夏祭り 二

 御守りは気休めにしかならなかった。ならば物理的手段に切り替えよう。


「馬鹿なことはやめるんだ翠さん。誰か!」


 私は坂本に言われた通りに、大声で助けを求めた。人海戦術だ。放火事件の時のように大勢で彼女を止めるしかなかった。


「誰か、誰か助けてくれ!」


 しかし花火の打ち上げ音が私の声を打ち消した。場所も良くなかった。高台のここは、低地に居る祭り客から見えにくい位置だった。やはり人気の無い場所に来るべきではなかったのだ。

 気を付けて。陽菜が警告してくれていたのに。私は自分の迂闊うかつさを呪った。

「英司くん、逃げろ!」


 脇の英司に怒鳴ったが、英司は餌を貰う金魚の如く、口をパクパク開閉させるだけだった。


「死ねよ、英司!」


 包丁を振りかざして翠は突進して来た。動けない英司を私は咄嗟に突き飛ばした。包丁は空を切り裂き、ザクッと刃を倉庫の戸に深く沈めた。


「何てこと……」


 翠は本気だ。躊躇ちゅうちょ無く英司を殺そうとしていた。


「英司くん、立って!」


 翠は戸に刺さった包丁を抜くのに苦労していた。その隙に逃げたかったのだが、英司は腰を抜かしてしまったようで立てなかった。

 焦り、苛立ち、恐怖。いろいろな感情がごちゃ混ぜになって私は吐きそうだった。

 包丁を抜いた翠が私達に向き直った。私は翠の前に立ちはだかった。怖くて脚が生まれたての子牛のように震えたが、若者の英司をみすみす死なせる訳にはいかない。

 翠にも、殺人を犯してほしくなかったのだ。


「だ、駄目だ、翠さん」

禿はげチャビンに用は無いの。そこどいて」


 酷い言われようである。禿を笑う者はいずれ禿に泣くと知れ。


「翠さ……」

「何でだよッ!」


 地面に這いつくばった姿勢で英司が抗議した。


「何でおまえは俺を殺そうとするんだよッ。何度も何度も、何でだよッ!」


 翠は冷たく言い放った。


「アンタが全てを忘れて、一人だけ幸せになろうとしてるからだよ」

「はぁ!?」


 唾を飛ばしながら英司は必死に言い返した。


「変な言いがかり付けんな! 俺が何を忘れたって言うんだよッ!?」

「やれやれ。馬鹿は死ななきゃ治らないって本当だね」


 翠は汚物を見るような目で英司を睨んだ。


「オマエなんだよ……」

「何が!?」

「陽菜を殺したのは、オ マ エ なんだよ、英司!!」


 ドドンッ。

 一際大きな花火が打ち上げられた。皮肉にも、英司が陽菜に供えた菊の花によく似ていた。

 美しくも哀しい花。


「は……?」


 英司は何度もまばたきした。


「俺が、陽菜を殺した……?」


 言われたことを理解するまで、少しの時間が必要だった。


「翠、おまえ何言ってんの?」


 英司は翠の言葉に素で驚いていた。演技で恍けているようには見えなかった。

 もっとも、驚いたのは私も同じだ。優一ではなく英司が陽菜を殺しただと?


「ずっと優一さんに口止めされてた。忘れたなら、その方がいいって」

「兄貴に……?」

「そうだよ」


 優一の名を口にした翠は、少しだけ険しさを消した。


「ねぇ英司、思い出してみて。十年前の夏祭り。アンタはどう過ごした?」

「俺……?」

「そう、アンタのことよ。思い出して」

「俺、俺は」


 英司は口籠りつつ答えた。


「陽菜に告白したくて、陽菜を捜して、で、でも見付からなくて、気が付いたら家で布団に寝かされてた。熱が滅茶苦茶出て、熱中症だろうって」

「……そうだね。アンタが熱を出したのは本当。陽菜がなかなか見付からなかったのも。だからあたしと優一さんも、捜すのを協力したんだよね」

「そう……だったっけ?」


 英司は右手を胸に当てた。


「そう……だったかもしれない……」

「そうだったんだよ。そして陽菜を最初に見付けたのはあたしだった。陽菜はすごくお洒落してて、知らない男の人と一緒だったの」

「あ……え……?」


 男とは佐々木のことだろう。


「陽菜は嬉しそうに、男の人と腕組んで歩いてた」


 母親にさえ照れ臭くて打ち明けられなかった、陽菜の幸せな秘密。


「陽菜にはもう恋人が居たんだね、残念だけど諦めようねって、あたしと優一さんはアンタを慰めたんだ」


 英司は左右に頭を振った。


「嘘だ、そんなの。俺は陽菜から何も聞いてなかった!」

「そう。アンタはあの時も、陽菜に恋人が居たことを認められなかった」

「………………」


 暗がりでも、英司が震えているのが判った。


「陽菜は悪いナンパ男に引っ掛かったんだって主張して、陽菜と男を追ったんだよ。凄い人混みだったから途中一度見失ったけど。アンタは執念でここに辿り着いたってワケ」


 翠の上で連続して小花が咲き乱れた。スターマインだ。翠はケラケラ笑った。


「今と同じだー。あの時も花火が打ち上げられてて綺麗だった。素直に陽菜を諦めて、花火見物してれば良かったのに、アンタときたらさ……」


 翠は倉庫に視線を送り、からかうように英司に言った。


「そこの小屋の中で、陽菜と男がヤッてたのよね」

「……翠さん、やめなさい」


 堪らず私が制止した。翠の視線は地面に移った。


「小屋を覗いたアンタはすぐに石を拾ったね。あれくらいの大きさだったっけ?」

「もうやめなさい」


 横目で見た英司の震えが大きくなっていた。


「それで男を殴ったんだよね。あたしと優一さんが止める間も無かった」

「やめるんだ」

「アンタはその後、もう大丈夫だぞって陽菜に駆け寄ったね。お姫様を助けに来たナイトみたいに。でも陽菜にぶん殴られたんだよね。グーで。傑作!」

「翠さん!」

「アハハ、陽菜はアンタを人殺しって。助けたつもりだったのに人殺しって」

「やめるんだ!」

「だからアンタは陽菜を……」

「やめろぉおおおおお!!」


 最後のやめろを言ったのは私ではなかった。腰を抜かしていたはずの英司が咆哮し、私と翠の方へ飛び掛かって来たのだ。

 ヒラリ。

 何としたことか。止めなければならなかったのに、生命の危機を本能で感じ取った私は反射的に、英司のフライングボディアタックから身をかわしてしまった。

 私という障害物が取り除かれたので、英司はそのまま翠に体当たりした。彼女が持っていた凶器が英司の左肩を掠めたが、英司は怯まず翠に馬乗りになった。


「がはっ」


 英司の両手が華奢な翠の首に宛がわれた。


「いけない!」


 私はすぐさま英司の腕を開こうとした。しかし、決して太くはない彼の指はぎっちりと翠の喉元を捉え、私の握力では離せなかった。


「英司くん、しっかりしろ!!」


 充血した目を見開き、歯を食いしばる英司は正気を失っていた。容赦の無い力で首を絞め付け、翠の顔が見る間に赤く染まっていった。


「駄目だぁああ!」


 私は英司の右手にしがみつきガクガク揺さ振った。渾身の力を込めているのに英司はびくともしなかった。

 駄目なのか、翠を目の前で殺されてしまうのか。陽菜が死んだ同じ場所でもう一人。

 誰か助けて、助けて、助けて。私は目を閉じて祈った。


「ふんぬぉおおお!!」


 勇ましい掛け声が場に響いた。

 まぶたを開いた私の目に、英司の左手を引っ張る二本の腕が映った。


「こんのぉおおお!!」


 私と同じ町内会のハッピを着た、逞しい腕の持ち主は坂本であった。


「坂本くん!」


 まさに救世主。ヒーローの登場に私は目頭が熱くなった。


「村長、腕を横に開くイメージで、体重は後ろにかけて。倒れる感じで!」

「お、おお!」

「いっせーのー、でぇいっ!!」


 私と坂本は英司を後ろに引き倒した。腕力に男二人分の体重が加わり、漸く英司の手は翠の首から離れた。


「うゲホッ!」


 窒息からの急激な酸素の供給で、翠は激しく咳込んだ。首にはくっきり英司の指の痕が残っていた。陽菜の霊に襲われた私と同じだ。

 ああ、陽菜が見せた真犯人、あの若い男が英司だったとは。


「翠……?」


 英司は呆然とした表情で翠を見て、


「お、俺はいったい……?」


 その後に自分の手のひらを見つめた。翠を殺そうとした自覚が無いのだろうか。


「どういう状況ですか? これ」


 急な登場をした坂本が当然の疑問を口にした。私が説明しようと口を開きかけた時、


「何が遭ったのですか!?」


 坂道の方向から宮司も登場した。人気の無い場所のはずなのに千客万来だ。


「英司くんに翠さん、二人がどうしてここに居るのですか?」

「それは……」

「アハハッ、アハハハハ!」


 私の発言はまたもや中断された。笑い声の主は翠だった。彼女は首を擦りながら息も絶え絶えに言った。


「まるであの時の再現だったね英司。アンタが陽菜を殺した時と一緒!」


 翠の発言を聞いた坂本と宮司がギョッとした。信じられないといった風に、二人は尻餅をついた英司を窺った。


「英司くん……?」

「嘘だろ、英ちゃんが、陽菜ちゃんをやったの……?」


 英司は泣きそうな顔を何度も横に振った。


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