四月。その月末に行われる紅白戦。

 主人公は白組の将となり、ヴィクセンが紅組の将となって行われるその戦いで、これに負けると、なんと主人公は退学となりゲームオーバーとなってしまうのだ。

 

 主人公を打ち負かしたヴィクセンが、こんな才能もない平民をこれ以上イドニック騎士学園にいさせるわけにはいかないと教師たちを説得し、最終的には宰相である父親に訴えかけ主人公を退学に追い込むのである。

 う~ん、流石ヴィクセン。淀みない悪役ムーヴである。


 だが、主人公が勝つと、見下していた平民に負けたヴィクセンが逆上し、主人公に斬りかかってしまうのだ。

 間一髪と言ったところでそれをヨーレが防ぎ、主人公は無傷で済むのだが、学園内で刀傷沙汰を起こしたヴィクセンは間もなく退学となる。

 ちなみに、その後のヴィクセンの出番についてだが、風の噂で乱心と診断され、辺境の地で幽閉されたことを聞かされるのみに留まる。

 悪役貴族らしい情けない末路である。


 しかし、悪役貴族と言えば破滅フラグを回避するのに悪戦苦闘するのが定石だろうが、ヴィクセンとなった俺からすればそんなことは容易い。

 何故なら、例え主人公に負けようが彼に斬りかからなければいいだけだからな。


「い、今からくじ引きで、お互いの将を決めます! こちらに注目してください!」


 ヨーレは、教壇に置かれた机の上に見るからにくじ箱といった物を置く。

 それに右手を突っ込み、数秒後に一枚の紙を引いた。恐らく、その紙には生徒の名前が記されているのだろう。


 まぁ、くじ引きと言ってはいるが、ここは『ソドアス』の中の世界。

 その紙に書かれている名前はどうせ主人公なのだろう。


 ……あれ、でも待て。俺はきっとここにいるであろう主人公の名前をまだ知らないぞ。

 ヨーレが言う名前に全く心当たりがない場合、それが主人公であると断定できない。

 まずいな。それだとこの世界が『ソドアス』と同じ展開になっているのかが分からなくなってしまう……。


「白組の将は……キース・スリット君」

「――」


 俺は、ヨーレが言ったその名前を聞いて、安堵した。

 何故なら、それは主人公のデフォルトネーム・・・・・・・・

 主人公に名前を付けない時に自動的になる名前だ。


 俺は毎週その名前でプレイしていたから気付くことが出来た。


「は、はいっ!」


 ヨーレに名前を呼ばれ、ひどく緊張した声を出しながら一人の男性が席を立つ。


 黒髪黒目の青年だった。顔は一見地味だが、誠実さや真面目さといった性格がにじみ出た顔だ。今のその顔は緊張によって強張っているが、きっと笑えば人懐っこいものになるだろう。

 それが、俺が彼――『ソドアス』主人公、キース・スリットを見た第一印象だった。


 うんうん。誠実そうだ。きっとヒロインたちと良い絡みを俺に見せてくれるだろう。


「次に、紅組の将は……。う……え、えっと、ヴィクセン・フォン・アウドライヒ君……」

「……はい」


 名を呼ばれ、一応立ち上がる。

 それよりヨーレ先生?俺の名前を見て「う」とか言うのやめてくださいね。地味に傷つくので。


 それにしても、フラグは立てておいたと思うんだが、紅白戦の将は『ソドアス』の展開そのままだな。

 俺が変な事をして展開を変えなければ、この世界は『ソドアス』の本編通りに事が進むのだろうか。


「それでは次に、副官を決めます。ふ、副官と言うのは、将をサポートする人のこと。紅白戦までは可能な限り共に行動し、紅白戦のことについて話し合うことを推奨し、します」


 『ソドアス』において、主人公の副官になる人物はヒロインからランダムに選ばれる。

 副官となったヒロインは優先的にイベントが起きるようになるので、狙ったヒロインが選ばれなかった場合、ゲーム序盤という事もあってリセット推奨の要素だ。


 好きな奴を選ばせろという声もあるが、全てのヒロインを攻略した後だと副官を選べるようになるので効率厨の皆も一安心だ。


 ヨーレが先ほどと同じように、箱に手を突っ込みやがて一枚の紙を引き抜く。


「し、白組の副官は、シスラ=ヌヌさん」

「え、あたし?」


 ヨーレに名指しされ、一人の女性が立ち上がる。

 しかし、その女性はただの人間ではなかった。


 透き通るような金髪に、抜群のプロポーション。だが、一番に目を引くのは横に長い尖った耳だろう。


 そう、シスラ=ヌヌとは『ソドアス』に登場するヒロインの一人で――エルフだ。しかも、帝国の隣に存在するエルフの国の王女様である。


「まじか~。いきなり副官とかまじぱなくね?」

「……」


 だが、彼女の性格は、エルフと聞いて思い浮かぶような優しかったり包容力があったりといった性格からはかけ離れている。

 何故か、ギャルっぽいのだ。しかも一昔前のギャル。


 まぁ、彼女のこの性格には理由があるのだが、ファンタジー世界にいきなり現れたギャルの存在は『ソドアス』プレイヤーに少なくない衝撃を与えただろう。

 ファンタジーとギャルというミスマッチ具合に、彼女のことを忌避するプレイヤーもいたが、彼女のルートは涙なしには見られない抜群のシナリオとなっているので、是非プレイして欲しいものだ。


「とりま、よろしくね。え~と、キースだっけ? イイ男じゃ~ん」

「え、えっと、ありがとう……?」


 いいね~!いい絡みだよ~!

 ヴィクセン的にはもっと親密になって欲しい!早く!早くキス×シスを見せてくれ!……語呂良いな。


「え、えっと、次に紅組の副官を――え?」


 唐突に、ヨーレが目を見開いた。驚いた彼女の視線は俺――の横を向いている。


「……」


 その方向へ視線を向けると、俺の従者リーゼットが静かに手を挙げていた。


「え~と、リーゼット・フォン・ローズさん? な、何か質問でしょうか?」

「ヴィクセン様の副官は私が」

「え、え~っとぉ……」


 言葉を濁し、困惑する表情を見せるヨーレ。

 だが、俺もヨーレと同じ気持ちだった。


 なんだ、このリーゼットの行動は。こんなイベント『ソドアス』には無かった。


 ここでヴィクセンの副官となるのは、白組と同じくヒロインの誰か。

 半ばNTRイベントだな。許せん。


 まぁヴィクセンにヒロインが取られるかもしれないといった焦燥感をプレイヤーに与えるためのイベントだろう。

 だが純愛派の紳士の皆さんには安心して欲しいんだが、副官となったヒロインを自分の軍に勧誘することが出来るのだ。

 それに成功すれば、ヴィクセンからヒロインを引き離しつつヒロインの好感度を稼ぐことができる。

 神イベントだな。許す。


 そう、本来であれば副官はヒロインから選ばれる。

 リーゼットが自らヴィクセンの副官に立候補するというシーンは存在しないのだ。


「ふ、副官はくじ引きで選ぶ決まりで……」

「私はヴィクセン様の従者です。ならば私が適任では」

「そ、そのぉ~……」


 はっきりと言い切るリーゼットの物言いに、たじたじになるヨーレ。

 

 だが、俺は『ソドアス』の展開から外れた動きをするリーゼットを止めずに、静観することにした。


 理由は一つ。

 そっちの方が、俺には都合がいい。


 だって、ヒロインが副官になっても俺にはメリットがない。いや、デメリットがない。


 ヴィクセンとヒロインが話しているのを見るだけでも、主人公×ヒロイン至上主義のカップル厨の俺の肌には蕁麻疹が走る。虫酸も走る。


 だから、俺はリーゼットが副官になって欲しいし、出来るならヒロインたちは全員主人公の組である白組に行って欲しいものだ。


「何故私以外の者がヴィクセン様の副官を務める必要が?」

「え、えっとぉ、それが決まりでして……」

「そんなことは知りません。ヴィクセン様の副官は私以外あり得ない」

「そ、そんなぁ……」


 未だにヨーレと言い合っているリーゼット。言い合うというより一方的に言い放っているのだが。


 俺はそんなリーゼットを見つめる。

 彼女は最後まで悪役であるヴィクセンに最後まで付き従うキャラだった。


 終盤、とあるルートに入ると唯一ヴィクセンが舞い戻り主人公に復讐をするルートがあるのだが、その時でさえリーゼットはヴィクセンに付き従い、主人公たちと戦うのだ。

 この戦闘がリーゼットの唯一の戦闘シーンだ。


 何故、リーゼットは最後まで根っからの悪役であるヴィクセンに従ったのか。これは本編で語られることはなかった。

 気になる。……が、直接聞くのは野暮な気がするな。


 ……そう言えば、敵として立ちはだかるリーゼットは中々に強敵だった。俺がラスボスの次に苦戦した相手だろう。

 あの時のリーゼットのステータスはどんなもんだったか。


 俺はそんなことを考えながらリーゼットを見つめる。

 ――すると。



====

 リーゼ――・フ――・ローズ

―P ―― 

―力 ――

―力 ―― 

敏― ――

―― ―― 

―防 ――

―運 ――

====



「……ん?」


 視界の端に、何か映った。

 文字……のように見えるがぼんやりとしていて上手く読めない。


 なんだ、何が映っている。もしかしてこれが異世界転生の際に授けられるチートというやつか!?


「……分かりました。それでは、ヴィクセン君の副官はリーゼットさんにします……」

「ありがとうございます。……ヴィクセン様? こちらをじっと見つめていかがしましたか?」

「……ん? あ、ああ、悪い」


 俺はリーゼットの言葉で意識を謎の文字から現実世界へと戻す。

 どうやらリーゼットの粘り強い説得に負け、ヨーレが折れたらしい。


「そ、それではこれから紅白戦についての細かい規則について、せ、説明します」


 俺はヨーレの言葉に耳を澄ます。


 ……だが、さっきリーゼットを見ていた時に出た文字はなんだったのだろうか。俺はそればかりが気になってしまった。

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