魔女になるとは思わなかった /悠斗

 弟が二十歳になって直ぐに両親が交通事故で亡くなった。


 そのとき俺は二十四歳。学生時代に起業した会社の社長をしていたけれど社会人として駆け出しの身に世間の洗礼は厳しく、仕事に明け暮れていたら弟が褒められない類の人間になっていた。


 金がなくなるまで碌に連絡がなく、金がなくなると無心に来る。そんな弟に特に興味も持てず、連絡と連絡の間が長いときにふと女に養ってもらっているのかと思う程度だった。


 思い返してみれば金の無心にきた弟を近くの居酒屋に誘ったのは何かの報せだったのかもしれない。酔って「別れた女に子どもができたけれどどうしてんのかねえ」と他人事のように呟く弟を薄情と罵り別れた。


 俺の父と母は他人に興味をもたない、他人の感情を汲まない人たちだった。一言で言えば『薄情』。そんな薄情な人間の最期の怖さを俺は二人の葬式で知った。喪主の俺を筆頭に全員義務感で参列していることを隠さない異様な葬式だった。


 弟の薄情さに過敏に反応したのはそれのせいか。それとも俺は『違う』と言いたかったのか。俺は弟の子どもを探し始めた。興信所を使って調べ、彬を見つけたのは交通事故で死んだ弟の葬儀が終わった翌日だった。


 良心の呵責とやらで弟が報せたのではないか。そう思ってしまうほど彬も母親に見捨てられていた。怒りのまま警察を呼び騒ぎを起こした。家を出入りする大人たちを他人事のように見る彬に自分が重なった。


 この子には俺しかない……というのは俺の驕りだった。


 小学生の彬が一人でも生活できていたのは隣の部屋に住む母子のおかげだったという。それを知って最後に挨拶をと思い隣の部屋を尋ねると「もういいの?」と言って女の子が飛び出していった。


 夜も遅い時間に飛び出して大丈夫かと母親に尋ねれば「直ぐそこですし、警察がこんなに一杯いるのだから日本で一番安全」と微笑み、世話になったことに頭を下げれば住所を聞かれ少々警戒して町名だけを答えると「一緒に登下校できないのが残念ね。これからもよろしくお願いします」と深々と頭を下げられた。


 妙に浮つく気持ちで彬を待たせた車のところに行くと「分からないばかりだね」と女の子の声がした。先ほど飛び出していった女の子。彬に用事だったのかと思いながら階段を降りると女の子は俺に気づいた。


 ――― 彬、転校するの?


 この子も学校のことかと呆れたが「転校する必要はない」と言った瞬間に漸く安心した表情になった彬を見て俺は自分勝手を恥じた。


 彬の世界は学校とアパートだけ。大人だって生活が一変するのは怖いのに救世主のつもりでいい気になって俺はそれを彬から取り上げる存在だったのだ。


 新生活の準備で今週は休むことになるが来週には学校に行けるであろうことを伝えると女の子は満足した。


 ――― 良かった。また来週、学校でね。


 あっさり帰っていく女の子の後ろ姿に「それだけでいいのか?」と思ったが、彬を見て満足した。あの子の名前はと俺が尋ねると……。


 ――― 芽衣。


 世界中の宝物を集めきったかのような満足した声で彬が名前を言った。このとき俺は人が恋に落ちる瞬間を初めて見た。



「あの夜の酒は実に美味しかった」

「はいはい、素敵な思い出話をありがとう。さあ、現実に戻るんだ」


 俺の前にエナジードリンクを置く野間のその表情から、何か厄介な問題が浮かび上がったことが分かってしまう。


「……久しぶりの朝帰りか」

「あ、そうか。あの二人まだなんだろ? まあ、花さんがいるから大丈夫じゃないか?」


 ん? 俺が二人のそういうことを邪魔しているとでも?


「気まずくなるから家で二人きりじゃないときにやるなと言っているだけで別に俺は禁止していないぞ」

「え、そうなの? てっきり……よく我慢できるな、彬」


「芽衣のためなら彬は何でもやるよ。芽衣が怖がっている限り彬はそれを顔に出すことすら自分に許さない。そして芽衣はこれに関してはとても慎重だ」


 芽衣は『同居人』という曖昧な状況に怯えている。


 これについては莉乃さんが亡くなったときに養子にしなかった俺にも責があるが、中学生で結婚を視野にいれた恋をしている彬の味方をしてしまった。芽衣が彬の想いを受け入れなかったときには俺の養女にすると彬には言っておいたが彬はとても頑張った。



「それじゃあ何で困っているんだ?」

「困っているんじゃないよ、嫌なんだよ。厄介な仕事と長時間労働。面倒、億劫、帰りたい」


「頑張れ、保護者」

「……頑張るしかないか。彬の奴、めちゃくちゃ食べるし」


 そうだよなと野間が笑って、スマホの写真を見せる。何これ、漫画見たいにラーメンのどんぶりが三つ重なっている。


「手伝いの礼に玲央と彬にラーメンを奢ったんだけど滅茶苦茶いい食いっぷり。一人三杯ずつ。最後は大将の好意で大盛り」


 次の写真は三つ重ねたどんぶりの後ろで玲央と笑う彬。彬が誰かと笑っている顔を見るとホッとする。


 彬は母親からネグレクトを受けていた。


 あの日児童相談所の担当者からネグレクトを受けた子どもは愛情や世話を受ける経験が少ないため他人との関係をうまく構築できない傾向があると聞いたときは不安だった。


 幸いにしてそれは杞憂だった。


 恐らく芽衣と莉乃さんのおかげだろう。あの境遇で芽衣と莉乃さんという「善い人」が彬の傍にいてくれた。


 彬は芽衣に依存しているところがある。彬の精神の安定剤である芽衣を引き取った俺、グッジョブ。


 芽衣を引き取ったときは色々騒がれた。芽衣が容姿の整った女の子だったことが災いして俺が何やら如何わしい目的で芽衣を引き取るのではないかと邪推する者も多かった。



「余計なお世話かもしれないが、彬と芽衣ちゃんはお前の事情を知っているのか?」

「俺が無性愛者だということ?」


 俺の性的嗜好は男性でも女性でもない。両性愛者の「男性・女性のどちらでもいい」と混ぜて解釈されがちだがなんとなく違う。性的嗜好は違う者同士は決して分かり合えないから「何となく」でしかないのが焦れったいが違うことだけは確か。


「結婚とか子どもとか生活や社会に性の問題がある以上は話しておいたほうがいいと思っただけ。俺の意見だから参考程度に考えてくれ」


 今後の無用なトラブルを避ける(「聞いてない」を含む)ためには野間の言う通りだと思うが難しい。


 性行為に悶々としている二人に言っていいものか。


 恋愛はできるけれど性欲はわかない。性行為はできるけれど、ただできるというだけ。したいという欲はない。まだ十代のあいつらには説明が難しい。言葉選びに悩む。



「二人は恐らく俺が同性愛者だと思っている」


 彬には男とキスしているの見られたし。


「それを隠すために女とも付き合っていると思っているようなんだよな」


 それに何より……。


「俺の性的思考をあいつら別に気にしていないんだよな。だから言うなら芽衣が俺に恋愛感情を持っちゃったときにしようかと」

「それは絶対になさそうだな」


 芽衣本人にその気はないが、彬がその気にさせるようなことはしないだろう。


 彬は小学生の頃から芽衣の周りにせっせとバリケードを築いている。そのバリケードは年々高く分厚くなっている気がする。男友だちは自分を経由した者のみ、女友だちも管理しているのではないかと疑っている。


 ――― 芽衣が幸せなら何してもいいんだよ?


 過保護が過ぎないかと言ってみたことはあったが、心底不思議そうに首を傾げた彬の姿に無理だと悟った。

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