第1話・憧れのヒューマンシティ

 丁寧に整えられて広がる庭。色とりどりの花木が咲き、宙を舞うジョウロからの水を心地よさそうに受けている。ジョウロのくるくると回る中央に、庭仕事用の白いオーバーオールとわざとヨレたスウェットを着た魔女がいた。土や花の色が移ったようなスパッタリングの施されたオーバーオールは、まさしく、庭仕事に最適なファッションだろう。

「〽You can learn a lot of things from the flowers」

 ジョウロの水が光を受けて虹をかける。魔女は歌いながら庭をゆっくりと歩き進む。周囲に人影はないが、地面の近くから彼女にハーモニーを重ねる歌声もある。

「〽The golden afternoon!」

 彼女が歌いきると、水やりを終えたジョウロが地面に降り立つ。定位置に帰ってゆくのを手を振って見送っていると、拍手が一人分、庭の門の方から近づいてきた。

「ご機嫌スね~」

「それはあーたもでしょ。まあ! フリーズ! 止まりなさいそこのパーティ野郎! それは一体、なに!?」

 庭の門に頭をぶつけないよう少し屈みながら、もう一人、魔女が入ってくる。ベルスリーブのグリーンのボレロを、ブラックのパンツセットアップにレイヤードした、洗練されたマニッシュスタイルだ。完成されたオーラをブチ壊す、或いはさらに強固にするように、小脇に何かを抱えている。

「お土産! キャラメルポップコーン。いや~いてもたってもいらんなくて」

「まあ。三十二オンス!? どこで買ってくるのかしら。さすがは、パーティの魔女ね」

「そう。パーティ。パーティなんスよサファイヤ姐さん! これが大人しくしていられますか!? いや、ない。つまり、パーティってわけですよ」

 小脇のポップコーン(フタ付き三十二オンスボトル入り)を庭の円卓にデンと置き、パーティの魔女・エメラルドは席に着く。そして、庭と、その隣に構えられた仕立屋「GALA」の主人である、聖母の魔女・サファイヤの座る席に先んじて座っている三十センチ大のぬいぐるみに「ねえ?」と声をかける。

「箒は? 外?」

「目印になるんで外スね」

「そうね、そろそろみんな来る頃だわね」

 サファイヤはうきうきとした様子でステップを踏みつつ、鼻歌も歌いつつ、庭の中を歩き出す。ターンする度、庭作業用のオーバーオールはドレッシーなジャンパースカートに変わり、ヨレさせたスウェットはレーススリーブのトップスに変わる。

「楽しみね、ええ! とっても楽しみだわ! ああ、お茶の支度をしなくちゃね」

 彼女の鼻歌についていく形で、ティーポットやカップ、ソーサ―、あのポップコーンまでがお茶会の支度を始める。自主的に茶葉の瓶のフタが開き、ティースプーンが茶葉を掬いだし、ポットとカップにはあらかじめ熱湯が注がれる。エメラルドは時折ポップコーンを拝借しながら門の外を伺っている。

「パーティですぜ、姐さん。ドレスの注文も受けてくれます?」

「もちろんいいわよ~」

「お金なら、払いますからね」

 新たな声が庭に入ってくる。柔和な声だが、言ったことは必ずやるという強い意志も感じられる。

「ようこそロージー! やっぱりいっしょだったわね、ジス!」

「いやあ、手土産にとんでもない量のチョコを買おうとしてたからさ、そのままストッパー役だよ。うおっ、なんだこのポップコーン! さてはきみだな、エメ!」

「パーティなんでね」

 シンプルなプリーツスカートのワンピースにはあまりに似つかわしくない巨大なトランクを持った、錬金術の魔女・ルビー。エメラルド同様、サファイヤの席を取っているぬいぐるみに「こんにちは」と声をかけてからトランクを開ける。

「そういや、私と合流する前からそんな様子だったな。どれ、中身は?」

 おそらく誰が見ても「彼女がいちばんまともに話が通じる」と指差すであろう、文筆の魔女・アメジスト。上品なフリルシャツにエスニックフラワー柄のサテン地のスカートと、ブローチで襟元を飾ってある。長髪は鉛筆をデザインした簪で留めてある。

「お土産。パーティガールたちにワインを、一本ずつね。サファイヤは坊やも楽しめるようにジュースにしたから。ボトルのデザインはワインのと同じなのよ」

「素敵だわ、ありがとう」

「箒で来ちゃったんで持って帰って盛大に開けますね」

「一人一本……そうきたか……」

「ちゃんとジスのぶんもあるよ、大丈夫」

「そういう心配はしてないよ」

 サファイヤがティーセットを持って庭に戻ったとき、律儀に門のベルを鳴らす音がした。

「きっとあの子だわ」

 ティーセットを置き、代わりにぬいぐるみを抱き上げると、サファイヤは門まで来客を迎えに出た。突然、我が子のようにぬいぐるみを抱いた魔女が現れたので、トパーズはガチゴチに固まったのだが、なんとか我に返るとガバッ!と一礼した。

「は、初めまして! トパーズです!」

「ようやくリアルで会えたわね~嬉しいわ! ささ、入って頂戴。楽しい仲間たちが勢ぞろいよ~」

「いま私たちのことを愉快な仲間たちとして紹介しなかったか?」

 庭木の向こうの円卓で、既に優雅なお茶会が開かれている。トパーズはさらにガチゴチに緊張した面持ちになってしまった。それから、バッ!と自らの装いを見て、気難しい顔をした。

「あたくし好みのサルエルパンツ。コーデュロイなのも好きよ」

「あっ、わっ、あわ……ありがとうございます……?」

「黒シャツとの兼ね合い良いッスね~」

「はえ、あ、あい……!」

 愉快な四人の魔女を前に、トパーズのようになってしまうのも無理はない。

 魔法界では、突出した能力や技術を持つ魔女を「大魔女」と呼び、なにかとトラブル解決の手伝いをさせたり、意見を仰ぐというシステムがある。トパーズはつい最近、その「見習い」として、世間の注目を集めるに至った。

「あっ、あのっ、本当に、お会いできて嬉しいです!」

「私たちも嬉しいですよ。ああ、これだけ個性派な集まりだから名乗らなくても大体わかるとは思うけど、一応、ちゃんと自己紹介しますね。私は錬金術の魔女ことルビーです。この世の大体のことはお金があればなんとかなるわ」

「お~いおいおいおい引いてるだろうが。すまんね、私は世間じゃ文筆の魔女なんて呼ばれてるが、アメジストだ。ルビーロージーとは付き合いが長くてね、すっかりストッパーの役目になっちまったよ」

「そんでほい、パーティの魔女だぜ。言うほどパーティの魔女って感じはしてないと思うんスけどね。でもパーティの魔女って呼ばれてる、エメラルドちゃんだぜ」

「そしてあたくしが聖母の魔女……サファイヤ。この店の主人でしてよ」

 席について円卓を囲むと、いつも通りのお茶会の様相になる。少しオドオドしながらも、トパーズも挨拶した。

「トパーズと申します。鍵の魔女って、呼ばれてます」

「いいわ、とっても素敵! さあ、早速始めましょ」

 サファイヤがにこやかに宣言し、全員が頷く。サファイヤはぬいぐるみをそっ……と円卓の中央に置き、それから、笑顔を消した。

「由々しき事態でしてよ」

「や~困ったねー。ウチのジャンルじゃあまずやらないと思ってたんだがね」

「こればっかりはお金でどうにもならないし」

「しかしこいつァこのエメちゃん、乗らないわけがないんスね」

「ど……どうしましょう」

 (大)魔女見習いトパーズが四人のお茶会に招かれたのは、その立場による理由ではなかった。彼女たちには偶然にも、他のつながりがあったのだ。

「推し人間界ジャンルで、まさかのリアルイベント!」

 彼女たちも、現代の魔法界に生きる魔女である。当然のように、流行の文化を楽しむ。彼女たちの、いわゆる「推しジャンル」は、既にピークを過ぎた作品なのであった。

「グッズなら、通販ができるってのが、魔法界の穴ね。お金で解決できるし」

「そう。魔女や魔法使いが、人間界に直接介入するわけじゃあ、ありませんものね」

「しかしリアイベはなあ。必要なのが我が身ってのが、つらいトコっスな」

 ひときわ強く肩を落としているのがアメジストだった。文筆の魔女というだけあって、彼女は魔法界・人間界両者の文化・文芸に触れる機会が飛びぬけて多い。思い入れのある作品も増えるのだ。

「舞台になったりさあ、大きな会場使ってのイベントだったりさあ、そういうの、もう何回も泣きながら見送ってきたけど、今回のは、こればっかりは、ちょっと……何が何でも行きたいよなあ……! 人生ジャンルと言っても過言じゃないもんなあ……!」

 トパーズも思わず涙ぐみそうになりながら頷いた。皆の悩みは等しく、己にも同様のものだ。

「たった一つ、大きな問題さえクリアできれば……いいわよね」

「え?」

 サファイヤの言う「たった一つ」は、トパーズには理解できていない。人間界へ行こうとすれば、問題は一つどころか山積みだからだ。ゲートの警備を突破しなくてはならないし、そもそもゲートはこじ開けられるような造りではないし、人間界のどこへ出るかを決めることは一般の魔女や魔法使いには権限がないため、不可能である。一つどころではないこれらの問題を「たった一つ」と言い切るサファイヤも、それにウンウンを頷く三人の大魔女のことも、トパーズにはよくわからない。

「向こうでの装いよね! 困ったわ~!」

「そう! 人間界のトレンドって全然、こっちとは違うんスもん! 姿隠すにしても、知識がなきゃわからんし」

「今回のイベントはタイトルに『パーティ』って入ってるくらいだし、本番は普通にパーティらしく、ドレスやらスーツやら、着飾ればいいんじゃないかな」

「向こうでも服は売ってるのだし、いっそのこと何も持たずに行ってみても面白いかも」

「うそだあ……少なくともアメジスト先輩は立場が近いと思ってた……」

 魔法界きっての大魔女たちが、何のてらいもなく人間界へ出かけるつもりですべての話を進めている。おそろしいことは、実際に会って話すのは今日が初めてのトパーズでさえ、「彼女たちならやりかねない」と思えてしまうことだろう。

「さっき……下見も兼ねて、ゲートの前を通ってきましたけど。なんか結構な警備でしたよ? 交機の箒もたくさん……」

「交機まで駆り出されてんスね。またレースしてェな~ビャクダンさんってまだ現役スかね?」

「あの方老け顔なだけでお若いらしいけど。かわいい後輩ができたのはご存知?」

「いつもお澄まし顔のシャノアールくんか。もしかしたらあれでいて、エメみたいなスピード狂だったら面白いな」

「あたくし、その方たちは知らないわ。是非、お会いしたいものね」

 少しは物怖じするかと思っての話題だったが、無意味なようだ。トパーズはいよいよ腹を括るしかなかった。

「うう、さよなら魔法界……私はもう帰ることはできないでしょう……」

「違うわよ、鍵っ子ちゃん。よく言うでしょ? 『遠足は、帰るまでが遠足です』って」

「は? え?」

 場は常にトパーズを混乱させたままに続く。

「え~!?」

 庭中にトパーズの悲鳴が響き渡っても、花たちがクスクス笑うだけだ。

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