第5話
「では、よろしくお願いします」
黒兎は、着替えてベッドに仰向けになった雅樹の、手のひらから施術していく。痛かったら遠慮なく言ってくださいね、と声を掛けると、雅樹の表情はフッと和らいだ。
「大丈夫です。思ったよりも優しい力ですね」
心地いい、と言われ、黒兎は微笑んだ。
施術はリラックスして行われるからか、心もオープンになりやすい。悩み事や愚痴などを聞きながらするのはいつものことだけれど、自分からは決して聞き出さないと決めている。
しかし雅樹の身体を診ているうちに、どうしても看過できない部分があった。黒兎は優しい口調で尋ねてみる。
「……結構お酒を飲まれます?」
すると雅樹は驚いたような顔をし、それから苦笑した。
「……皆川さんの言うことは本当でしたね。診るだけで分かるなんて」
雅樹からしてみれば、診るだけと言っているけれど、身体のダメージを受けている箇所を繋げれば、雅樹がかなりの酒豪だというのはすぐに分かった。
「眠るために飲んでないですか?」
「いや、それはないです。お酒が好きで……酔わないのでつい……」
なるほど、と黒兎は相槌を打つ。しかしそれでも、身体に負担がかからない訳じゃない。
(お酒が好きなのか……)
新たな雅樹の情報が手に入り、黒兎は内心喜ぶ。表では程々にしておいてくださいね、と釘を刺すけれど、雅樹は軽く分かりましたと言っただけで、言うことを聞くかは微妙だ。
「先生は、お酒好きですか?」
「えっ?」
まさか向こうから質問されるとは思わず、黒兎は聞き返す。雅樹は目を閉じて微笑みながら、もう一度、お酒は好きですか、と聞いてきた。
「ああ、……私は、あまり……」
黒兎は、もしかして話が盛り上がるチャンスだったのでは、と思い至って語尾が小さくなっていく。しかし雅樹は気にした風でもなく、そうですか、と言うとそれきり黙ってしまった。
(ん? あれ? 寝てる?)
会話のペースは相手に任せているため、気にせず施術を続けていると、すやすやと規則的な寝息が聞こえてきた。
施術は副交感神経を刺激するので、眠ってしまうこと自体は珍しくない。しかし、普段眠れないと主張していた人が、たった数分の施術で寝入るのは珍しく、黒兎は驚く。これは思ったよりも、施術の効果が出ているようだ。
(元々ショートスリーパーみたいだし、器用な人だから自己管理もできてそうだけど……)
ふと黒兎は、雅樹がなぜ疲れが取れないと主張するのか気になった。なにか、雅樹一人では解決できないストレスにでも、晒されているのだろうか。
(……いやいやいや、踏み込むのはよそう)
黒兎はいくら相手が雅樹でも、自分からは聞かない、と心に誓う。大体、雅樹は黒兎のことを同級生だということも気付いていないのだ、その時点で両想いなんて望み薄なのが分かる。
(言って傷付くくらいなら、言わない方が良い)
同級生だということも、片想いをしていることも。
黒兎は雅樹の寝顔を見る。
いつもは大人の色気を垂れ流したような顔は、目が閉じられて少し幼く見えた。よく眠っているようでホッとすると、施術は下半身へと移っていく。
「……」
黒兎は視線を遠くへ逸らした。雅樹の大事な部分が少し兆していて、気まずくなったからだ。
(生理現象だし、確かに溜まってるっぽいし……)
珍しいことではない。眠ってしまうのと同じ現象だ。ここは何事も無かったかのようにして、それとなく伝えるのが一番だと判断し、黒兎はタオルを雅樹の身体に掛ける。
全身の整膚が終わると、今度はうつ伏せになってもらうのだが、雅樹は深いところまで落ちているようで、なかなか起きない。
意を決して声を掛ける。
「……木村さん? 起きてください」
できるだけ柔らかい声で言うと、彼は目を開けてハッとした表情をした。どうやら、眠っていた事に気付かなかったらしい。
「……まだ三十分しか経ってないのか……」
「ええ。良ければ施術をおしまいにして、休んでいかれますか?」
客の中には眠気に勝てず、休んでから帰る人もいるので、黒兎はそう提案する。相当お疲れのようですし、と言うと、雅樹は下半身に掛けられたタオルに気付いた。
「ああ……これは失礼。どうやら相当心地良かったようです」
言葉に甘えて休んでいくと言った雅樹を、最初に案内したソファーへ促した。背の高い彼からすれば少し窮屈かもしれないけれど、施術用ベッドで寝て、転落されても困る。
黒兎は頃合を見て起こしに来ます、と言い残し、部屋を後にした。
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