第7話・WHAT WORLD IS IT!?

「各員定位置につけ! 気を引き締めろ、ヤツらがどう突撃してくるかはわからない」

 隊員たちが散開してしばらくしてから、シャノアールが心配そうに、そしてやたら重そうに、布のかけられた大きなマネキンを運んできた。布のせいで全貌は見えないが、シャノアールはそれが何なのか知っている。

「ほんっと~に使うんですかァ? 上長がいくら上長だからって……」

「使うタイミングがあれば、の話だ。だがまあ、俺は、確実に使うことになると思ってるがな」

 引き取ろうとするビャクダンに渡さないよう、シャノアールはぐっと手に力を込めて無言の抵抗をするが、結局押し負けて、取られる。

「上長ォ!」

「何か勘違いしてるようだがな、シャノアール。俺がコイツを使うのはテロリスト相手じゃないぜ」

「え?」

 布越しにマネキンを軽く叩くと、重厚な金属音がする。

「テロリスト相手なら箒でじゅうぶんだ。いいか、ただでさえ聖母殿が怪しいなんぞの噂が出回ってる。見習いの晴れ舞台に、大魔女が何も仕掛けてこないわけがないんだ」

「……考えすぎじゃないですかァ? そもそも、『付替式を一週間早めるべし』ってシナリオを上げたのだって、文筆先生じゃないですか」

「とにかく、大魔女なんてものを信用するな」

 付替式はかなりの大規模で執り行われる運びとなった。ゲート前には箒はもちろんのこと、地上の路面をも埋め尽くす勢いで見物客が集まっている。見るものがあればやってくる、民衆の野次馬精神にため息をついても仕方のないことだが、それでも、ビャクダンは疲れた息を吐くことしかできない。

「あんな安ホテルじゃ、よく眠れっこねェんだよ……」

 人々の歓声が大きくなる。ゲート前に、黄の色無地と黒地に金の袋帯を締めたトパーズが現れたのだ。

「大魔女見習いよ!」

「かわいいわね」

「魔法は一級品だそうだぞ」

「素晴らしいものだな」

 マイクを渡されると、オドオドしながら挨拶を始めた。

「え、ええと……本日は、お日柄も良く……あっなんかこれ長くなるやつっぽいからやめとこう……え、えへへ、あの、すごく光栄です! こんな大事業任せていただいて、本当にありがとうございます! それと、たくさん相談に乗ってくださった先輩魔女のみなさんにも、お礼を!」

 呑気な、と捉えてしまうような言葉の数々が民衆の中を飛び交いう。「テロ警戒中」と、表示は至るところに掲示されているが、大半の人々は気に留めることもない。無線やテレパスでの状況報告にも、特に荒れた様子はない。

 それでもビャクダンが警戒を緩めることはない。民衆がそうするように、特別目立っているわけではないが、大魔女たちに視線が集まる。彼らの視線の先には、グリーンのセットアップスーツで完璧なドレスアップをしたエメラルドがおり、その箒の後部にはいつもの荷物ではなくサファイヤを乗せていた。こちらも、ブルーで統一した花柄のコード刺繍が一面に入ったドレスワンピースを着て、いつもより少々飾り気が強い。

「……」

 おそらくエメラルドは、ビャクダンの視線に気づいている。気づいているのだが、いつもなら指で敬礼してみせたりウインクしてみせたりしてくるところを、何もしてこない。警戒中の交機隊員の位置を知らせるような迷惑行為はしない、ということなのかもしれないが、そんなまともな思考を持つような魔女たちではないことも事実だ。

「シャノアール」

『はい』

「大魔女どもも来ている。注意を怠るなよ」

『わかってますよォ。……あ! 錬金術の! 文筆先生も! え? 後ろ?』

 シャノアールの短い悲鳴とともに無線が切れる。ビャクダンの見張るエメラルドに変化はない。が、後部に座っていたサファイヤがどこかを指差している。それはシャノアールの配置されていた方向であり――。

「ゲート前を封鎖しろ! 鍵の魔女を守れ!」

 ビャクダンが指示を飛ばすと同時に、ゲート前に向かって何本もの箒が向かって行く。私服隊員からテロリストまで、一挙にゲートに向かって行くのである。地上からそれらを見上げている民衆は騒然とすることしかできない。

「お嬢さん!」

 ビャクダンは一足先にトパーズの元へとたどり着く。戸惑った様子のトパーズだったが、知った顔が現れたことでより緊張した面持ちになる。

「一旦ここを離脱しよう。俺の箒に……」

「あっ、あの!」

「なんです!」

「あの……ごめんなさい!」

 民衆の大歓声で、何が起こったのか、状況の把握は一時的に不可能となった。スローモーションの景色をビャクダンが振り返ると、色とりどりの、そして大量の花火が、取っ組み合う交機隊員と黒ローブ集団との間や民衆の頭上を飛び交う光景が目に入る。激しく明滅する光で目を焼かれる心地だが、それでもビャクダンの「目」は、それらを見逃すことはなかった。できなかった。

 ほんのわずかな隙間の開いているゲートへ、大魔女たちが滑り込んでゆく。そして、それに、トパーズも倣った。

「……!」

 箒を投げ捨て、置き去りにしてきたマネキンに手を向ける。ビャクダンは閉じかけるゲートへと飛び込んだ。



 自分の身に何が起きたのか、シャノアールにはしばらく理解ができないでいた。誰かが背後に回り込んできており、その誰かに何かを飲まされたところまでは自覚がある。だがその後は一切、意識が混濁してしまっていた。

「んみゃ……」

「目を覚ましたわ! かわいい! ねえジス! 見てほら、こ~んなにかわいいのよ!」

「わかったわかった! 確かにかわいいな」

「なんてかわいいの! かわいいわ、子猫のシャノアールくん!」

 自分の名前を呼ばれたので、シャノアールは顔を上げる。ルビーの満面の笑みが視界に入ったので、反射的に名前を呼ぼうとする。

「みゃうみゃううにゃ!」

「まあ~!」

「み……!?」

 自分の口から何が飛び出したのか、シャノアールにはしばらく理解ができないでいた。ひょっとしたら自分じゃない誰かのものかもしれないと思い、もう一度口を開く。

「なう~……」

「ほら、何がなんだかわかってないじゃないか。教えてやれよ」

「シャノアールくん、私がわかる? 私よ、私。錬金術の魔女。わかるわね? あなた、あの黒ローブのテロリストに狙われて、妙な薬を飲まされたの。そこを私たちが助けたってわけなの」

「猫になった経緯も、そういうわけだ。しかしまあ、本当にかわいい子猫ちゃんになっちまったモンだ」

「かわいい、本当にかわいいわ! そうだ、これもあげましょうね」

 首に優しくリボンを巻かれながら、シャノアールは考える。ルビーの言うことが本当ならば、自分はいま、子猫の姿になってしまっているらしい。にわかには信じ難いが、上手く発音できない口、人間とは違う視野、極めつけのように、身体への強烈な違和感は、どうにも説明をつけられない。

「うゃんや……」

「大丈夫よ、私が守ってあげるからね。安心して」

 不安そうに見上げた先にルビーの優しい微笑みがあり、言われた通りに安心する。が、やけに風の強いことが気になり、周囲を見回すと、その安心も吹き飛んでしまった。

 見たことのない光の摩天楼。見たことのない建物の並び。見たことのない世界の星空。

 シャノアールは大魔女たちの大脱走に、完全に巻き込まれていた。



「止まれそこのパーティ野郎!!」

 聞き慣れた声に、聞き慣れた言葉で静止をかけられる。エメラルドはニィ~ッと笑った。

「来たぜサファイヤ姐さん。あれがエメちゃん最高の好敵手ダチっスよ」

「あら? あたくしてっきり一般的なお姿だと思っていたのだけど、違ったかしら?」

「……いや、なんスかねアレ」

 ビャクダンの声は確かに聞こえている。だが、エメラルドの箒を追ってきていたのは、明らかに特殊合金製のパワードアーマースーツを装着しただった。

「これは、俺専用のアーマーでな。テメェにボロ負けしたあの日からコツコツ開発してきた交機イチ金のかかってる代物だ。喜べパーティ野郎、今日がこいつのお披露目会であり、テメェ最初の逮捕の日だ」

「ヤバいヤバい、姐さん悪ィけど下りてもらえます? こいつぁマズいぜ」

「はいはい。あたくしだってあーたたちのランデヴーに巻き込まれたくはありませんもの」

 サファイヤは手に持っていた傘を広げると、エメラルドの箒からスルンと下りた。そのまま、傘で浮いたまま、二人に手を振ってどこかへと飛ばされてゆく。睨みあう二人に、ゲームで真剣勝負をするんだと言い張る子供たちに言うように声をかける。

「ほどほどになさいね~!」

「いやあ~、そりゃキツいっスね。……正直ナメてましたわ。堅物刑事デカならここまではしないっしょ、くらいに勝手に思ってたスわ。ヤバいっス。マズいっス。エメちゃん大興奮」

「年貢の納め時だ。覚悟しろよパーティ野郎、俺ァ本気だぜ」

 初速からまるで違う。生身に箒では、エメラルドの機械化箒には触ることさえできなかったが、ビャクダンはいま、エメラルドが振り上げて垂直になった箒の腹と自分のアーマーの腕とが削れあって火花を散らすのを見ている。特殊合金同士が擦れたせいで、夜の人間界の空には眩しすぎる光が散った。

「上がってやったぞ、同じ棚まで!」

「じゃ、まだまだ上、目指してこーぜ」

 魔法界とは若干違うコンディションだ。あのときの追いかけっこは、雲一つない箒道の中で繰り広げた。しかしいま、人間界には箒道がない中で、機械化箒を自在に操る魔女とアーマーで全身武装した交通機動隊員が、文字通りに激しくぶつかり合っているのだ。

「ここからでも見えるわ~。うふふ、エメったら、パーティの前にもうひとパーティできて、相当嬉しいんでしょうね」

 そう呟くサファイヤの目は、あまり笑っていない。

「速くなったじゃん」

「速くなきゃ、アンタに追いつけないだろ」

「それに、頭使ったよね。そのスーツ公費だっけ?」

「ああ、上官からも好評でな」

 マスクでビャクダンの表情は伺えない。が、声はどこまでも弾んでいる。エメラルドはミシミシと音を立てるほど強くハンドルを握った。楽しくて仕方がなかった。

「今度は、自力で昇進するつもりなんでな!」

「よし、バッチコイ!」

 螺旋を描く二つの光が上空高く上がってゆく。高く。より高く。

 どこまでも高く。

「上に逃げ場があるのか? なあ! あるのか!?」

「ちょっとその上等なスーツについて質問! それ、どこの魔法企業提供の合金?」

「ハッ、機密事項だな!」

「じゃ、エメちゃんのは教えちゃろ。これね、錬金術の魔女ロージー姐さん特製の合金」

「だから何……ッ!? なんだ!? 機動が……!」

 スーツ内部からは確認できない。急激にギシギシと機動の悪くなるアーマーは、高度が上がりすぎたせいで氷結を起こしていたのである。


 動けねえ! ……堕ちる!


 エメラルドは垂直落下してゆくビャクダンを箒から見下ろしている。あの日の勝ち誇った顔ではなく、逃げ切った安堵の浮かんだ顔だ。

「この……パーティ野郎……!」

 落下のスピードは増してゆく。遠くなってゆく意識に縋るように、ギシギシ軋むアーマーの腕を伸ばす。そこへ、見知らぬ傘が横切った。

「は?」


 バツン!


 落下速度は急激に低下し、ほとんど急停止に近かった。何かに吊り下げられているらしいことはわかったが、一度凍結した影響か、アーマーのナビゲータはシステムエラーで起動しない。

「これは一体……」

「面白いこと考える子ね! エメちゃんが夢中になるのも、仕方のないことなのかしら」

「聖母殿……?」

「しょ~? じゃ姐さん、行きますか」

 無理矢理手を動かして氷を落とし、フェイスシールドを上げる。エメラルドの箒の後部にふわりと座り込み傘を閉じるサファイヤがウフッと笑っていた。


 ああ、また負けたのか、俺は。


 やりきれない、やるせない気持ちがふつふつ湧き上がってきて、どうしようもなくこみ上げて、やがて、零れる。

「ッ……なんでだよ!」

 少年のような言い草にしかならなかった。悔しさはもちろん、自分は結局無理なのだという敗北感も手伝って、ビャクダンは恥も外聞も知ったことかと、悔し涙を我慢できないでいる。

「あんたら大魔女は、民衆の憧れだろう! その自由さで導くものだろう! 俺だってそうだ、例外じゃない! あんたらみたいに強くなりたくて、ここまでやってきたんだ! なのにあんたらは、俺を……俺たちを、捨てるのか! 俺たちを見捨てて、人間界に行っちまうのかよ!」

 サファイヤに急ごしらえで取り付けられた傘のパラシュートでゆっくりと降下しながら、ビャクダンは遠く高い空の魔女たちに手を伸ばしている。遠い星の輝くさまを掴もうとする幼子の姿と同じだ。

「ああ、いじらしい子。大丈夫、あたくしたちはいなくなったりなんてしないわ」

 普段はぬいぐるみを抱いている優しい腕が、ビャクダンの頭をそっと抱きしめる。ハンカチを沿わせて涙を拭くと、サファイヤはまたウフッと笑った。

「お兄さんのいる方の世界に戻るに決まってんじゃん。人間界こっちには、盛大なパーティがあるから参加しに行くだけだよ」

「パーティ……」

「そ、パーティ。エメちゃん行くとこパーティありってね。泣くな坊主~! 張り合いないじゃんスか!」

 ワシワシとビャクダンの髪を混ぜるように頭を撫で、エメラルドの手は少しだけ名残惜しそうに離れていった。

「ボンヤリしてらんないスよ。帰ってもうひと仕事残ってるっスからね」

「お~い! ちょっと遠くからでもめちゃくちゃ見えたぞ。すごいなきみら。さ、これ持って帰りたまえ。ロージー、渡してや……おい、ロージー? おいコラッ、ロージー!」

「いや! いやよ、いやったらいや! 渡さないわ!」

 生後何ヵ月かほどの大きさの黒猫を抱いたルビーが、アメジストからいたずらっ子のそれと同じ叱られ方をしている。

「返しなさい! 交機の子だぞ!」

「いや! ぜ~ったいにいや! 私に使い魔にするの!」

「おい!! いまのはとんでもねえ差別発言だぞ!!」

「いまは獣人の姿じゃないもの!」

「おいマジでいい加減にしろよ、ひと昔前の連中と同じ言い訳するな!! とにかく返せったら返せ!」

 子猫は遥か下方を見てぴるぴる震えていたが、ビャクダンに気づくと姿勢を正して目をキラキラさせた。

「みゃうみゃうみゃん!」

「……おまえ、シャノアールか?」

「黒ローブたちに狙われたところを、私たちが助けてな。ああ、その首のは、鍵の魔女からのプレゼントだそうだ」

 子猫のシャノアールの首には、黄色いリボンで、鍵が一本、丁寧に巻きつけてあった。ルビーはしばらく本気で駄々をこねたのだが、アメジストに容赦なく頭を叩かれ、泣く泣くビャクダンにシャノアールを手渡す。

「皆さん! あっ! 交機の……すごい、かっこいい」

 気まずそうに合流するトパーズを見て、ビャクダンは深く、深くため息をついた。真相はまだわからないが、大魔女たちがこんな手の込んだ小細工をしてまで行きたがった「パーティ」なのだ。自分にできることは、やりきった。帰還しても誰も文句は言うまい。

「どうぞ、楽しんでいらしてください。大魔女殿」

 氷が落ちきると、アーマーのシステムも再起動した。空の、随分と高いところにあるゲートの隙間へと、ビャクダンは戻ってゆく。魔法界にいた頃の自分とは違うような、そんな気持ちと共に。

「……いやぁ~、久々の人間界、楽しみっスね!」

「あんまり大声出すなよ、周りの人間驚かしちゃうからな」

「驚かせておけばよろしいんじゃありませんこと?」

「え、でも、人間界で正体知られたらそれこそ非常事態では……」

「そこは、まあ、大丈夫でしょう。目くらましの魔法は、十八番だもの。……エメちゃんの!」

「えっ!? そんな繊細な魔法を!? エメラルドさんが!?」

「エ……オレナニカ……」

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