第2話 Sweet Home ※彬人視点

「朝比奈先輩、相談したいことがあるんですけれど」


 そう切り出された上に、弓道場には俺とこの後輩の子の二人きり。

 うーん、協力者は副部長辺りかな。

 あの人、俺と芽衣の関係をよく思ってないから。


「なに?」

「あの、部活のときの服に悩んでいて。いまは……こういうブラトップを着ているんですけれど」


 そう言って学校指定のジャージを脱いでみせれば、そこにはブラトップのキャミソール姿の後輩。


 二人きりの時点でこうなる可能性は予測できていたけれど、こうやって『そんな気はない』振りをして責任をこちらに丸投げするのってどうなんだろう。

 卑怯じゃないか?


「それで?」

「あ、……えっと」

「ここまでしておいて『そんなつもりはない』と言わないと思うけど、俺は君の期待に応える気はないよ」

「……ひどい」


 ひどい……ひどいかな?

 体をはれば全て自分の思いどおりになるって思っているこの子のほうがひどいと思うけれど。


 確かに俺たちくらいの年齢なら成功する可能性も高いかなー。

 でもそこは人それぞれだろうし。


 俺だって健全な男子で、そういうことに興味がないわけではない。

 だけど、その好奇心を満たすためにこれまでを台無しにする気はない。


 それにいまの俺なら、そういうことは芽衣がオーケーしてくれれば芽衣とできるし。

 それってめちゃくちゃすごいことだし。

 「頑張った、俺」って告白した日から俺は毎日自分を褒めている。


 あー、芽衣に会いたくなった。


「用がないなら俺は帰る。あと、本当に練習のときの服装のことで悩んでいるなら、副部長に聞けばいいよ。女性だし、どうやら君ととっても仲良しみたいだからね」

「ふ、副部長が言っていました。朝比奈先輩が県立高校の子と付き合っているって。もったいないって」


 副部長のそれは過去の告白を断った腹いせか。

 超進学校と言われるこの学校に通っているという傲りか。


 そんなのどうでもいい。


 勝手に俺の価値を決めるのはまだしも、全く知らない芽衣の価値がどうして分かるんだろう。

 不思議でもあるし、俺の中の芽衣の価値も知らずに「もったいない」とか言う彼女たちに正直ムカつく。


 話にならない。

 というか、話もしたくない。


「俺は帰るから、施錠よろしく」

「朝比奈先輩!」


 持っていた鍵を道場の入口にある下駄箱の上におき、部活のグループチャットに施錠は一年生の彼女に任せたことを記載しておく。

 顧問の先生が【了解】のメッセージを載せたのを確認して帰路につく。


 ***


「おかえりー……何かあった?」

「うん……ご飯食べながら話す。伯父さんと花さんは?」

「悠斗さんはお風呂、花さんは台所。ご飯用意しておくから、着替えておいでよ」


 芽衣に感謝を伝えて自分の部屋に行こうとしたら、風呂から出てきた伯父さんと鉢合わせした。

 タオルで髪を拭きながら「おかえり」と言う伯父さんは、Tシャツの襟元をパタパタとしながら「暑いー、ビール飲みたーい」と言っている。


 どんなに暑くても、芽衣と花さんがいるときに伯父さんが上半身だけでも裸でいることはない。

 二人が寝ちゃったあと、俺しかいないときはそういう格好をすることもあるから、家族として一緒にいても伯父さんの二人に対する礼儀なんだろう。


 多分、これが価値観のひとつなんだと思う。


 家族同士でも、恋人同士でも、必ず間にあるもの。

 礼儀、思いやり、無遠慮に扱われたらムカつくもの。 


 ***


「そういう女ってどこにでもいるんだなー」


 食事しながらの俺からの報告に、伯父さんは自らの体験を振り返っているのか、重くうなずく。

 俺であるんだから、伯父さんならこんな経験は盛りだくさんだろう。


「彬人さんのファンもストーカー化する時期ですねえ。パンツも気をつけて干さないと」


 パンツ……は、おいといて、ホウレンソウは大事。

 ささいな報告がトラブルを防ぐことが多い。

 今回のことは芽衣に関係する可能性もゼロじゃないから。


「芽衣、ドキッとしたくらいは許してやれよ。好意とか関係なく、異性の体がバーンと目の前に現れれば仕方がない。本能だからな。彬人を恨まず、バーンとやり返せ」

「あいあいさー」


 えーと、この合点はどっちに?

 許すほう?

 バーンとやり返してくれるほう?


 ……うん、男とはどうしようもない生き物だ。

 記憶の中の後輩の姿が芽衣(想像)になって、体がゾワッとする。

 いやいや、芽衣があんなキャミソール一枚で俺の前に?


 ないなー。


 芽衣はそういうことしない。

 いまのところは。


 だって、ずっと言ってきたから。

 お互いに覚悟がないうちに、「そういうこと」になりかねないことは気をつけようって。

 するときは、そういう覚悟ができたとき、またはその逆か。


 ノマレオは俺が悟りをひらいた僧侶みたいに言うけれど、こういうことはちゃんとしないと好きな子と暮らせない。

 伯父さんとの暮らしを、花さんがいるこの生活を壊すことになる。


 俺たちも大人になって、俺も芽衣もこの家を出るけれど、壊さない限りここに、この家はあり続ける。

 あり続けて欲しいと思うから、礼儀と距離感を間違えてはいけない。


「芽衣、お前もこういうことがあったらちゃんと言えよ?帰り道も要注意な。家に入るときも絶対に後ろを確認してから玄関を開けること」

「うん。でも、今回みたいなことを男女反対、しかも路上でやったら警察案件だし、この家の前の約五十メートルでそんなことする人ってある意味勇者」


「春ですからね、分かりませんよ」

「春だからな。花粉、黄砂、変質者。よし、俺がマスクと防犯ブザーを買ってやろう」


 どれも厄介だなと思いながら、「ごちそう様」と食事を終える。


 ご飯は美味しくて、芽衣は可愛い。

 いろいろあったけれど、一日がこうして終われば結果オーライなんだ。

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