第6話
それから、雅樹は毎週黒兎のサロンに通って来てくれるようになった。どうやらいたく気に入られたようで、今まで彼の視界にも入れなかった事が、嘘かのように会っている。
「……どうしたんです? その顔……」
年が明け、三が日から仕事だった黒兎は、あれだけ自分から聞かないと決めていたにも関わらず、酷い顔をした雅樹に問いかけていた。
雅樹はかなり疲れた様子で、ソファーにぐったりと座る。
「ん? ああ……、少しね……」
明らかに少しではなさそうな疲れ具合と、顔色の悪さに黒兎は心配になり、とりあえず温かいお茶を出す。それを一口飲んだ雅樹は、深くため息をついた。
「……早速着替えてもいいですか?」
早く施術を受けたいと申し出る雅樹に、黒兎は頷く。パーテーションの向こうに移動すると、もしかして雅樹は眠るためにここに来ているのでは? という考えに至った。
少しして着替えた雅樹がこちら側に入ってくると、黒兎は思い切って聞いてみる。
「あの、もしかして眠るためにここに来てないですか?」
施術用ベッドに仰向けになった雅樹は、苦笑した。
「……先生には色々見透かされてしまうね」
「俺は対処療法しかできません。根本的な原因をどうにかしないと、酷くなる一方ですよ」
お酒や眠剤に頼るよりはマシだとは思っても、何の解決にもならない。ハッキリそう言うと、雅樹は腕で目を覆った。
「いやはや、自己管理ができてなくて申し訳ない……」
黒兎は断りを入れてから施術を始める。
「いえ。いつもの木村さんならできていたはずです。……俺は聞くだけしかできないですけど、良ければ話してみませんか?」
そう言うと、雅樹は驚いたように腕を外してこちらを見た。黒兎は安心させるように微笑んで、ここには俺と、木村さんしかいませんから、と言う。
「……実家と親戚の、跡継ぎを産めというプレッシャーが強くてね」
「え? いつの時代の話ですかそれ?」
黒兎は正直に驚く。雅樹の家は財閥だと知ってはいたけれど、本当にそんな前時代的な考えの家だとは思いもしなかった。
「もちろん、家の為にそうする方が良いならとっくにしているけれど……」
なかなかうまくいかないものだね、と苦笑する雅樹。黒兎は当たり障りなく、そうなんですね、と返した。
すると、少しの間沈黙がある。雅樹が珍しく言い
「そもそもそんな家を背負ってる男を、慕ってくれる子はそうそういないから……」
それを聞いて、昨年の同窓会で、複数人の女性に囲まれている雅樹を思い出した。あれだけ周りに女性がいても、雅樹の悩みを解決できる人には、会えないらしい。
「それに……」
雅樹はまた言い淀んだ。再び腕で目を隠し、ボソリと呟く。
「私はきっと恋愛向きではないし、そもそも女性が恋愛対象なのかも分からなくなりました」
黒兎はドキッとする。しかしここで動揺してしまえば、雅樹は続きを話してくれなくなるだろう。努めて平静を装い、うつ伏せになるよう伝えた。
「……その根拠はあるんです?」
張った背中の皮膚をほぐしながら、できるだけ静かに、優しく問いかける。雅樹は心地良いのかため息をつき、次にはあくびをし始めた。
「初めてと言ってもいい恋をしたんです。その子は……男性でした」
黒兎の手が止まってしまう。それに気付いた雅樹が顔を上げた。
「先生? やっぱり引きましたか?」
「い、いえっ」
黒兎は慌てて施術を続ける。
「そ、その方とは、どうなったんですか?」
動揺を悟られまいと話を促すも、雅樹はクスリと笑った。しかしからかいはせずに、続きを話してくれる。
「何も。見事に玉砕しました」
「そ、うですか……。しかし、それだけで自分の性指向を決めるのは早計ではないですか?」
黒兎は何とか手を動かしながら、緊張を抑えようとした。今更、雅樹が男性もいけるなんて、知りたくなかったからだ。この長年の片想いが、成就するかもしれないと期待してしまうから。
「そうですか? 女性がむしろ苦手なのは、昔からなんですけど……それに」
後悔している事があるんです、と雅樹は眠たそうな声で呟く。
「高校生の時、ゲイじゃないかと噂されていた同級生がいて……」
黒兎はますます緊張した。しかし雅樹は眠ってしまったらしく、規則的な寝息が聞こえてくる。
「……」
ずるずると、足の力が抜けて黒兎は座り込んだ。
危なかった、深く聞きすぎた、この話はもう二度とするまい。黒兎は強く誓う。
いま雅樹が話したのは黒兎の事だ。覚えていないと思っていたのに。
黒兎は肺の空気が全部無くなるまで、息を吐き出した。
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