第4話・Wicked Like Me

 スタイルスタジオ「GALA」は、夕方にはすべての仕事を終える。一日中、主人である魔女の歌声が響き続け、裁縫道具がリズミカルに働き尽くしている音が鳴っている。そのため近隣の家並みは多少離れた場所にあり、広い庭も相まって、豪邸に見える。

 そんな店のドアベルを鳴らす者があった。

「はあ~い、はいはい、ちょっとお待ちになって~! ほらっ、あーたたち! お客さんがいらっしゃるわよ、端切れを片づけて! 針たちはきちんとお山にお帰り! そう、作りかけはトルソーに、畳みの子は作業場にお行き」

 あれこれと指示を出し尽くすと、サファイヤはようやく店頭カウンターに顔を出した。パッチワークのワンピースに、これまたパッチワークのエプロンをつけている。どこからどう見ても、仕事着だ。

「いらっしゃい。新作のご予約? それともお仕立てのご依頼?」

「……注文品を、受け取りに」

 暗い雰囲気の若い魔女だ。服装もテンプレートな黒いワンピースに黒いブーツ、目深に被ったとんがり帽子と、悪く言えば、遊び心がない。サファイヤの背後でせっせと定位置に戻ってゆく裁縫道具たちを見て冷や汗を流しているのだが、サファイヤ自身はろくに反応しない。注文用紙の束を出してきて、パラパラペラペラ、めくっている。

「え~と、今日の納品は……どれだったかしら、え~と、ちょっとお待ちになってね~」

 何十枚と重なった伝票をいちいち手でめくるのに苛ついたらしく、サファイヤは紙束に向かって口笛を吹き付けた。パララララとめくれてゆく中に、目的の一枚がピシッと背を伸ばすように止まった。そして、そのまま口笛に吹かれてヒラリと剝がれると、ゆっくりと客の前に着地した。

「黒のローブが三十枚、だったわね?」

「……注文、昨日したはずでしょ。もうできたっての? 嘘でしょ」

 サファイヤはカチンときた顔を隠すことさえしなかった。不機嫌そうに床をタンタン鳴らすと、近くに立てかけてあった杖がサファイヤの手に飛んで行った。どこからともなくやってきたシルクハットが頭に収まると、サファイヤの仕事着はメンズライクなスーツに変わっていた。ぎょっとしている客の腹に叩きつける勢いで杖を振る。

「失礼しちゃうわ! あたくしを見くびらないことね、二度とよ。〽さあこちらへどうぞ……」

 店のドアが施錠される音がして、客は慌てて店内を見回す。花や草木の色にあふれまるで春のようだった雰囲気は一転し、真夜中の博物館に迷い込んだかのような冷たく不気味な雰囲気に様変わりしていた。

「〽秘密の仲間がいる……」

 無人のはずの奥の部屋から、何重ものエコーがかかる。生唾を飲み下す客の脚を杖で小突き、サファイヤはケラケラ笑った。既に、この場は、彼女だけのステージへと変わり果てている。

「ただのエコーでしょ! あたくしのちょっとした隠し芸、心配ないわ」

 客はそのまま奥の部屋へと通される。視線を感じて振り返るが、人形や仮面が部屋じゅうに飾られているだけだ。

「〽お席について、くつろいでいて。どんなことでもできるわ、そう! あたくしは」

 明らかに見下してくる視線に、客は逆上することさえできない。力も技術も、この大魔女に敵うはずがないことはこの時点で明白だ。

「ああ、でも、あーたの目は間違ってないわ。あたくしはこれが生き甲斐なの」

「……私たちの宿願を、叶えてくれるの? 魔法界を変えたい、私たちの思いを、汲んでくれるの!?」

「あーたのように不幸せな魔女を助けたいの。誰も相談相手のいない可哀想な魔女をね……」

 暗がりから歩み出てくるサファイヤの装いは再び変化している。タコ足をデザインしたバルーンスカートに、巻貝のネックレス、長く垂らしたストールにも吸盤のようなデザインが散りばめられている。

「聖母の魔女……私たちに手を貸してくれるのね! 私たち、変えたいの! ゲートを開放すれば、魔法の使えない人間しかいない世界でしょ。人間を支配して、魔法界をもっと進歩させたいのよ!」

「条件は二つ。一つ目、あたくしはあんなつまらないローブはつけないわ。二つ目、あーたたちみたいな寄せ集めがぴーぴー騒いだって上手くいきっこないのよ、あたくしの言うことをお聞きなさい」

「え? でも」

「できないんじゃ、お断りよ。なんにも貸してなんてやれないわ。この手も、お口もね」

「わ……わかったわよ……」

 最初の勢いはどこへやら、客はすっかり猫背になって座っていることしかできない。

「ああ! もう一つ大事な問題があるわ、支払いをどうするか決めなくちゃ! タダなんてダメよ」

 客は慌ててローブ三十枚分の金を入金してあるマネーカードを差し出したが、サファイヤはそれには手をつけない。

「大したことはないわ! ほんの程度でいいんだから。すぐ払えるわよ!」

 そして客の背に回り、肩に手を置いて囁く。

「可愛い黒猫が一匹欲しいの」

 薔薇の形のフタのついた小瓶を手渡す。サファイヤは鏡の大柄のついたロングスカートをひきずりながら、宝石のついた王冠を頭に載せた。魔女の女王とも呼べそうな姿である。

「黒猫……?」

「二週間後の、鍵の付替式までに、ゲートの守衛任務についている若い交機隊員を連れていらっしゃい」

「どうしてよ」

「お黙り! あたくしの言うことを聞くのよ」

 気迫に圧倒された客は椅子から転げ落ちるが、サファイヤは構わず壁まで追い込む。

「いつまでも魔法界ここでくすぶってたくないんでしょ? だから人間界を支配して頂点に立ちたい。違うの?」

「ち、違わない」

「なら、口ごたえはおよし。あたくしに敵うわけがないんだから」

 黒く、しかし燃える炎のようなドレス。糸車のそばに立てかけてある杖の先で、サファイヤは客の顎を掬った。

「あたくしみたいになりたいんでしょ? あたくしみたいに、邪悪で、卑劣で、日々いたずら暮し。無慈悲で腐りきった狂気の魔女に!」

 人形や仮面の視線が集まってくるような感覚。微笑むものは嘲笑に、口を噤むものは叱責に、部屋じゅうの小物が自分を見下ろしてくるような悪意に満ちた雰囲気に、客は飲まれかける。最もおそろしいことは、ただの仕立屋だとばかりに思っていた、噂でだけならば「魔法界を裏から牛耳る魔女の女王」という二つ名が、本物だということを知ったことだ。

 聖母とは名ばかりか、はたまた、手のひらを返した真実か、或いは聖母とは、善も悪も問わず受け入れることなのか。サファイヤの頭には邪悪の象徴たる角が生えたような影があった。

「あなたに憧れてた……」

「よろしい。さ、お行き。それと」

 サファイヤは一本の鍵を差し出す。わざとらしく客の手を取って握らせると、ウフッと笑ってみせた。

「あたくしの別荘の鍵よ。好きになさい」

 客はいよいよ感極まって、何度も頭を下げながら去って行った。その箒の姿が完全に消えるまで見送り、サファイヤはいつもの笑顔に戻った。お気に入りのぬいぐるみを抱き上げて優しく撫でながら紅茶を一口含む。すっかり、いつもの仕事着だ。

「最近の子は出典ソースをろくに調べないから困っちゃうわね。あたくしが裏で魔法界を牛耳ってるだなんて……どこから出るのかしらね? そんな噂」

 人形たちに「ねえ?」と問いかけるが、どれも答えることはない。だがその奥の奥、窓辺の止まり木にいつからか止まっていたオウムが、人間のような高笑いをする。

「うふふふ。ま、その気になれば全員で素敵なステージを作りましょ、ってくらいなら軽いでしょうけど。でも勝手に盛り上がって勝手に悪の親玉になんてしてくれちゃって、ほんと、失礼しちゃうわよね!」

 オウムは高笑いをするばかりだ。

「ねえ、パパ?」

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