土地に縛られるモノ 三

 ピンポーン♪


 生と死の狭間に、場に合わない軽快なメロディーが突然流された。

 何だ?


 ピンポーン♪


 再び鳴り響いたメロディーで気付いた。これは我が家の玄関チャイムだ!

 同時に私は覚醒した。徐々にクリアになっていく視界。見慣れた居間に、私は一人で倒れていた。


「………………」


 周辺を見渡しても、既に陽菜と謎の男の姿は無かった。代わりに猛烈な苦しさが喉の奥から込み上げて来た。


「うゲホッ、ゲホゲホッ!」


 死ぬ寸前まで首を絞められたのだと思い知った。あの男に一切の容赦は無かった。


「村長~、お留守ですか~?」


 玄関方向から坂本の呑気な声が聞こえてきた。チャイムを鳴らしてくれたのは彼だったのか。今日は自治会の集まりは無かったはずなのに。何にしても助かった。


「村長~、あーそーびーまーしょー」


 ふざけた男だが、彼のおかげで私は悪霊から解放されたのだ。


「ゲホッ、ごふゲホ!」


 むせていた私は返事ができなかったが、このまま坂本を帰したくなかった。また陽菜の霊に襲われるかもしれない。次も助かる保証は無いのだ。

 私は近くに転がっていたリモコンに手を伸ばして、テレビの音量を最大にした。


『ビックリ便利商品、機能はこれだけじゃないんです!』


 まだ通販番組が続いていたようだ。司会者が高い声で商品説明をしていた。その大音量は玄関先まで届いたようだ。


「あ、村長、居るんですね。親戚の叔母さんから大量に桃を貰ったんですが、村長もいかがですか~?」

『でもソレ、お高いんでしょう?』

「いやいや、お裾分けですからお金は要りませんよ~」


 さっきのは通販番組のサクラの合の手だ。どうしてテレビと会話が成立するんだよ。

 気の抜けたやり取りを聞いていた私は、漸く恐怖と息苦しさから立ち直ることができた。

 テレビを消して、おぼつかないが自分の足で歩み、命の恩人の元へ向かった。


「村長!?」


 玄関の引き戸を開けた私を見た坂本は、桃の入ったビニール袋を落とさんばかりに驚いていた。


「何が遭ったんです!?」


 後で彼に確認したが、この時の私は赤い顔をして、首にくっきり人の指の痕が有ったそうだ。


「誰の仕業ですか! やった奴はまだ近くに居るんですか!?」

「居る……のかも」


 私は家の奥に目をやった。今は見えないが、陽菜の霊はまだ私に憑いているのだろうか? あの男も。


「野郎!」


 坂本が桃を私に渡し、乱暴に靴を脱ぎ家に上がった。


「おいコラ、出て来いや!!」


 家の奥に睨みを利かせた後に、怒れる坂本は私に指示を出した。


「村長は家から出ていて下さい。そして警察に通報を!」

「あ、いや坂本くん……」

「今携帯持ってないんですか? なら俺のスマホで……」

「いや違うんだ。通報しても警察は来てくれないよ」

「どうして!?」


 鼻息荒く聞き返してきた坂本に、何と説明したものかと困った。公民館の再現だな。私はやはり、ここでも真実を告げることにした。


「私を襲ったのは生身の人間じゃないからさ。陽菜さんの……幽霊だよ」

「え……」

 坂本は絶句してから私の顔を見つめた。公民館と今日、二度も世迷言を吐いたときっと呆れられてしまった。老人性痴呆症を患ったと疑われたかもしれない。私は泣きたい気持ちになった。

 坂本は例のグーパー運動をした。そして真面目な顔つきで言った。


「話、詳しく聞かせてくれませんか?」


 意外な申し出をされて、私の目はきっと点になっていただろう。


「信じてくれるのかい!?」

「村長、酷いナリですよ。誰かに襲われたってのは本当でしょうから、やった奴をまず特定しとかないと。幽霊かどうかの議論はその後です」


 また独りで恐怖に耐えなければと思っていた私は、天にも昇る心地で頷いた。何と好い漢なんだ坂本健太。

 私と坂本は警戒しながら家の中を捜索した。人の姿も幽霊の気配も無かった。

 一安心した私は茶を入れ、坂本と共に居間に落ち着いた。残っていた料理は食べる気になれなかったので処分した。

 テーブル越しに坂本と向き合った私は、改めて事実を言った。


「私を襲ったのは陽菜さんだ。生きている人間では確実になかった。信じられないよね、こんな話……」

「正直に言うと、まぁそうです。俺はそういった類のモノを見たことが無いので」

「私もそうだった。だから戸惑っているよ。幽霊にも重さが有るとは知らなかった」


 陽菜にのし掛かられた重み、そして首を絞められた痛みと苦しみ。現実世界で私はこれらを体験したのだ。


「宮司さんにも相談したんだけれど、陽菜さんの幽霊はここ数日間、ずっと私に取り憑いていたようなんだ」

「今も、ですか?」


 坂本は茶をすすりながら冷静に聞いてくれた。


「今は見えない。見えないだけで傍にいるかもしれないし、何処かへ行ったのかもしれない。判らないんだ」

「どうして村長に取り憑いたんですかね。村長は事件の時に居なかったんだから、住民の中では誰よりも陽菜ちゃんとは無関係でしょうに」


 まったくだ。


「彼女の存在にたまたま気付いてしまったからだと思う。宮司さん曰く、幽霊が傍にいてもほとんどの人間は気付かず、そのままやり過ごすそうだから」

「え、じゃあ俺の傍にも居た時期が有ったのかな?」


 流石に気味悪く感じたらしく、坂本が周囲を気にし出した。


「でもさ、本当に陽菜ちゃんが幽霊になったんなら、真っ先に自分を殺した犯人に憑くべきじゃないですか?」

「一度は憑いたんじゃないかな。でも相手に罪の意識が無ければ、陽菜さんが傍でどれだけ訴えても気付かないだろうね」

「気付かなかった……。それで陽菜ちゃんは犯人から離れて、自分に気付いてくれそうな誰かを、ずっと捜していたってことですか?」

「たぶん」

「今の今まで、村で陽菜ちゃんの幽霊が出たって話は聞いてないですよ。気付いた村人は誰も居なかったんですかね。陽菜ちゃんの両親も」

「清美さん達か……。そうだね、せめてご両親に声が届いていれば」


 坂本は肩を落とした。


「十年も。誰にも気付かれずに寂しかっただろうな、陽菜ちゃん」

「ああ……」


 私達の考えが正しければ陽菜の魂は、長い年月この土地に縛られ続けているのだ。できることなら解放してやりたいと思った。今の状態の彼女は哀れ過ぎる。


「佐々木、あのヤローのせいで」


 言われて私はおや、と思った。


「そうだった。犯人は佐々木……、あの助教の佐々木なんだよね……?」


 神鏡公開の時に、陽菜のことで南田教授から探りを入れられ、半狂乱となった佐々木。教授は佐々木が落ち着き次第、自首を勧めると言っていた。


「本当に佐々木が犯人なのかな……?」

「そうでしょう。陽菜ちゃんの元彼で、A型で、夏祭りの夜にデートしたんですよ。アイツ以外に居ないですよ!」

「そうだよね、そうなんだけど……」


 状況証拠は佐々木が犯人だと告げている。役満だ。しかし私は腑に落ちなかった。

 私はヒリヒリと痛む自分の首を擦りながら、考えを纏めようとした。


「村長、痛むんなら冷やした方がいいですよ。タオルか何か濡らしてきましょうか?」

「ありがとう、でも大丈夫だよ。この首の痕はさっき、テーブルの下に潜んでいた陽菜さんの霊に付けられたんだ」

 坂本が慌ててテーブルの下を確認した。


「今は……、居ないですよね?」

「たぶん。それでね、私は首を絞められた訳だけれど、とてもとても苦しかったんだ。血が逆流する感覚まで有って、本気で殺されると覚悟した程だよ」


 しんみりと坂本が呟いた。


「陽菜ちゃんは絞殺だったから……。自分が殺された時の苦しさを、誰かに知ってもらいたかったんですかね」

「私もそう思った。陽菜さんは私に伝えようとしているんじゃないかって」


 以前見た時は笑っていたのに、今日の陽菜は明らかに怒っていた。彷徨う陽菜に気付いた私という媒体を通して、彼女は何らかのメッセージを送ろうとしたのに、私は清美を優先して陽菜を無視してしまった。

 陽菜の怒りはおそらく、メッセージを送られない苛立ちから来るものだった。


「陽菜さんは自分が殺された時のことを、私の身体を使って再現したんだと思う。彼女が伝えたいのは、自分の死の瞬間だったんだよ」


 坂本が頭を垂れた。


「苦しさ、怖さ、独りで死んでいく寂しさでしょうか?」

「そうじゃない、陽菜さんが伝えたかったことは、それとは別に有ったんだよ!」


 私は熱く言い放った。


「私の首に手を伸ばしてきたのは陽菜さんの霊だった。ところが実際に首を絞めていたのは違ったんだ。男だったんだよ!」

「男……?」

「ああ。苦しくてうっすらとしか見えなかったけれど、男が私に馬乗りになって首を絞めていたんだ。若い男だった!」

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