夏祭り 一

 土曜日。加賀見村が町となってから初めて夏祭りが開催された。

 自治会が運営するこの祭りは、屋台の料金設定がかなり安くなっている。その為、開始時刻十七時から神社の境内は大勢の客で賑わい、祭りは大盛況となっていた。

 現在十九時の時点で六つの屋台が完売御礼状態だ。十九時半になると、依頼した業者が花火を打ち上げてくれるので、祭りは更に盛り上がることだろう。


 私の手首には金曜日に宮司から貰った、ブレスレット形態の厄除け御守りが巻かれていた。防水仕様なので身に付けたまま風呂に入られるのが嬉しい。


「村長」


 射的屋台担当の坂本が困り顔で、私が担当する水ヨーヨー釣り屋台を訪れた。


「どうしたんだい?」

「翠ちゃんらしき客を見ました」


 私の顔もおそらく、坂本と同じ表情になっていただろう。


「翠さんか……」


 翠は田上家放火事件の際、錯乱して英司に襲い掛かった。気を失った彼女は隣町の病院に入院したと聞いていたのだが。


「退院して戻って来ていたのか」

「まだ本人とはしっかり確認できていませんけどね。遠目で見ただけなんで」


 翠の精神状態が落ち着いているのなら問題は無い。だがもしもまた錯乱して、大勢の人の中で得物を振り回されたら大惨事になる。


「俺、ちょっと見回りして来ますわ」

「それなら私も行くよ、手分けした方が早いだろう。少し店を空けてもいいかな?」


 私は隣の桃川に許可を願った。


「私一人で大丈夫よ。ヨーヨーは残り少ないし。翠ちゃんを宜しくね」


 穏やかな桃川の笑顔に送り出されて、私と坂本は人がごった返す参拝道に出た。


「坂本くんはここから右方面を見回ってくれ。私は左を見てくる」

「了解です。翠ちゃんが見付からなくても、十五分後にはまたここに戻って来ましょう」

「そうだね。区切りは必要だ」


 坂本は右方向へ行き掛けて、一旦足を止めた。


「村長、気を付けて下さいね」

「大丈夫、人が多いし私にはこれも有るからね」


 私は手首の御守りを掲げて見せたが、祈りよりも物理的手段を尊ぶ坂本は不満そうだった。


「何か有ったら大声で人を呼ぶこと。いいですね?」


 まるで学校の先生だ。今度こそ坂本が歩き去ったので、私も反対方向へ歩を進めた。


「さてと……」


 歩きながら周囲を窺ったが、人混みの中での人捜しは困難を極めた。

 日没を迎え周囲は薄暗く、どうしても屋台の灯りや華やかな浴衣ばかりに目が行った。翠も目立つ服装ならば捜し易いのだが。坂本に翠らしき人物が着ていた服の、特徴を聞いておくべきだったと私は反省した。


「村長さん?」


 私を呼ぶ男の声がした。見ると一輪挿し用の菊を持った、田上英司がそこに居た。町内会のハッピを着ていた私は目立つようだ。


「やあ英司くん、お祭りに来てくれたんだね」


 歓迎している風の台詞を選んだが、内心私はマズイと思った。翠と英司が鉢合わせしたらどうなるのだろうと。


「遊びに来た訳ではないんですけどね……」


 英司は目を伏せた。

「お兄さんの容態はどうなんだい?」

「まだ目を覚ましません」

「そうかい……」


 立ち止まっていては人の流れを妨げてしまうので、私と英司は連れ立って歩いた。


「その花は、陽菜さんに?」


 屋台では花の販売をしていない。そして菊は死者に手向ける花として知られている。わざわざ用意して神社に持ち込んだということは、そういうことなのだろうと私は推測した。


「そうです。陽菜が亡くなった場所に供えたくて」


 英司の足は向かっていた。陽菜が殺害された社の裏へ。

 私は人気の無い場所に行くことを躊躇ためらったが、翠に一度狙われた英司を独りにできず、結局、彼に付き合うことにした。


「俺と陽菜は幼馴染でした。保育園から高校まで一緒の仲だったんです」


 滑り止めの木組みが埋め込まれた坂道を登りながら、英司がポツリポツリと昔のことを話し始めた。


「ガキの頃は泥だらけになって遊びました。陽菜はまるで男子みたいに走り回ってた」


 坂は意外と高く、登るうちに屋台の灯りがだいぶ下に見えるようになった。祭り客の声も徐々に遠くなっていった。


「それが中学くらいから急に女らしくなって、男の俺らを子供扱いするようになって」


 坂を登り切った先には小屋と、少し開けたスペースが在った。なるほど、ここなら花火がよく見えそうだ。

 英司は小屋……、倉庫の戸に手を掛けた。南京錠が付けられた戸は開かなかった。事故の再発を防ぐ為に宮司が取り付けたのだろう。


「中には入れないか。仕方無い、ここで」


 英司はしゃがみ込み、戸口に菊を立てかけた。


「………………」


 手を合わせた英司の頬を、一粒の涙が伝った。


「もう陽菜の顔をハッキリ思い出せないほど時間が過ぎたのに、どうしてまだ悲しいんだろう」


 涙を拭った英司は言った。


「伝えられなかったけど、俺、陽菜のことが好きだったんです」


 知っていた。桃川が前に暴露して来たから。


「陽菜が死んだ夏祭りに、俺、陽菜に告白したかったんです」


 それも知っていた。覗き見をしたような気分になり、申し訳無さで私はモジモジした。


「それなのに……それなのに……」

 英司は両手に拳を造り、それを倉庫の戸に強く叩き付けた。


「英司くん!?」

「何でだよッ、何で陽菜が殺されなきゃならねーんだ!!」


 戸を叩きながら英司は号泣した。悲痛な嗚咽を漏らす彼の背を、私は擦ってやるしかできなかった。


「陽菜、陽菜ぁッ!」


 英司が小屋の前で獣のように呻いている間、坂の下では祭り客がはしゃいでいたのだろう、微かに楽しそうな声が届いた。嘆く英司とは対照的だった。

 幼い恋。しかし真剣な想いだった。十年前の初恋にまだ囚われている彼が、もしも自分の兄が容疑者だと知ったらどうなってしまうのだろう。

 ああ、どうか。優一犯人説が外れることを、私はこの時強く願っていた。


「う、うう、う……」


 やがて英司の泣き声は小さくなっていった。


「うっ……、すみません、村長……」

「いいんだよ、思い切り泣きなさい」

「もう……大丈夫です。付き合わせてすみません」


 赤い目をした英司は菊の花を見つめた。


「この花、持って帰らないと迷惑になりますよね?」


 彼としてはもう少し供えておきたいのだろう。少なくとも今夜一晩くらいは。


「明日屋台の撤去をする時に、私が責任持って回収しておくよ。宮司さんには言っておくから。花はその後に処分してしまってもいいかい?」

「構いません。ありがとう、ありがとうございます……」


 ドンッ!

 空気の震える大きな音がして場が明るくなった。同時に沸き起こった人々の歓声。

 振り返ると夜空に大輪のほのおの花が咲いていた。花火が始まったのだ。


「もう十九時半か」


 そろそろ戻らないと坂本を心配させてしまう。


「英司くん、そろそろ下に行こう」

「はい」

 英司が素直に従ってくれたので私は安堵した。しゃがんでいた彼を立ち上がらせ、坂へ向かおうとした私は、手前の空きスペースに佇む人影に気付いた。暗くて誰かはすぐに認識できなかった。


 ドンッ。二発目の花火が打ち上げられ、影になっていた人物の顔が明るく照らされた。


「!!」


 私と英司は立ちすくんだ。あれは……、あそこに居るのは……。


「み、翠さん?」


 裏返った声の私の呼びかけに相手は微笑んだ。間違い無かった。花火を背にして翠が立っていたのだ。


「ど、どうしたんだい、こんな所で……」


 動悸を感じながらも、私は平常を装い翠に対応した。陽菜の霊に続いて今度は翠か。


 英司は完全に固まっていた。翠にゴルフドライバーで襲われた恐怖を思い出したのだろう。


「花火を見に上がって来たのかな。坂本くんから聞いたけど、ここは知る人ぞ知る、花火見物スポットなんだって?」


 どうかそうであってくれと、私は御守りブレスレットを擦りながら祈った。翠はただの花火見物客で、私達は偶然出会っただけ。そうだったなら。

 翠はニコニコしながら、手持ちのバッグから何やら取り出した。それはフェイスタオルらしき物に巻かれていた。

 嫌な予感がした。


「ここに来ると思ってたよ。犯人は現場に戻ると言うもんね」


 翠は訳の解らないことを言いながら、バッグを無造作に投げ捨てた。


「翠さん、バッグ汚れるよ……?」


 私の忠告を無視した翠は、タオルをスルスルほどいていった。完全にほどかれたタオルもまた、バッグ同様に土の上へ落ちた。


 ドンッ。

 三発目の花火が翠の所持品を怪しく光らせた。


「!?」


 私はバケツ一杯の冷水を、背中にぶちまけられた衝撃を受けた。


「み、翠さん、それは……」


 翠は家庭用の料理包丁を手に持っていた。


「何をする気だね?」


 私は間抜けな質問をした。ここには捌ける魚も刻む野菜も無い。有るのは血潮の通った肉。そう、我々の肉体のみだ。

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