土地に縛られるモノ ニ

『友人は言っておりました。気付いていることをあちらに悟られなければ、取り憑かれても大丈夫だと。いずれ離れていくそうです』

「思い切り目が合ってしまっているので、私が気付いていることは陽菜さんにバレていると思いますよ」


 悩める私に、宮司は素晴らしいアドバイスをくれた。


『全力でしらばっくれるのです。大丈夫、多少わざとらしくても堂々とした者勝ちです』


 思えばテレビに出てくる心霊現象否定派は皆、妙に自信に満ち溢れている。


「そうですね。強気でいることが肝心なのかも」

『その意気です。要は相手に、コイツに取り憑いていても時間の無駄だと思わせれば良いのです』

「なるほど。やれる気がしてきました」


 私は希望の光を見た気がした。しかし陽菜の霊と遭遇した時のことを思い出して、また頭を抱えた。


「駄目です、宮司さん」

『会長?』

「私、公民館で陽菜さんの幽霊に声を掛けてしまいました」

『ええ?』

「あの時はまだ顔と首の痕を見ていなかったから、生きている普通のお嬢さんだと思ったんです。それでつい、公民館に何かご用ですか、と」

『陽菜さんの反応はどうでしたか?』

「私が声をかけた後に、すぐに顔を上げて笑いました」


 言って、私は恐ろしい事実に思い当たった。


「きっと陽菜さんは、私が彼女に気付いたと判ったから笑ったんです。あの笑みはそういう意味だったんです」


 その後に田上家の前で、群衆に紛れて再び陽菜は姿を現した。あれは確認の為だったんだ。私と目が合った陽菜は喜んだ。やっぱり視えているんだね、と。


『困りましたね』

「困っております」

『ううん……。私の視える友人に相談してみましょう。忙しい男なのでこちらに来ることは無理でも、助言くらいは貰えるでしょうから』

「お願いできますか?」

『もちろんです。友人と連絡を取りますので、この電話は一旦切りますね。後程またお電話差し上げます』

「ありがとうございます。宜しくお願い致します!」


 私は電話機の前で何度も頭を下げた。清美の件といい、宮司には頼りっ放しだ。いつか埋め合わせをすると心の中で誓い、宮司との電話を切った。

 ピリッ。

 首筋に電流が流れたような痛みが走った。この痛みは昨日も何度か起きていた。静電気が走る季節ではないのだが。

 幸い痛みはすぐに消えたので、私は気にしないことにした。宮司から電話が来るまでの時間潰しをしようと、居間へ行ってリモコンでテレビを点けた。

 三十二インチの画面には女性リポーターが映し出されて、大袈裟な身振り手振りで流行りのスイーツを紹介していた。普段はこういった特集を好まない私だが、不安な気持ちを抱く今は、リポーターの演技がかった明るさにも救われる思いだった。


 そういえば朝食を食べていなかった。食欲は今一つだったが何か腹に入れておこうと、私は台所に立った。冷蔵庫に卵とハムが有ったはずだ。

 両親の代から使っている台所は旧式の造りだ。昭和の女性の平均身長に合わせたのか、タイル張りの流し台とガスコンロ設置台は低めの位置に在る。男性の平均的身長を持つ私は、少し身体を屈めて調理に当たらなければならなかった。

 ピリッ。

 まただ。首の後ろに細い針を刺されたかのような感覚。昨日よりも起こる間隔が短くなっていた。

 私は上下左右に首を倒して簡単なストレッチをした。痛みが解消されたので、私はフライパンの中でハムエッグを完成させた。

 料理を皿に移そうと、私は食器棚のガラス戸に手を掛けた。古くなったガラスはぼんやりと、しかし確実に台所の現実を映していた。


 疲れた顔をした私の後ろに、花模様の浴衣女が居た。


「!」


 反射的に振り返ろうとしたが堪えた。素知らぬ振りをして下さい、宮司の言葉が私の迂闊な行動を止めたのだった。

 私はガラス戸を開けて、料理に適した大きさの皿を選び取った。そして平常心を心掛けて振り返った。


「………………」


 陽菜が居た。今日は笑みではなく、恨めしそうに私を見ていた。

 恐ろしい。正直な気持ちを言えば、皿を彼女に投げ付けて逃げ出したかった。

 まさか家にまで来るとは。いいや、おそらく彼女はずっと、私と一緒に過ごしていたのだ。陽菜は、放火事件の時に私へ取り憑いた。

 それから常に私の傍に居て、何度も私に話し掛け、私の顔を覗き込み、夜は眠る私を見下ろしていたのだろう。

 しかし私の最大の関心事は清美のことだった。清美が実兄に保護されると宮司から聞かされるまで、私の頭は清美のことでいっぱいだった。陽菜の入る隙間など無かった。

 そう、私は陽菜の霊を自宅に連れ帰ったことに気付かず、結果として、今の今まで彼女を無視していたのだ。


「我ながら美味そうにできた。さぁ食うぞ」


 わざと大きな声で明るく言った。醤油をハムエッグに掛けて、皿に箸を添えた。睨む陽菜の脇を素通りして居間へ戻った。

 点けっ放しだったテレビは、スイーツレポートから農作物の盗難事件の報道に移っていた。私はテレビリモコンを操作して番組一覧を出した後、最も賑やかそうな通販番組にチャンネルを合わせた。

 ピリリッ。

 首の後ろに痛みが走る理由が判った。これは危険を知らせる信号の一種だ。私自身の本能が発しているのか、守護霊と呼ばれる者からの警告なのか。


 危険とは間違いなく陽菜の幽霊だ。

 だからといって私は何もしない。陽菜が私と宮司の電話を聞いていたのなら、今さら恍けるのは遅いのかもしれない。それでも。陽菜に無駄だと思わせる為に何もしない。何もしないし、何もできない。

 どうか私から離れてくれ、陽菜よ。この言葉のみを、何度も心の中で呪文のように繰り返した。テレビの内容など頭に入って来なかった。

 さわり。

 テーブルの前に胡坐あぐらを掻いて座っていたのだが、ショートパンツから出ていた素足に何かが触れた。

 田舎は虫が多いから入り込んでしまったのだろう。私はテーブルの下を覗き込んだ。


 黒髪を振り乱した陽菜が居た。


「んぐっ」


 私はハムを喉に詰まらせそうになった。

 這う姿勢でテーブルの下に収まった陽菜が、胡坐を掻いた私の足に細い指を乗せていたのだ。


「ふおぉっ!」


 もう駄目だった。とても平常心でなんていられなかった。

 だってそこに居るのだ。この世に居てはならないはずの、彷徨える亡者が。

 体勢を崩した私は、胡坐姿のまま後ろに倒れた。


「はふっ、ほふぃ、ふおらぁあっ」


 不思議な擬音が私の口から漏れた。たぶん悲鳴のできそこないだ。真に恐怖を感じた時、人はまともに悲鳴すら上げられないのだとこの時知った。


「はひっ、はひっ」


 逃げようにも下半身に力が入らなかった。完全に腰が抜けていた。その足に確かな重量が加えられた。

 ずるり。陽菜が机の下から這い出して、仰向けに倒れた私の身体を登って来ていた。霊体にも重さが有るのか。

 やめてくれ、来ないでくれ。

 ゆっくり、ずるずると、足から腹へと圧力が移動していき、そして胸部に息苦しさが到達した時、陽菜の白い顔はもう私の顔の目の前に有った。


「ひ……」


 目を逸らしたいのにできなかった。陽菜は怒りの色が灯る瞳を私に向け、そしてか細い腕を私の首に伸ばしてきた。

 私には何もできません。許して、許して下さい。私の必死の懇願は陽菜に届かなかった。


「ぐっ!?」


 陽菜の両手が私の首を絞め付けた。女が持つ力ではなかった。私の気道は塞がれ酸素の供給が止まった。


「が……はっ……」


 ぐいぐいと凄まじい強さで絞め続けられ、鼻の奥が痛くなった。動く腕をデタラメに振り回して抵抗を試みたが、相手の力の方が勝っていた。


「は……」


 意識が薄れていき、私は死を覚悟した。しかし、霞む目で私は見た。

 私の上に馬乗りになって、首を絞めていたのは陽菜ではなかった。


「!?」


 血走る目で殺人を犯さんとしていたのは、前髪が目に掛かりそうな若い男だった。

 誰だ、コイツ……?

 脳が結論を出す前に視界が暗くなった。今度こそ私の意識は深淵に沈もうとしていた。

 何故自分が殺されなければならないのか。理不尽な怒りと絶望。殺された陽菜もきっと、同じように思ったのだろう。

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