マイ・スウィートホーム /彬 17歳
「朝比奈先輩」
今日の内容に納得できなかったので居残って練習していたら、部活の後輩の三島
「どうした?」
「忘れ物しちゃって……一人、ですよね」
弓道場の厄介なところは入口にある靴の数で建物内の人数が分かるということ。実際に三島は一人であることを確認しているというより確信している。
「相談したいことがあるんですけれど」
これが玲央の言う「相談女」か……協力者は副部長かな。副部長の多部
「相談ってなに?」
相談女の厄介なところは絶対に相談しないとすまないというところ。とりあえず今日の練習はもう終わりにしよう、いくらやっても無駄だ。
「部活のとき、下に着る服に悩んでいるんです」
ああ、面倒臭い。
三島は恥じらう様子を見せながら淀みなく学校指定のジャージを脱ぐ。下は体操服ではなくブラトップのキャミソール姿……これが芽衣だと下着に見えるんだけど、それ以外だとただのキャミソールだな。
「私、いつもはこれを着ているんですけれど胸がちゃんとホールドできなくて」
女の子と二人きりになってこうやって迫られることは初めてではない。毎回思うんだけど、この状況で男が襲い掛かっても「そんな気はなかった」って言うんだよな。特に自分が寝取った男の彼女に対して。
余程の馬鹿じゃなければこの状況で「そんな気はなかった」を信じない。それが分からないのかな、余程以上の馬鹿なのか?
それにその台詞は「そんな気」を起こした男のせいだと言っている、それって卑怯じゃないか?
「それで?」
「え? あ、の……えっと……」
「こうやれば自分の望む通りになると思った?」
「だってみんな……」
みんなとは主語が大きい。
この学校のミス候補だか何だかしらないがみんながみんなお前が好みと言うわけではない。それに考えが及ばないとはよほど頭がお花畑なのか。
「大好きな彼女を裏切る価値は君にはない」
「そんなつもりは……」
「この状況でそんなつもりはないは言わないよね? 自分の沽券より彼女のほうが大事だから別に僕の自意識過剰でも全く構わないけれど」
「ひどい」
……ひどいかな?
「体を張れば全て自分の思い通りになると思っている君のほうが酷いと思うよ」
確かに俺たちくらいの年齢なら成功する可能性のほうが高いかもしれない。でもそこは人それぞれがあることを理解してほしい。
僕も健全な男子だから性欲がないわけでもないし、そういうことに興味がないわけではない。でもその好奇心を満たすために芽衣が僕にくれる信頼を捨てるつもりはない。
それにあと数年我慢すれば芽衣とできる。
芽衣がオーケーしてくれればいつでもできるって、それって滅茶苦茶すごいことだよな。よく頑張ったなあ、俺。告白した日から俺は自分を毎日褒めているけれど、今日は一層熱を入れて褒めたたえよう。
あー、芽衣に会いたくなった。
「帰る」
「え?」
飛びついてくると厄介だから大きく迂回して荷物を持ちそのまま外に出る。更衣室は弓道場の中にあるけれど、あらぬ疑いを芽衣に掛けられるリスクよりもパンツ姿を誰かに見られるほうを僕は選ぶ。
ああ、そうだ。
「本当に服装のことで悩んでいるなら同じ女性に聞いたほうがいいよ。どうして副部長に聞かなかったのか不思議だけどね、君ととっても仲良しみたいだし」
副部長は例の女子がよく使う「応援してる」ってやつを使ったのかな。
「た、多部先輩が言っていました。朝比奈先輩には私のほうが似合うって」
「どうして他人の似合うで付き合う女を選ばなきゃいけないんだ?」
「だ、だって! 朝比奈先輩って県立女子の子と付き合っているんですよね? 勿体ないと思います!」
「同じことを言われたよ、自分のほうが相応しいって先々月その多部先輩にね。仲がいいなら教えてあげればよかったのにね、脱いで迫っても二番煎じだってね。でも下着姿とキャミ一枚はちょっと違うか」
相応しい、似合う……よく言うものだ。
勝手に俺のことを決めつけているのは百歩譲って許せるとしても、何も知らないくせに勝手に芽衣の価値を決めるな。
親切とか慈愛とか俺の中のとにかく善いもの全てを集めても足りない芽衣の価値を、何も知らずに勝手に「勿体ない」と言うな。ムカつくで収まらないほど怒りを感じる。
「話にならない。この件は性的暴行として、副部長の件も合わせて顧問に報告させてもらう」
「なっ!」
「男が女に性的に迫れば性的暴行が成り立つんだ、逆だって成り立つだろう。それこそ男女平等だ」
無茶苦茶な論理だと分かっているが、どうせこの自分勝手な女たちには通じない。恐らくこれから「自分は悪くない」と言って互いを罵り合うのだろう。
「施錠よろしく」
「朝比奈先輩!」
持っていた鍵を道場の入口にある下駄箱の上におき、部活のグループチャットに施錠は一年生の彼女に任せたことを記載しておく。顧問の先生が【了解】のメッセージを載せたのを確認して帰路についた。
「おかえり……何かあった?」
「うん……ご飯食べながら話す。伯父さんと花さんは?」
「悠斗さんはお風呂、花さんは台所。ご飯用意しておくから、着替えておいでよ」
芽衣に感謝を伝えて自分の部屋に行こうとしたら、風呂から出てきた伯父さんと鉢合わせした。
「お帰り」
タオルで髪を拭きながら「暑い」と言って伯父さんはTシャツの襟元をパタパタ揺らして空気を送る。その間も暑いとかビールを飲みたいとか言っているけれどTシャツは着たまま。
僕しかいないなら伯父さんは上半身裸になることもあるけれど、芽衣や花さんがいる場所では絶対に脱がない。ここは家族の住まいだけれど、家族だって他人だから公共のルールがあるんだ。
踏み込んでほしくない
そこに踏み込まないのは礼儀であり思いやり。その聖域を無遠慮に踏み荒らした輩には徹底的に報復していいと僕は思う。
「そういう女は古今東西どこにでもいるな。分かった。息子が性暴行の被害者になりかけたんだ、学校には俺のほうから抗議しておく」
「ありがとう、伯父さん」
食事しながらの俺からの報告に、伯父さんは自らの体験を振り返っているのか重く頷く。伯父さんならこんな経験は盛り沢山だろう。
「悠斗さんと彬さんのファンがストーカー化する時期ですからパンツを気をつけて干さないと。それにしても女性だからと甘くみていましたが男性が同じことをやれば性犯罪者で社会的に死ぬ行為。男女平等、深く心に刻みましょうねえ」
ホウレンソウは大事。パンツはまあどうでもいいけれど、俺や伯父さんのストーカーは「自分たちは女だから」というトンデモ理論で芽衣や花さんに何かするかもしれない。
「ブラトップのキャミソール一枚で迫るとかすごいね」
「芽衣、ドキッとしたくらいは許してやれよ。好意の有無は関係ない、本能だからな。本能を恨んで彬を恨まず、いっそのことバーンとやり返してやれ」
「あいあいさー」
えーと、この合点はどっちに対する合点? 許すこと? それともバーンとやり返してくれるほう?
……うん、男とはどうしようもない生き物だ。記憶の中の後輩の姿が芽衣に置換された途端に体がゾワッとした。
いやいや、ないない。
芽衣があんなキャミソール一枚で俺の前に立つことはまだない。
ずっと言ってきた。お互いにそうなる覚悟がないうちに、そうなりかねないことはしないように気をつけようって。するときはそういう覚悟ができたときって。
玲央は俺を悟りを開いた僧侶みたいだと笑ったけれど、こういうことはちゃんとしないと好きな子となんて暮らせない。どちらか一方でも覚悟のない状態で芽衣に飛び掛かればこの生活を壊すことになる。
俺はこの家がとても大事。
俺と芽衣は近いうちに大人になってこの家を出るだろうけれど、壊さなければこの家は在り続ける。在り続けてほしいから礼儀を弁えて距離感を測り間違えない。
「芽衣、お前もこういうことがあったらちゃんと言えよ? 社会的に抹殺してやるから」
「うん、素っ裸で迫ってきたら花さん直伝の足技で撃退するよ」
そう言うと芽衣は勢いよく蹴る真似をした。
高校に行ったら合気道部に入ると気合いを入れていた理由が分かった……ちょっと急所がキュッとした気がする。
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