夏祭り 三

「お、俺、俺は……」

「アハ、みんなにバレちゃったね。どうする英司?」


 翠が笑いながら英司を睨みつけた。坂本が英司に代わり翠を睨み返した。


「おい、どういうことなんだよ!? ちゃんと説明してくれよ!」

「いいよ。ぜーんぶ教えてあげる。そこに居る英司はね、陽菜を殺した殺人犯なんだよーん!」


 翠は口調こそ挑発的だが、決して楽しんではいなかった。ハの字になった眉毛が悲痛であることを訴えていた。


「どうして英ちゃんが陽菜ちゃんを殺すんだよ。動機は!?」

「大好きな陽菜が他の男とヤッてたからよ。でも英司はね、陽菜が襲われてると思い込んで、相手の男を殴っちゃったの」

「え、あ、そこの推理は当たってたんだ……」


 坂本が小さく呟いた。


「でもその後に陽菜に責められたんだ。恋人を殺した人殺しって。英司は助けたつもりだったのにね。それでカッとなって、陽菜の首を絞めたんだよね」

「……ああ、そこも推理通りだったのか」


 宮司も呟いた。そうなのである。犯人こそ間違えたが、殺害状況と動機は私達が推理した通りだったのだ。

 だからこそ肝心の犯人を外したことが残念だが、陽菜を想い彼女の為に涙を流した英司が真犯人など、真相が明らかとなった今でも信じ難かった。


「陽菜の顔、真っ赤になって苦しそうだった」


 翠の声のトーンが変わった。彼女は両手を交差させて自身の肩を抱いた。


「あたしや優一さんが必死に止めたけど、凄い力で駄目だったの。陽菜は、あのコは、もがきながら死んじゃった。あたし達の目の前で……」


 花火の打ち上げはまだ続いていた。祭り客の歓声も。それでも、か細い翠の声は何故かハッキリ耳に届いていた。


「幼馴染を見殺しにしちゃった。あたしも優一さんも苦しんだんだよ? なのに英司、何でアンタは全てを忘れられるの!?」

「俺……忘れ…………た?」

「ずっとずっと苦しかった。優一さんはもう自分に幸せになる資格は無いって。あたしにも巻き込んですまないって、何度も何度も謝って来た。殺したのはアンタなのに!」

「俺が殺した……? 陽菜……を?」

「そうなんだってば!」


 翠は泣いていた。


「陽菜が静かになった後、アンタは叫んでから気を失ったの。押しても揺らしても起きなかった。陽菜もそう。見よう見まねで心臓マッサージしてみたけど、全然反応が無かった。あたし達は怖くなって小屋を出たの。アンタは優一さんが背負って坂を下りた。おじさんに電話して車で迎えに来てもらって……」


 十年前の夏祭り、ここで何が起きたのか全てが明らかになった。


「その晩は優一さんもあたしもどうかしてた。陽菜をそのままにして帰ったんだもん。でも次の日になって、優一さんから電話が来たんだ。警察に行かなきゃねって。それが当然だよ、みんな罪に問われるけど、だって陽菜は死んだんだから」


 肩を抱く翠の腕がワナワナと震えた。


「あたし達はアンタが目覚めるのを待った。三人で自首する為に。それなのに、目覚めたアンタは、アンタは……」


 翠が涙を振り撒きながら叫んだ。


「忘れてたのよ、全て!!」


 翠の気迫に押されたのか、英司の身体がビクンと跳ねた。


「一人だけ、忘れて楽になったのよ!」

「俺……俺は…………」


 英司のそれは、過度のストレスによる記憶傷害なのだろう。精神の崩壊を避ける為に、脳が記憶にフィルターを掛けたのだ。

 英司が望んだことではないのだろうが、巻き込まれた翠からしたら首謀者の逃亡は理不尽、その一言に尽きる。


「……優一さんは言ったんだ。翠ちゃん、このまま黙っていてくれないかって。何も覚えていない弟を、殺人犯として警察に突き出せないって。地獄には自分が落ちるから、翠ちゃんも全てを忘れて元の生活に戻ってくれって」

「兄貴……」

「でも、忘れられる訳無いじゃない!」


 翠の声は掠れていた。喉が痛いのだろう。しかし彼女は喋るのをやめなかった。ずっと胸の内に秘めていた、苦しい想いを吐き出していた。


「無理なんだよ。だって陽菜は戻って来ないんだもん。苦しそうなあのコの顔が消えないんだもん。陽菜のお母さんだっておかしくなっちゃうし、そんな状況で忘れて暮らすなんて!!」


 英司は両手で耳を塞いだ。


「何、聞きたくないの?」


 翠は英司に侮蔑の視線を送った。


「また逃げんのね、アンタはいつもそう。碌に連絡も寄こさないで、都会で十年間楽しく暮らせて良かったね。陽菜の事件がトラウマになったから帰りたくないって? 笑わせないでよ。こっちは毎日、陽菜の幻に怯えて暮らしてんのにさ」


 翠は一度、唇を噛んだ。


「あたし、陽菜を見たの。あのコが死んだ後に何度も。あの夜と同じ浴衣姿だった」

 私と坂本、宮司は顔を見合わせた。翠も陽菜の霊に遭っていたのか?


「苦しそうに、悲しそうにあたしを見てた。あのコ、成仏できずにまだ村にいるのよ。きっと、あたし達を恨んでいるんだ」

「翠、やめてくれ」


 英司が懇願した。


「それでも優一さんの傍に居れたから耐えられた。優一さんと二人で罪悪感を共有できたから。女として愛してもらえなくても、あたしは優一さんと居れたらそれで良かった」

「やめて。頼むから、もうやめてくれ」

「優一さん、優一さんが死んだらあたしはどうしたらいいの? あたしの全てだったんだよ? あたし、あたしは優一さんが居たから……」

「やめてくれぇぇぇえええ!!」


 英司が甲高い声で叫んだ。それっきり、プツリと糸が切れたかのように横へ倒れた。


「英ちゃん!?」


 坂本が地面に寝転ぶ英司の肩を軽く揺らした。反応は返って来なかった。


「気を失ってんぜ」

「……熱が有るな。かなり高い」


 英司の額に触れた宮司が言った。翠はふっ、と笑った。


「まんま、十年前と一緒ね。英司、アンタはまた忘れるのかな?」


 私はそっと翠の脇に移動して、地面に転がっていた包丁を靴で踏んだ。だが静かに泣き続ける翠にはもはや、英司を殺害する気は無いように思えた。

 翠、この娘も気の毒な存在だ。佐々木同様に恐怖で逃げてしまったばかりに、十年間も苦しむ羽目になった。愛する男の頼みを断る勇気が有ったなら、また違った結末になっていただろうに。


「会長」


 近付いて来た宮司がそっと私に耳打ちした。


「救急車を呼びます。警察も。祭り客を刺激しないよう無灯火、サイレン無しで来てもらいます。自治会の皆さんには、酔っ払い同士の喧嘩が有ったと説明して下さい」

「承知しました。あの、宮司さん」


 私は疑問に思っていたことを尋ねた。


「宮司さんはどうして、こちらにいらしたのですか?」

「はい?」


 宮司は首を傾げた。質問の仕方が悪かったかな。


「ええと、とても良いタイミングで来て下さったので。坂の下から、私達が暴れている様子でも見えたのですか?」


 宮司は怪訝な顔つきをした。


「何を言われるのですか。私をここへ連れて来たのは会長ではないですか」

「はい?」


 今度は私が聞き返す番だった。


「私が?」

「ええ。案内所に居た私を呼びにいらして、一緒に来て欲しいと」

「私が案内所に行ったのですか?」


 案内所は屋台村の端で、落し物の管理や迷子の保護を行っている。澄子がボランティアで協力してくれているので、夫の宮司は様子を見に立ち寄ったのだろう。

 そこに私が現れたと宮司は言ったのだ。私は英司と一緒にここに居たのに。


「目の前で大変なことが起きて、会長は少し混乱されているようですね」


 宮司は私の肩を優しくポンポンと叩くと、少し離れて携帯電話を操作した。通話の邪魔になるのでそれ以上の追及ができなかった。


「村長、どうかしたんですか?」


 次に坂本が近付いて来た。


「ああ、宮司さんが救急車と警官を呼ぶそうだ」

「そうですか……」


 翠と英司を複雑な表情で見守る坂本。私は彼にも同じ質問をしてみた。


「坂本くんが来てくれて助かったよ。私一人では英司くんを抑えられなかったからね。でもどうして、私達がここに居ると判ったんだい?」

「はぁ?」


 坂本にも怪訝そうな顔をされた。何なんだ。


「村長が付いて来いって言ったんじゃないですか。見回りした後の待ち合わせ場所で」


 またか。私のドッペルゲンガーは何体居るんだ。


「いや、しかし村長は足早いですね。見失わないように付いていくのがやっとでしたよ。俺も若い頃バスケでけっこう走り込んだんですがね。陸上やってます?」


 やっていない。部活動はずっと水泳部で背泳ぎ専門だった。


「あのね坂本くん。私は見回りでキミと別れた後、すぐに英司くんと出会って、彼の付き添いでずっとここに居たんだよ」

「そんな訳は無いでしょ」

「そう言われても困るよ。本当だもん」

「あれは絶対に村長でした」

「その村長は今の私と比べて、何か相違点は無かったかい?」


 言われた坂本は、私の頭から足先までをざっと確認した。


「そう言えば……、俺の前を走ってた村長は、もっと頭がフサフサだったような」


 大変失礼なことを言いやがった。


「でも村長でしたよ。村長がお気に入りの服を着てましたもん。水色のポロシャツ。今日も着てるんでしょ?」


 私は黙ってハッピの前部分をはだけた。下に着ていたものもポロシャツだが、白地に茶色いラインが入った別物だった。


「あれっ、村長、いつ着替えたんですか?」

「着替えてないんだ。私は朝からずっとこのシャツだった」

「どういうことですか?」

「私が聞きたいよ」


 私と坂本は何度も首を捻った。何が起こっているのだろう。

 水色のポロシャツは肩部分がほつれたので家に置いてある。捨てるには忍びない妻からの贈り物。

 そこまで考えた瞬間、上方からクスクスと笑い声が聞こえた気がした。懐かしい声音だったので、私は思わず夜空を見上げた。


 花火の打ち上げはいつの間にか終わっていた。空は花火の煙で白くなっていた。

 あれは……?

 煙が造り出した偶然のシルエットなのか、女性らしき姿が浮かび上がっていた。典型的な中年太りをした体型の女性。


「育……子?」


 私は亡き妻の名を呼んでいた。どうしてそう思ったのかよく解らない。ただ私はそのシルエットに目を奪われていた。


 シルエットが崩れ、ただの煙に戻るまでずっと。




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