The Great Escape
有池 アズマ
プロローグ
魔法界では、空前の人間界ブームである。人間界の文化に熱を注ぐ魔女や魔法使いたちは日増しに数を多くしてゆく。街のあちこちで、人間界の流行り物についての話題が飛び交い、書籍が出版され、特に熱心な者は人間界を訪れようとする。
しかし、
「罰金! 箒も減点!」
交機上長たるビャクダンは、昨日も一昨日も、なんならここ一か月間毎日必ず一度は口にする文言を、力いっぱい宣言した。しょぼくれながらコインを差し出す魔女をしっかり見えなくなるまで見送ると、部下の一人が声をかけてきた。
「もう一生分の点数稼いじゃいましたねェ」
「口を慎めシャノアール。若いのは異常事態に慣れるのが早くて良いな、羨ましいよ」
「それほどでもォ」
「褒めていない。それで? どういうわけだ最近のこれは」
本来、ビャクダンや部下のシャノアールらは交通機動隊員であり、決して、魔法界と人間界を繋ぐゲートの守衛役ではない。そもそもゲートの守衛は、何度にも渡る試験に合格した優秀な魔女や魔法使いでなければ就業不可能な職種だ。魔法界の中でも指折りの難関職とさえ言われている。
「いや~、前任の守衛が収賄でしょっ引かれてから、もう一か月はこうですよねェ。ここだけの話、結構貰っちゃってたらしいですよ」
「なんてザマだ……。とはいえ、無理もないか。人間界の文化なんぞが流行すれば、当然、現地に行きたがる者も増える。警備強化の一環で呼び出されるのは構わんが、長期的になると、困るな」
ビャクダンはキリキリ痛む眉間をつねるように指を置いた。
「疲労は魔法不発の原因第一位だ。こうはなるなよシャノアール」
「言われずともォ。ビャクダン上長みたいに若いうちから老け顔になりたくないんで」
「貴様の減らず口にも点数をくれてやろうか」
魔法界の者は、みだりに人間界に介入してはならない。
これは、魔法界の鉄の掟である。いくら人間界の文化が好きでも、現地に行ってそれを思う存分楽しむということは、許されていない。魔女や魔法使いの及ぼす影響は人間には甚大とされているのだ。
多くの者はこれを守ろうと行動するが、ここまでの流行となってしまえば、法を守ることは難しくなってくる。警察組織の末端たる交機が駆り出されるほどにまで、ゲート前は隙を伺う者で溢れかえっていた。
そこへ、速度も何も違反はないが、やけに慌てた様子の箒がやってきた。珍しいものを見るように、箒に乗った魔女がゲートを見上げている。
「お嬢さん、どうかされましたか?」
ビャクダンに声をかけられると、魔女は大仰なほどにびくっ!と身体を震わせる。危うく箒からも落ちかける始末だった。
「ど、どうも! いえ、なんでも……ゲートって初めて見たんで、ちょっとじっくり見ちゃってました……」
「ああ、なんだ。驚かせてしまいましたね、失礼。最近このあたりは速度超過の箒が多いので、事故にはくれぐれもお気をつけて」
「安全
「は、はい。お仕事ご苦労様です」
ペコリと一礼し、通ったときと同じくらいの安全操箒で、魔女は去ってゆく。その腰に大量の鍵のついた鍵束があるのを見て、シャノアールは「あっ!」と声を上げた。
「どうした、違反行為か!?」
「ちーがーいーますよーッたくもーッお堅いなァ上長は! ニュースとか見てないんですかァ!?」
「そんな暇があるか? ここ最近? ン? 俺は地方から駆り出されてこのかたビジネスホテル暮しだが、備え付けのテレビなんざ絶対に見ないぞ。毎日自分の顔が映ってるのなんざ見たくもないね! 日に日にやつれていく自分の顔を見たがるヤツがいるか!?」
売り言葉に買い言葉といった様相だが、ビャクダンの言うことももっともなので、そしてビャクダンの堅物っぷりに慣れているシャノアールが折れる方が早かった。
「見習い魔女さんでしょ、いまの。鍵の魔女! あ~っ、もっと早くに気づいて、サインでもせがむんだったかなァ」
「……見習いの立場にありながら、ゲートの鍵の修繕を依頼された魔女か?」
「そう! そうですよ、そう! さすがに知ってましたか」
彼女の姿は、他の箒たちにまぎれてすでに見えないが、さすがのビャクダンでも、自分の(臨時の)勤務地についての話であれば、知っていた。
「なるほど、彼女が……なら、違反なんぞするはずもないか。模範的な魔女であるからな」
「そうそう。見習いってったって、大魔女見習いですからねェ」
ビャクダンもシャノアールも、特にビャクダンは、大きな大きなため息をついた。
「大魔女に良い思い出なんざ一つもありゃしない」
「願わくば、彼女があのまま模範的でいてくれるのが、魔法界の平穏の鍵、ってとこですかねェ……」
「ほう、いまのは悪くないんじゃないか」
「へくしゅ!」
クシャミをしながらも、鍵の魔女ことトパーズは先を急ぐ。彼女には、一刻も早く会って話をしたい魔女たちがいた。
「もうお茶会、始めちゃってるかなあ……」
路肩に箒を寄せ、鍵束から一本の鍵を取り上げる。それは彼女の手の上で、懐中時計へと姿を変える。苦い顔をした彼女がもう一度握ると、時計は元の鍵の姿へと戻った。
「急がなきゃ~……!」
目的の仕立屋「GALA」までは、まだ箒に乗り続けなければいけないだろう。
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