第5話・薔薇は美しく咲く

 事の起こりは数十時間ほど前へとさかのぼる。空気の割れる謎の異音に気づいて外へ出たトパーズの前に、エメラルドの箒が停まった。呆然としているトパーズをよそに、エメラルドは「お願いがあるんス」と切り出した。

「鍵付きワインセラー? できますよ!」

「やった! いや~前々から使ってたんスけど、こないだちょっと、いわしちゃって」

 エメラルドは箒の後部に置いてあるボックスを示した。

「これなんスけど」

「ちょっと待ってください! 箒用!? ご自宅用ではなく!?」

「買ったの持って帰る用に使うんスよ! 剥き身だと割れるんで……何度か悲しい思いをしたんス……」

「とことんめちゃくちゃなひとだな……」

 それでも鍵については専門技術とも言えるので、トパーズはあとりあえず、ボックス備え付けの鍵を見る。なるほど確かにメキャメキャにひしゃげている。小石が当たった程度では、あのスピードで飛んでいる限りは、小石の方が砕けるのでこうはならないだろう。

「ちなみに、なんで壊れちゃったんですか?」

「なんか固くなってたんで、無理にこう、エイッてやっちゃって」

「次からはすぐ私のところ来てくださっていいですよ」

「あざス!」

 じっくりと鍵を観察してみる。鍵穴の形が特殊なのはもちろん、どうやら使われている金属も一般的に流通しているものではない。そもそもとして硬さが違う。特殊合金だ。

「これって……」

 思い当たる節は一人しかいない。



「ひどい目に遭った……」

「え? 楽しくないスか」

「私はスピード狂ではないので」

 エメラルドの後部に乗る形で、トパーズはルビーの自宅を訪ねている。てっきり大豪邸を予想していたのだが、見る限り、普通の一軒家だ。

「姐さん家はスゲェ~んスよ」

「スゲェ~んですか」

「見りゃわかるんで、とりあえず入れてもらいましょ」

 ドアノッカーを雑に叩く。紙袋を持ったルビーが玄関を開けた。

「お土産♡」

「私たちが持ってくるものはそう呼びます」

「そんな決まりはないわ。それに私はただ、あなたたちに物を渡したいだけ」

「いつもこうなんで気にしなくていいスよ」

「いつも!?」

 またしてもテンションの波に置き去られるトパーズをおいでおいでと招き入れ、ルビーは自前の紙袋からカヌレを取り出すと手際よくお茶の支度を始めた。

「ちょうどこの後、工房に入るところだったの。サファイヤからの注文、完成させようと思ってね。ちょうどいいし、ワインセラーの合金も作っちゃいましょ」

「サファイヤさんからの! そう、それもお願いしたくて!」

「あらあら、ますます都合がいいわね」

 一息ついた後で、ルビーの後について行く。魔女の工房に足を踏み入れるというのは本来忌み嫌うことの方が多いが、大魔女とその見習いともなれば気にしない。己のレシピを見られること、見られたという嫌悪感を抱かれることの両方が起因する感覚なのだが、見られても問題ないルビーには縁遠い感覚だ。

「うちの工房は地下なの。それと、はい、これ」

「……籠と、鋏?」

 ガーデニングに使うような、いわゆる剪定鋏だ。それが、ピクニックにでも行くようなバスケットに入っているセット。一人一セット持たされ、長い螺旋階段を下りて行く。下りるにつれ、花の香りが強くなってくる。

「そういえば、ルビーさんはどうして、ロージーって呼ばれてるんですか?」

「身内でつけたニックネームみたいなものだけど……理由はきちんとあるわよ」

 階段を下りきるころに差し掛かる。花の香りはいっそう強くなるばかりだ。

「わあ!」

 トパーズは歓声を上げた。地下室には一面に、薔薇園が広がっていたのだ。「GALA」の庭ほど広くはないものの、咲き誇る赤い薔薇は圧倒するものがある。

「私の錬金術には、この薔薇を使うの。だから、ロージー」

 薔薇の小路や薔薇のゲートを抜けた先に、工房らしい壁が見えてくる。そこに並べられた小瓶やケース類にもすべて、薔薇の装飾がなされていた。休憩中に嗜むのであろうシーシャにさえ薔薇の柄付けがある。

「さて、サファイヤからは、変身薬のご注文。それからあなたたちに、板金が必要ってところかな?」

「板金! ありがたいです、いちばん加工しやすいんです」

 壁の薬剤を見渡して、少し考える。

「それじゃ二人とも手伝って。籠一杯に、薔薇を摘んできてほしいの」

「合点承知」

「はいっ!」

 二人に薔薇園を周遊させている間に、ルビーはサイズの違うトランクをいくつか用意する。最初に使うのは、最も小さなサイズだ。空の小瓶を出してきて、別の素材も準備しておく。

「これで足りますか?」

「バッチリね。まずは変身薬を作りましょう」

「……トランク? 鍋とか、窯じゃないんです?」

「お湯が熱いし、跳ねると危ないから使わない」

 少なくともトパーズはそんな理由で錬金術にトランクを使うことはしない。

「ここに、空の瓶と、薔薇は一輪でいいわ。それと、猫の吐く毛玉を一つ」

 丸められた埃のようになっている毛玉を保存用の瓶から取り出し、トランクに放り込む。そして、トランクを閉める。

「ちょっと放置。次はエメ用の板金ね。薔薇は籠一つ分と、深海魚のらしいけど何の魚かは知らない何かの鱗を一枚。あとは何か適当な鉄屑」

 またトランクを閉める。もう一つのトランクを開け、

「もう一つ、サファイヤ用の鍵のための板金。薔薇はまた籠一つ分でいいでしょ。繭玉を一つと、針を二本。あと適当に鉄屑」

 エメラルドがこっそりトパーズに耳打ちする。

「最初のトランクのやつ、もう終わってるっスよ」

「え!?」

「開けてみる?」

 ルビーはいちばん小さいトランクを差し出し、にっこり笑う。トパーズはおそるおそる、トランクを開けてみる。

「ほんとだ! なんで!」

「変身薬ならそんなものでしょ。誰だってすぐに作れるし」

「化合させるのに、元の物質の状態や条件がすっご~く長い計算式使わないと出せないし、どれだけ計算が合ってても攪拌をちょっとでもミスればハチャメチャになるのが錬金術だったと思うんですが……」

 錬金術は極めればこの世のありとあらゆる物質を作り出すことができるが、そんなことができる魔女や魔法使いはまずいない。錬金術の成績が良いだけで、一流の魔法工業会社に推薦入社できるほどだ。

「いいわよね~錬金術って。ちょっとモノ作りするだけでお金も入ってくるんだもの」

「そんなふうに考えてんの姐さんくらいスよ」

「風邪薬でも特殊合金でも、な~んでもござれ!」

「ヤバ……」

 おそらく本心から出たであろうトパーズ迫真の呟きにも、二人の大魔女は首をかしげるばかりだ。



「そんじゃ、配達デリバってきます」

「じゃあね~」

 サファイヤからの注文品二点を載せたエメラルドは、相変わらずの亜音速で消えた。

「気を付けて持って帰ってね」

「トランク、借りちゃってすみません。ありがとうございます!」

「いいのよ~気にしないで! ああ、持ってるとあまり感じないと思うけど中身はきちんと詰まってるから、フルスイングで誰かを殴ると大変なことになるから気を付けてね」

「しませんので! そういうことは!」

 特殊な鍵を作らねばならないという使命感とともに、トパーズは板金になってゆく過程ごと入ったトランクを箒に積んだ。そこで、背後から声をかけられる。聞き覚えのある声だった。

「やあ、どうもお嬢さん」

「……あ、交機の……」

 隊服ではなく、少々洒落た、渋いスタイリングで、ビャクダンがウインクを飛ばしてくる。

「お茶の時間を、貴女と過ごしたいんだ。いいだろ?」

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