第4話

「案件来てます。子供が庭の墓石を指差して泣く、とのことです」

「子供かあ。七割確定かな。三割疑っていく感じで」

「遠距離での調査になりますので、別途料金がかかります。よろしいですか? はい、はい……では日程調整を致しますので、折り返しお電話させていただきます。お時間のご都合はいかがですか?」

 三人だけの事務所だが、業務の調子は良い。葵が受話器を置いたところで、正午を迎えた。

「キリが良いね、ご飯でも行く?」

「行きます行きまーす! 何にしますー?」

「アジアン料理とかどうですか」

「ひゃっほー!」

 現実に「ひゃっほー!」と声に出す人物の存在をトシも一木も初めて見たが、「まあ彼女のテンションなら言ってもおかしくないな」とすぐに納得してしまった。まったく関係のない第三者が見れば「この組織にはツッコミ役というものが必要な気がする」と思うところだろう。

「戻ってきたら出張の打ち合わせ、しましょうね」

「どこからの依頼ですか?」

「兵庫です!」

「関西なんて行ったことないなあ」

 ビルの階段を降りてゆく。都心の街並みは刻一刻と変化するように忙しない。昼時ともあって、どの店も客の出入りが激しい。

「へー、ウチの上って古着屋さんだったんだ。帰りに見てこーっと」

「お洋服、好きなの?」

 葵の顔はいつも以上にぱあっと輝いて、年相応の笑顔になる。

「そりゃあもちろん! あたしが手に職付けるとしたら、絶対パタンナーさんです!」

 若者を応援したい年頃のトシは笑顔でうんうんと頷く。

「いい夢じゃない。応援するよ」

 その半歩後ろから一木の高い背がひょいと覗き込む。いつも通りの真顔だが少し柔らかい雰囲気ではある。

「よろしければアドバイスやご紹介もできますよ」

「いやいや、いまはそのつもり、ないですからね?」

 気さくな店員に席を案内される。満員ではないにしろ、それなりにひとの出入りはあるようだ。

「いまは、二人とお仕事こなすのが楽しみなんだから。これからのことを考えましょうよ、ね?」

「そうですね。特に広告やPRなどはしていないのですが……サイト開設初日から問い合わせが殺到していますから。忙しくなるかと」

「あんまり体力勝負はできないんだけれどね、僕」

「トシさんてばそーやって年齢出すの、良くないですよー? ただでさえ若見えなんだからちょっとくらいサバ読んだってバチ当たらないでしょ! てかほんとにお幾つです?」

「五十路のおじさんだよ……あ、決まった? 注文しちゃおっか」

 そう言って笑っていたトシが、一枚でもかなりの大きさのナンを、おかわり無料の貼り紙を見てもう一枚注文したのを見て、葵はこれから先トシに年齢に関する事象で話を振るのをやめようと思ったし、一木が当然のようにナンを三枚平らげた上にターメリックライスまで注文したことで葵は世間の広さを改めて知った。そして、事務所には間食できるように菓子類を絶やさないほうがいいかもしれない、と思うのだった。

「あたし……結構食べる方だと思ってたんですよね、自分では。うん。自分では、ね」

「美味しかったですね。ランチセットでカレーが二種類選べるのはとても良いと思います」

「そうだねえ。ラッシー美味しかったなあ」

「店員さんめっちゃ見てた……めっちゃ見られてた……」



「……へえー。内容的にはなんか、聞いたことある感じ」

「思い当たる事例があるのですか?」

「ええ、まあ。これ、十中八九イタズラですよ」

「……え?」

 プリントアウトされた問い合わせメールを一通り読み終えた葵は、困惑している一木に対して一冊の本を差し出した。分厚く、何度も読み返されたようにボロボロになっている。何か所か付箋もついている。

「これ、あたしが学生のときに作った辞典です。あたしが現役生のとき文学部だったのは、履歴書見てるし知ってますよね?」

「はい」

「自費出版っていうか、ほとんど同人誌だけど、レポート同等の評価を受けられるっていうんで作ったんです。現代怪異の元ネタを網羅した本」

「現代? 怪異? ですか?」

「そこからかあ~! ま、いい機会ではありますかねえ」

 葵は慣れたようにホワイトボードにペンを走らせた。一木がずっしりと重い辞典を持って来客用のソファに座って図解が完成するのを待っていると、一服のために屋上へ向かっていたトシが戻ってきた。

「お、なになに? 面白そうな本だね」

「池之下さんの自作だそうです」

「え!」

「はい完成! トシさんも、ついでに一緒に聞きます?」

「ははあ、なるほど。確かに一木くんは理屈の方が理解しやすいかもねえ」

 ホワイトボードにはざっくりとしたものではあったが非常に明瞭な解説が完成していた。在りし日の学生時代を思い出し、一木は素直に感心している。


 池之下さんは口調や外見からは読み取りにくいが、かなりの高学歴だ。これがその神髄……俺とは格が違う。少なくとも、学業という面では。


「講義の真似っこだけど、面白いと思いますよ? 一木先輩ってば真面目だし、あたしも先生役、やりがいあったりして!」

「……お願いします、教授」

「シビレるぅ~っ! ま、茶番はこんくらいにしといて、と」

 葵の特別講義が始まる。ひとえに、まだ事務所に直接の依頼が来ないからこそ取れる時間であろう。

「視えるトシさんはともかくとして……知識としてのオバケの話です。一木先輩は、『鬼』と『妖怪』と『幽霊』の区別、つきますか?」

「……イメージと、しては……といったところでしょうか。正直、明確に区別をつけろと言われると難しいですね」

「怖いモノって一口に言ってもいろいろあるんですよ。日本における恐怖の根源は何かと問われると、おそらくひとそれぞれの答えが返ってくると思います。ざっくりとした歴史の流れというのがありまして、文献資料としては手っ取り早いのはやっぱ、記紀ですねー」

「キキって何? ララ?」

 トシは「専門用語はわかんないよ……」と苦笑いしている。ファンシーな言葉がトシの口から出たことに葵は妙な動悸を覚えたが、ここではその動悸の正体が何かは理解できていない。

「あ、えっとね、『古事記』と『日本書紀』のこと。やっぱり日本最古の文献資料なので、ここから読み取れる内容はわりと解像度の高い資料になってくるんです。それが本当か虚偽かはともかくとして、ね? それに、昔話の源流は記紀にまとめてあることが多いです。浦島太郎なら知ってるでしょ? あれも、記紀両方に記載があります」

「そうなんですか。知りませんでした」

「ちょっとディープな話ですし。名前も太郎なんてわっかりやす~いのじゃないし。で、遡ったのが記紀。そこから歴史はドンドン流れていって、物語が大きく花開いたのが平安時代。『源氏物語』くらいなら、高校で扱う内容だし、ちょっとは覚えてますよね?」

 そっ……と目を逸らす二人。

「……そんなモンか。『物の怪』って単語が出てくるんですけど、あの時代は医療が発達してないので、体調不良の大体が原因不明のオカルト扱いなんです。医者にできることが限られてたって表現が正しいのかな。ここで最初の質問に戻りますけど、『鬼』と『妖怪』と『幽霊』の区別って、実はこの頃はそんなにはっきりしてないんです」

「私と同じように無知というわけではなさそうですね」

 一木の自虐も兼ねたコメントに、葵は否定を入れない。

「そう、概念が確立してなかったんですよ。『鬼』といったら視えないけどそこらへんにウジャウジャいる悪いヤツ、くらいの感じで。そこに『物の怪』っていう新しい概念が派生したんですね。これもあんまり意味としては変わらないけど、ニュアンスとしては、生霊に近いものを指してると思ってください。これがまたドンドン歴史の流れに乗って江戸時代くらいまでたどりつくと、『妖怪』っていう概念になります。『幽霊』が強く意識され始めたのも江戸文化あたりくらいだと思っていただいて構いません。諸説あります、ってヤツなので」

「……知識と現物は、やっぱりちょっと違うね」

「かもですね……特にトシさんは、あたしと違ってずっと視えてるわけだし?」

 一木はじっと辞典とホワイトボードとを見比べている。ふと、「これは……研修になるのか……?」と思っていた。口には出さないため、その表現が最も正しいことは誰もわからないだろう。

「ま、ここまではこれからの話につなげるための基礎です。本題はこっからね」

「この辞典の内容ですか」

「そうでーす! さてさて、こーんな感じで怪異にも発展してきた歴史があるわけですけども、本格的に学問としての研究が進むようになってきます。そこで登場皆様おなじみそう! この研究者! 見た目だけで判断してはダメ、中身こそが肝心、そうでしょ? このひとたちも高校の授業とかで見たことないです?」

 ホワイトボードに貼り出されるモノクロ画像二枚からそっ……と目を逸らす二人。

「……そんなモンか。柳田国男と、折口信夫です。彼らが興した学問こそ、民俗学。あたしがかじった分野ですね。それぞれの特色は置いといて、こうやって学問として研究されたことで、いままであたしが話した概念がきちんとまとめられることになりました。またしても月日は流れ、ようやくその辞典の内容に触れます。これくらいなら一木先輩も知ってるんじゃない?」

「何でしょう」

「トイレの花子さん、って、知ってます?」

「はい。私の小学校にもそんな話はありました」

「不思議ですよね? トシさんの世代からあたしたちの世代まで、ほとんど姿を変えないまま伝わり続けてる。トシさんはもしかしたら視てるのかもしれないけど……あたしたちは視たことないでしょう? でも、大体想像はできる」

 葵に言われたことで、遠い小学校の記憶が一木の脳裏を過ぎる。図書室に置かれていた怪談の本を読んで、怖がる子供もいれば強がって怖くないと言い張る子供もいた。そんな中で一木は、「想像がつかない」という理由で怖くない側にいたのだが、はっきりとイラストなどで見たものに関してはそんなこともない。

「おかっぱ頭に赤いスカート……女子トイレの三番目。そんなイメージですね」

「あたしも同じです。トシさんは?」

「僕の頃もほとんど変わらないね。尾ヒレがついてさ、戦争孤児だとかいう設定のも聞いたよ。僕の小学校にはいなかったけれど」

「僕の、ってことは、余所では視たり……」

「ふふ、ノーコメントにしておこうかな」

 感じの良い笑顔だが、何か裏があるようにも見える。葵はコホンコホンと仕切り直すと、胸を張って辞典を指さした。

「と、ということで、早速その辞典で引いてみてください! 全国各地の『トイレの花子さん』について、調べられるだけ調べてあります! どや!」

「いや~しかしすごいねえ。量がとんでもないよ。よく調べたねえ。これなら出版社から言ってきそうなモンだけれど」

「似たような本は割とありますよ。あたしのはかなり最近のに絞ってあるから、趣味の範疇なんです」

 数ページに渡ってつらつらと書き記された「トイレの花子さん」談。一木は圧倒的な情報量に混乱していた。

「私が知らないだけで、学問分野としてはかなり盛り上がっているのですね」

「そうですよ。あたしはまあ、そこらへんに関してはエキスパートみたいな感じ? スーパーバイザーってヤツ?」

「では、あの大量の問い合わせメールのほとんどがイタズラというのも……」

「そ。辞典に編纂したような、現代怪異のネタがゴロゴロ入ってたんです。念のため折り返し連絡くらいはしても良いかもですけど、大体ハズレだと思いますよ」

「なるほど……」

 ぺらぺらとページをめくってみるが、フィクション作品にはほとんど覚えのない一木にはその手のネタもまったくわからないし、当然のようにネットで有名な話などにもちっともピンとこない。

「あ、僕これ視たことある。高速道路で、首なしライダー」

「さっすがトシさん! てゆーかそれ詳しく知りたいんですけどー!」

「昔ね、タクシーで高速乗ったことがあったんだけれども……」

「池之下さん……ちなみに、何故こちらを持ってきてくださったのですか?」

 トシに向かってノートとペンを構えていた葵は平然と答える。

「だって一木先輩、知識ゼロでしょ? やっぱ役に立ったわ~」

「……励みます」

「身体壊さない程度にね。きみはどうやら弱ったところに付け込まれ易いようだし」

 思い当たるいくつかの事例を挙げる。遭遇していない葵は聞いているうちに呆れたような、困惑したような、そんな表情に変わる。


一木先輩、無意識に寄せるタイプだ、あれだ、ひとタラシだ。


口には出さないがそんな顔をしている。

「逆に、一木先輩みたいに、視えないしあんま信じてないみたいなひとがいた方が、良いのでは? 全員オカルトなのも考え物というか……」

「そう、かな?」

「巻き込まれないに越したことはないけど、一木先輩が巻き込まれてみなきゃわかんない現場とかもあるかもしれないし」

「ああ、そうかも」

「そうなのですか?」

 トシの能力に初めて触れたときのことが一木の背筋を震わせる。怖かったというよりかは、理解が追い付かなくて困り果ててしまったと表現するのが正しい。またあのような状況になるのは好ましいことではなかった。

「できれば、私も早くお役に立てるようになりたいのですが……」

「あたしも実地訓練はまだなわけですし。トシさんに教わるところはおっきいと思うんですよねー」

「僕じゃそんなに、ねえ。どうかなあ」

「あ! じゃあじゃあ! 本格的に仕事始めるより先に、ちょっと場数踏んでみた方がいいんじゃないです? あたしも全然、まだまだなわけだし……」

 自分で言っておいて、葵は語尾をすぼめてゆく。

「……そういうの絶対、視ちゃうじゃんね? 怖、嘘、なんでもないで~す」

「いやいや、視て、慣れておかないと」

「やだ~っ! あたしはホントは視るタイプじゃあないんですよぉ~ッ!?」

 嫌がる葵に笑いかけるトシ。悪意はないが、先達としての役割は果たすつもりを譲らない姿勢も感じられる。


 さすがだ。第一線で当たってきたからこそなのだろう。


 感心している一木に振り向いて、トシは厳しい言葉を投げる。口振りは柔らかいが、要求は重い。

「一木くんは座学も必要だからね。パッと見ただけだけれど、この本すごく勉強になるし、読んでおいで」

「え」

「それと、僕の推薦図書も読んでおいて。概念がわからないんじゃあ、いざというときに力がなくてもできる対処ができないからね。池ちゃんは本物で目を慣らそうね」

「やだァ~ッ! 怖いじゃんやだァ~ッ!」

「仕方ないでしょ」

 どこまでも突き抜けた笑顔だ。裏が一切ないことが、やはり奇妙な恐怖心を煽る。

「これが、僕らの仕事じゃない」

 この笑顔の根源にある感情が「歓喜」であることは、トシ以外誰も知らない。




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