第2話 飼育員② ダリア
さて、そんな彼らにおはようを言って始まった業務は、もうひとりの職員の手伝いを借りることもできる。
ハイベルニアの後、『宿舎』を近くする、他のドレイク種たちの世話もこなしながら、道なりに進んだ先に、俺たち職員の事務作業場兼休憩所となる『管理塔』が見えてくる。
ドラゴンたちの『宿舎』が鋼材で堅牢に作られているのとは対照的に、『管理塔』は苔むした石造りの建造物だ。
かつてここが、王の狩猟用の獣を飼いならすための庭だった名残で、塔と銘打っておきながら、この『管理塔』はそこまで高さはない。
オオカミやライオンを凌ぎ、見渡すには十分なのだろうが、博愛主義者の現王が募った保護希望者たちを囲う『宿舎』の中で、『管理塔』よりも背の低い建物は、片手の指より少ないくらいだ。
『管理塔』に着くと、トイレに駆け込む前に、俺が腹を下している間、残りの作業をこなしてもらう、地下で寝ているもうひとりの職員を呼びに行かなければならない。
時に、ドラゴンとは、人の言葉を解す程度の知能は大抵持っているものだ。
そのため、朝会えば、おはようを言うのは当たり前で、それを怠ると失礼な奴だと思われてしまう。
そして、永く生きたドラゴンや、魔術の知識があるドラゴンは、人語で話すことさえできるのだ。
この庭園のもうひとりの職員、他に種を持たない孤高の竜の生き残り、名前をダリア―――
一見して、妙齢の少女にしか見えない彼女もまた、人の言葉を話す、数少ないドラゴンだ。
「おはよう、ダリア。今日も残りの作業、頼めるかな?」
眠い目をこすり、シーツを這い出すダリアの、金剛色の長髪、彫刻のような目鼻立ちに見とれ、俺はよく、彼女の『宿舎』の鍵を外すのを忘れてしまう。
「おい、キリル。お前毎日毎日、なんだそれ、嫌味か?」
ダリアの藍色の瞳には、まるで星空を宿しているかのような輝きがちりばめられている―――
鉄格子の向こうから、こちらを睨む荘厳な目つきにたじろぎながら、格子戸の鍵を開け、鳩尾に一発こづきを貰うまでが、彼女と俺の朝のルーティーンだ。
裸の彼女に、自分のものと同じ作業着と、首輪型の拘束具を渡し、それから昼辺りまで、俺は大抵トイレに籠ることになる。……もちろん、腹痛のためにね。
首輪は、彼女の位置情報と、生命反応を『管理塔』の記録魔道具に送信し続け、脱走時にはスタンガンの替わりになる。
大きさの関係上、服に首を通した後でしかつけたり外したりできないため、俺は着脱をダリア自身に任せているが、彼女は一度たりとも、それをつけずに作業に出たことはなかった。
律義な彼女は、ほとんど定刻通りに作業を終え、いつも正午ちょうどに『管理塔』に戻ってくる。
俺は腹の調子がいい時には、朝市で買ったパンやハムを弁当にするが、ダリアは朝昼晩、『管理塔』では何も食べない。
「サハラニアのワイバーンが便の調子を崩していたぞ。続くようなら竜医を呼んでやれ」
例えば、作業から帰ってそういうレポートを手渡すとき、彼女の口からはひどく獣の臭いが漂うことがあり、おそらく他のドラゴンたちから食事の一部を献上して貰っているのだと俺は睨んでいる。
アルティア・シャカツラ―――東方の理想郷から流れてきた、稀少な種である彼女は、故郷ではかつて竜たちの王だったことがあるという。
庭園のドラゴンは、基本的に生存競争に敗れて庇護を求めてきた連中で、ダリアほどの存在に「一口くれ」とでも頼まれれば、きっと進んでそれ以上の献身を示すのだろう。
「なあ、ダリア。この申請書、食肉の費用が先月の倍になってるけど―――」
「必要経費だ。肉のグレードをあげろと要望があった。お前が竜の言葉を聞けないから私がやった。むしろ褒められるべきだ、今すぐ謝らねば食い殺すぞ」
尊大な話し方のダリアは、それを考慮しても口が悪い。
……だが、まあ、この程度の脅迫ならご愛敬で済ませられるか。本気で彼女が暴れたら、きっとお互い無事では済まない。
それに、結局のところ、金払うの、俺じゃなくてあいつだしね。
せいぜい困れ、と俺は心の中で、庭園の持ち主に中指を立てた。
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