第3話・帰ってほしいの
隊服ではなく、それなりに上等なスーツを着込んだシャノアールは、とあるアパートを見上げて立ち尽くしていた。文筆の魔女の所在地として、出向くよう指示された場所は、どうやらここで間違いないはずだ。
「なんていうか、普通だな……」
ドアベルを鳴らすべく立っているのはいいが、入るのには勇気がいる。それでなくとも大魔女という存在がいかなるものかとの言葉は耳が痛くなるほど聞いた。「いちばんまともだから大丈夫」という言葉を信用できなくなる程度には、聞いたのだ。
シャノアールが足踏みしていると、背後から箒に乗った魔女が声をかけてきた。
「ジスに御用?」
「あ、えっと……は、はじめまして。僕はそのゥ、こういうものです」
シャノアールの手帳を見ると、にこやかに微笑んでいた魔女が「あら!」と驚きの声を上げた。そしてシャノアールの手を両手で掴んで上下に振りしだく。見た目からは想像できない力強さだ。
「あなたが! そう! あなたがそうなのね! お会いしたかったのよ、きっとジスも喜ぶわ! あらっ、ちょうどいいわねお土産を買ってきてあるからいっしょにお茶しましょうね」
「え、あの」
「私は錬金術の魔女です。ジス……文筆の魔女とは長い付き合いなの。たぶん〆切前で荒れてるかもしれないけれど、さ、さ! 行きましょ!」
やけに嬉しそうなルビーはシャノアールの手を引き、シャノアールの手でドアベルを鳴らし、アメジストの返答を待つ。しばらく待つと、ゆっくりと玄関が開きだした。
「悪いが絶賛スランプ中だ。招かれていない客は帰、おおッ! やあ、きみが交機の! ロージー、連れてきてくれたのか!?」
「ううん。彼がここに突っ立ってたから、入るなら早くしろって思ってたの」
突然のキャラチェンジのように思えて、シャノアールは呆然としているしかなかった。が、アメジストがルビー同様にシャノアールの手を掴んで上下に振りしだいてきたので、我に返る。
「あ、あの僕……」
「うん、交機の、シャノアールくんだろ? 交機に縁のある友人がいてね、教えてくれたさ。きみなら大歓迎だ、上がって行きたまえ」
「バターサンドを持ってきてるからね」
「え? え? え?」
状況を読み込めていないままのシャノアールだが、大魔女たちは構わず、連れ込む。アメジストに手を引かれ、ルビーに背を押され、シャノアールはすっかり、ただの来客だった。
「ちょっと〆切が立て込んでいてね。でもきみが来てくれてよかった! リフレッシュできるし、刺激も強そうだ」
紙束や大量の本、中にはアンティークもののカップや本当に危ないものでは剥き身の剣など、様々な品が転がる床を慎重に、なんとか、座っても構わなそうな椅子を見つける。座って良いかをシャノアールたずねる前に、ルビーから「やめときなさいな」と声がかかる。
「昔、流行ったでしょ? それ、呪いの椅子。現物よ」
「まあもう呪いなんてとっくに解いたが、客人に座らせる椅子ではないよな。そら、床じゃ落ち着かんし、天井にしよう」
来客用のテーブル(本に埋もれていた)と、クッションと汚れの目立たないカーペット(隅の方に追いやられていた)がフワリと浮き上がり、シャノアールはカーペットに押し上げられて天井まで浮いた。
「い、いまの……え!? まさか、詠唱だったんですかァ!?」
「やっぱり優秀。サファイヤもご機嫌で歌いだすわね」
シャンデリアに吊るされていた靴下を床へ放り捨てながら、アメジストは満足そうに笑っている。
「そうとも。『天井にしよう』の部分だけだが」
魔法学校の基礎中の基礎は詠唱から始まる。数学に公式があるように、化学に化合式があるように、魔法は詠唱からでないと、応用することすら不可能なのだ。
「一体、どういうことです?」
「私が誰かは、わかるよな。文筆の魔女。毎日毎日、文章やら何やら、とにかく書き仕事をしている。最も重要な仕事は、学生向けの詠唱の教科書を作ることだ。忙しい。だから私用のものは、長ったらしい詠唱なんて必要ないようにやれなくちゃな」
片手でバターサンドを食べつつ、片手には鉛筆が握られている。
「あれ取って」
アメジストが鉛筆に命じると、鉛筆はたちまち高所作業用のマジックアームに変化し、一冊の本を運んできた。
「ほれ、きみらもこれで学んだ時合いだろう」
「僕の使ってた参考書ォ……」
「存分に、青春を振り返るといい」
「す、すごい……本当に……いや! あの! 僕は今日、すごく大事な用件でお尋ねしたのですが……!」
子供のように、あれはこれはとたずねて回りたい気持ちを抑えて、シャノアールは用件を伝えた。ルビーが同席しているのは、本当は追い出さなくてはならないのだが、無理なこともわかるため、事を進めるしかない。
「実は、ですね。昨今の人間界ブームで……ゲート前にたくさんの魔女や魔法使いが集まっているのは、ご存知でしょうか」
「ゲート破りを目論んでいるんだろ? きみらが守っているうちは無理だと思うがな」
「恐縮です。ええとそれで、どうやら最近、テロ行為をはたらいてでもゲートを強行突破しようと計画立てている者どもがいるそうなのです」
「そろそろ出てくる頃合いかとも思ってたのよね。だってゲートって、鍵、壊れたままじゃない?」
ルビーからの指摘で、シャノアールは深刻そうにうなずく。
「そうなのです。僕は詳しく原因を伝えられてはいないのですが……いまのところ、鍵の魔女による新しい鍵が完成するまでは、壊れたままになってしまいます」
「そこを狙うテロリストがいる、ってことか……わかった。私に、その『シナリオ』を書けと言うんだな?」
「そういうわけです」
犯罪の「シナリオ」――要するに、考えうる犯人たちの行動のことだが、それを文筆の魔女に依頼するという行為は、「予言書を得る」のとほとんど変わらない意味合いになってくる。
「お願い……できますでしょうか?」
「それ自体はOKだ。とはいえ、まあ、そういう考えに至ってしまう連中の気持ちも、わかってやれなくはないがな」
「そうでしょうか……?」
「ときに、シャノアールくん。きみ、試験前は好物を我慢する方かね?」
質問の意図がわからないが、素直に「はい」と答えるシャノアール。
「では、その試験が、何らかの理由で延期になった。明日になるかもしれないし、一生やらずに済むかもしれん。ただその間、好物のサバの味噌煮はず~っとおあずけだ」
想像したシャノアールの耳と尾がヘナンと垂れる。
「さらにそのサバの味噌煮は、ふてぶてしい教員が持っていて、手を伸ばせば届く位置にある。……ほほう、随分とイヤそうだな」
「僕のサバ……」
「連中はいま、いや、ずっと、そんな気持ちだ。さて、サバを取られたクラスメイトたちが、だんだん怒りを表に出すようになってきたぞ。教員による横暴だ、勝手だ、缶詰の権利を寄越せと言うんだ。たしかに、たった一人の鬼教師が持っているだけだ、数で押せば奪えるだろう。そもそもサバ缶の権利は、明確な理由で奪われたわけじゃない。ほとんど自主的に我慢していただけなのに、こうまで抑圧的にされるいわれは、ないよな?」
「クラスメイトと団結して、サバ缶の権利を訴えます!」
アメジストはガクンとバランスを崩した。そういうことを言いたかったわけではないが、ルビーも楽しそうに笑っている手前、「違う、そうじゃない」と指摘することも憚られる。
「きみはいい子だな……まず言論に訴えかけようとするのは、教養のある証拠だがね。大半はここで、教員を闇討ちにしようとか、買収しようとか言い出すんだ。そしていまテロ計画を練っているのはそういう連中」
「なんとかしないとね」
「ああ。テロは良くない」
シャノアールは感動していた。ビャクダンは大魔女のこととなると、自分の経験上の話だけでケチョンケチョンに貶すものだが、実際に話してみると、彼女たちは正義の心にあふれている。ジーンと感じ入る胸を押さえ、シャノアールは男らしく頭を下げた。
「なにとぞ! ご協力のほど、よろしくお願いいたします!」
その晩、大魔女四人と大魔女見習い一人による定例オンラインオフ会が開かれていた。アメジストはルビーの置き土産のバターサンドをモシャモシャ食べながらくたびれた様子だった。
「まったく困りモンだよ。この短期間でシナリオを二つも上げなくちゃならないんだ」
『はえ~そんな事態に……』
『鍵さん、付替式っていつっスか?』
『あと二週間です。でもちょっと詰まってて……特殊合金とかじゃないと、普通に壊されちゃうだろうな、って思って……でも私、板金屋さんとか知り合いにいなくて……』
『あら? そういうのは私のお役目よ! ルビーさんにお任せなさい!』
ここまでずっと、BGMのように流れていたサファイヤの鼻歌が止まった。
『ジス、シナリオは公式のものだけで済みそうよ』
「お?」
『何かあったの?』
『ええ。揃えの黒いローブを、三十枚。二週間後の付替式に合わせて団体で着用したいから、それまでに用意してほしいそうなの』
大魔女たちがクスクス笑う。見え透いたシナリオではこの程度の笑いしか起きないらしい。
「それじゃ、名演を頼むよ。大女優のサファイヤ御大?」
『んふふふふ……ロージー、薬をお願い。それから鍵っ子ちゃん? あなたにも一つ、お願いをするわ』
別人かのような低い、妖艶な声で笑うサファイヤをしばらく理解できず、トパーズは何度かボイスチェンジャーの有無を訊ねるか、迷った。
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