第5話
「着きました」
淡々としたトーンの一木がサイドブレーキを引いて、大きく息を吐き出す。あまり公言する機会はなかったが、一木はかなりの優良ドライバーである。ゴールドは当然として、ヘアピンカーブも何のその。そのため、葵のための「研修」にも駆り出されたのであった。
「ええ~ホントのホントにやるんですかあ!? 寿命なくなっちゃうんですけど!?」
当の葵はアイマスクを付けられ、未だにゴネている。到着して尚ゴネるあたり、本当に嫌なのだろうと思われる。トシは厳しい言葉を柔らかい口調と笑顔で投げ掛けるのであった。
「うん、やるよ。大丈夫大丈夫、ここには害のあるようなのはいないから」
「いるのは確定なんじゃんッ!」
「それにしても、一個お願い聞いてあげるって言って、道中カーラジは絶対に達郎縛りで行くなんて言われたときは理解に苦しんだけれども」
「いまのあたしにできる精一杯の反抗期なの……!」
普段はCD等の入っていない一木のマイカーに、ズラリと並んだ葵のCD。少しでも心境を楽にしようと足掻いた末の行動だったようだが、あまり意味はなかったようだ。
「ちなみに、一木くんにはどう見えるかな?」
「……いえ、普通の山ですが」
山と聞いた途端に絶叫する葵。
「山ァ~!? もうほんとッマジでやだァ~!」
「大丈夫だって。僕が言うんだから間違いないよ」
「トシさんが言うからマジなんじゃん! ええ~ホントやだ……」
「とりあえず、アイマスク外してみようか」
「うう~……」
おそるおそる、アイマスクを外してみる。少し陽射しに目を慣らした途端、葵はこれまでのいつよりも奇妙な声を上げた。
「ホギャー!」
「あ、視えてるんだね」
「ビックリ系はやだって言ってるじゃないですかー! あー!」
過剰な反応を見せる葵に対し、何も感知することのできない一木は純粋な興味から問いかける。
「何が視えるんですか?」
「フロントガラスに手形がビッチリ! その隙間からおじさんがこっち見てる! すっごい見てる! なんかあとボンネットにめっちゃ座ってる! 物置じゃないんだから百人は無理だよ!」
「……」
一木には一切そのような様子は見て取れないが、項目の一つ一つに頷いているトシを鑑みるに、どれも二人の視界には明瞭に映っているようだ。後部座席を振り返り、一木は実に一木らしい質問をした。
「あの、トシさん。私の車なので、できればせめてボンネットからは退いていただくようお願いできませんか」
「あ、そこ? 気になるの、そこ?」
「そうですね……やはり……物置ではありませんので、百人は、ちょっと」
「池ちゃん、お願いしてみて?」
「やだやだやだよ! 怖いよぅ! てかここッ……どこ!?」
取り乱している葵に、トシは笑顔のまま自分の煙草を一本、差し出した。大人しく咥えて黙る葵。素直に車から降りると、画になる立ち姿で火を点けた。
「……退きな。そこに座っていいのはもっと画になるヤツだけよ」
こちらも素直にボンネットから退く、行き場のない、一木には視えない存在たち。
「フゥーッ……なんか、意外と会話できるんですね」
「えーすごーい、僕話したことないよー」
「さっきお願いしてみてって言ったじゃないですか!」
「え、あの、退いてくださったのですか? 逐一教えていただきたいのですが」
一木だけが、顔に出さないまま混乱している。わざわざ北関東くんだりまで山道をドライブさせられ、人気のない山裾の脇道に停めろと言われ、伝えられる限りだとフロントガラスが随分と汚されてしまったらしい。
「手形は取れそうですか。洗車、したばかりだったので……」
「おじさん、あたしゃこっちだよ。どうだい美形だろう。自分の知らんうちにミスコン応募されて予選落選してたほどさ」
手形の隙間から葵をじっと見つめていたらしい「おじさん」は、煙草をふかす葵に視線を向けた。口はやはり利かないらしい。代わりにトシが訊ねた。
「ええ? どうして落ちたの」
「キツすぎるんですって。ミスコンでウケのいいのはゆるふわ茶髪のセミロングで、間違っても煙草は吸わないとか。おかしくないです? 酒が許されて煙草が許されないのマジで意味わかんない。煙草の何がダメなのよ」
「そのおじさんは少し手伝ってあげないと退いてくれないかもしれないなあ」
途中から愚痴になっていう葵の言い分は切り上げ、トシは袂からメモ帳を出した。ボールペンでさらさらと何かを書き込んで切り離し、「おじさん」の額あたりに押し付ける。
「うわッ!?」
やはり反応の大きな葵が大きく仰け反って驚いている。一木の不安要素は一点のみである。
「何ですか、何をしているんですか私の車のボンネットで」
「除霊だよ」
「池之下さん説明してください」
「え!? な、なんか、貼ったら、消えました!」
「もったいないしまた使っちゃお」
少し焦げのできたメモ用紙を拾い上げ、トシは運動靴の紐を確かめた。
「どう? 慣れてきた?」
「いや……慣れるとかの問題じゃなくて、あたし、絶対そういうのできないと思います」
「大丈夫大丈夫、適当だから」
「年季の籠った適当っつーのは経験則だから言える話でしょー!? あたしまだ視えるようになってから一ヶ月も経ってないんだから!」
「あはは」
葵の悲鳴は相変わらず無視され、トシはどこか上機嫌にすら見える様子で山登りを始める。一木は、「もっと山向けの装備、重めで来るんだったか」と後悔した。
「ひょわあ!! もうやめてよ!!」
「横から出てきたひとに言ってるんだよ」
「たあーッ勘弁してよ!!」
「今度は上から」
「こっち見んなー!!」
「木の
視える二人に挟まれ、一木は不思議な心地を味わい続けていた。自分には、初夏の風吹き抜ける山麓での軽装ハイキングくらいの感覚だが、挟む二人にはまったく違う景色が視えているという。慣れこそしたものの、やはり自分の目で視るまではなかなか信じられそうにはなさそうだ。
「ハアッもうッ寿命残り何年!?」
「大丈夫だよ。現にまだ生きてるじゃない」
「てか……トシさんはマジ、なんでそんな、平気なんですかぁ? 慣れって答えはナシね?」
「慣れ……なんだけれど、ナシかあ」
人間それぞれ違う景色を見るものと考えるようには至っていたが、こうまで反応の違うものを視ているということが、一木の奇妙な感覚をより増幅させる。さわさわと揺れる木の影に何かがいる、などとは想像もしたことのない光景だ。
「挟まれて視えるようになったり、しませんかね。オセロの要領で……」
「一木パイセン、たま~に出るボケ回答かわいいんだよね」
「このまま山頂を目指すよー」
「は~いってッギャアアア!! だから脅かすなって!!」
「彼らにもそのつもりはないよ、きっと……」
道中の葵の様相は真っ青に引きつったり真っ赤に激昂したりと忙しそうだった。そんなことを繰り返していればさすがの葵も疲労困憊である。山頂には拝殿があるかに思われたが、野晒しにされて長いのだろうか、木製の賽銭箱も拝殿らしき建造物もすっかり朽ちて崩れてしまった場所に出た。
「わ、わ、何、うわ」
「何がいるんですか」
「ここに祀られてた神様だね。いまは誰も来なくなってしまったから、座ってるだけだよ」
「び、びっくりした。神様かあ……なんだろう、抜け殻……みたいな感じです?」
二人の視線の先に何がいるのかはわからない。が、何かを見つめる二人が同じところをうろうろしているので、そこに何かがいる、もしくは在るということが一木には察せる。やや付き合いの長くなってきたことで、察して動くことがようやく一木にも可能となってきていた。視えなくても、できることはある。おぼろげながらにもその自覚が浮かんだことは、一木にとっては目覚ましい成長であった。
「神様って、抜け殻になってしまうのですか」
「僕が視てきた感じでは……ここの神様が特別なだけかもしれない。こうして、隣に座ったって大丈夫なんだ。きっと昔は、本当に頼りにされてきたんだろうね」
「そ、なの、かな。でも確かにこの山、もっと奥の観光地に行くためにはただの通過地点になっちゃってるもんね……観光地も、別に誰かがきちんと住んでるわけじゃないし。自然と、誰もいなくなっちゃったんだ」
どこか寂しそうに膝を抱える葵と、持参した小さな酒瓶を開けるトシの間に、一木には視えない存在が座っているのだろう。朽ちて落ちた鈴の錆びや、ほとんど見る影もない絵馬の欠片など、神社だった形跡はどこにでも見受けられるのに、そこに神は不在だという。空白だけがある場所に郷愁に似た感覚を得る。
「寂しいけど、そうやって移ろっていくもんだよ。僕らの世界と同じ……都会みたいな速さはなくとも、変わるものは変わる」
「……あたしをここに連れてきたのは、ここに連れてきたかったからですか?」
「ううん、ここがいちばん危険がないから」
「なんかそんな気はした! 抜け殻の神様なんて、何もしてこないものの代表じゃないですか! そっか、だからここのみんなは、ただ居るだけなんだ」
「ただ居る、ですか」
てきぱきとランチセットを広げながら、葵は「ええ」と返事をする。
「一木パイセンに憑いてくるようなのって、たぶん、ただ視えるだけのあたしにはまだ処理とか何もできないんですよ。明確な悪意を持って、いやえっと、たまに自分の気持ちが相手には悪意と取られてるってわかってないのもいますけど、そういうヤツって攻撃性高いから、パンチの入れ方がわかんないあたしにはどうにもできないんです。でも、ここに居るのは、そういう悪意とかは持ってなくて……ほんとに、ただ居るだけなんです。ついてきちゃうわけでもなし、脅かそうと思って脅かしてくるわけでもなし……お散歩? みたいな。そんな感じ」
一木の脳内では葵は軽快なフットワークで、連続してやってくるゾンビをジャブの一撃で倒しているのだが、本人の言うところではそのような技術は持っていないという。そのうちできるようになっていそうなポテンシャルも感じられるが、できないと言い張ることはできないのだろう。どちらかと言うと、それを笑いながら聞いているトシがデコピン一発でゾンビを十体まとめて倒している構図の方が浮かびやすい。
「そうだねえ。ここにいるのは、自分がまだどこに行ったらいいのかわからないひとたちだから。だからかなり無意識に動いているんだよ。最初、池ちゃんのことをじっと見てたおじさんがいたでしょ? あのおじさんは池ちゃんを見て何か思うところがあったんだろうね。良くない雰囲気がしたから力技で退かしちゃったけれど」
「……良くない雰囲気、ですかあ~……詳しく聞かないでおこうっと」
「どう? 今日、なかなか目は慣れたんじゃない?」
「う~んそうですねー、びっくりするにはするんですけど、まあ……こういう感じかあ~とは、なりました……」
そこで一木は急に理解へと至った。
トシさん、穏やかな顔をしているからわかりづらいけど、結構スパルタ教育方針だ。
「頑張ってください」
「他人事ォ! めっちゃ他人事じゃん!」
騒がしい道中だが下山も済み、葵は大きく息を吐き出した。
「あ~もう、一生分視た気分だよ~。もうしばらく視たくないよ~」
「これから毎日視ることになるのにねえ」
「言わないでくださいよ! いまめちゃくちゃ現実逃避してるんで!」
「思ったんですが、池之下さんの驚き方は、なんというか、虫が突然視界に飛び込んできたような感じですね」
「ああ……言われてみれば確かに……そっかあ、あたし、虫にびっくりしてるだけに見えるのかあ……」
複雑な心境の葵だが、簡潔に言い換えられてしまうことにより自信の喪失につながりかけている。普通は視えないものを視てしまっているから驚いている、という事情をつい忘れかける。
「慣れるのも大切だけれどね、そうやってびっくりする気持ちも忘れない方がいいと思うよ。初心忘れるべからず、みたいな?」
「それは、そうですね。何事にも通ずることです」
「じゃ、二人もあたしのオーバーな反応に慣れてくださいねー?」
悪戯っぽい笑顔に二人が笑い返す。後部座席に一人、葵にはまだ視えていないらしい誰かの影を、使い古しのメモ用紙で撃退するトシ。一木の車、ということで警戒は強めていたが、その線から外れることなく現れたあたりにより警戒を強める。
「きみ、本当に憑かれやすいねえ」
「え!? なんかいた!?」
「もういないよ。さ、行こう。僕は酔わないようにシートベルトしとこ」
「……俺は一体……」
自分の知らなかった体質をどんどん明るみに出される一木。頬に冷や汗が伝っている。ハンドルを握る手に無意識に力が入っており、内心で「いままで無事故だったのは気まぐれか?」とさえ考えていた。
「達郎、かけないの?」
「……」
「詠一にしていい?」
沈黙のドライブは続く。
続
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