土地に縛られるモノ 一
木曜日。宮司が朝早くに電話をくれた。
『赤路清美さんは、埼玉県在住のお兄さん夫婦の家に、一時的にですが身を寄せることが決まりました。そこからカウンセリングに通わせるそうです。お兄さんは今日中、早ければ午前中にでも、清美さんを加賀見まで迎えに来られるそうですよ』
私は安堵した。そして宮司に心から感謝した。
火曜日の放火事件の後に清美の夫は逮捕され、心神喪失の傾向が見られたので警察病院に措置入院した。
独りとなった清美の行く末が心配だったが、私から相談を受けた宮司が方々に散っていた清美の親族を調べ上げて、昨日丸一日かけて彼らに連絡を取ってくれたのである。
「ありがとうございました。私が微力なばかりに、宮司さんばかりにご負担を掛けてしまい申し訳ありません」
『気になさらないで下さい。これが私の役割だと思っておりますので』
加賀見一族はその昔、城や代官所から離れたこの地域一帯を、役人の代わりに指導して纏め上げる立場にあったそうな。その名残りを受けて、今も地域に多大な貢献をし地元民から尊敬されている。
『明日からついに、夏祭りの屋台設営が始まりますね』
放火事件は住民達に衝撃を与えたものの、赤路のことと祭りは切り離して考えるべきだという声が多数で、夏祭りは予定通り次の土曜日に開催されることとなった。
『それでは明日お待ちしています。今日はこれで失礼……』
「すみません、実はもう一つ相談事が有るのです!」
宮司が別れの言葉を唱え切る前に、私は彼を呼び止めた。
『別の相談事、ですか?』
「はい。私事で恐縮なのですが……」
『構いませんよ。お話し下さい』
親切な態度を崩さない宮司に甘えて、私はここ数日間、自分を悩ませる不可解な現象について打ち明けた。
「実は私……、幽霊らしきものを見てしまったんです」
電話向こうの宮司は数秒間沈黙した後、冷静に聞き返して来た。
『幽霊ですか?』
「はい。そうとしか思えないんです」
『会長が見たソレは、具体的にどんな形状をしていましたか?』
私は嬉しかった。宮司が茶化さずに話を聞いてくれて。
「浴衣を着た若い女性でした。美しい女性で、首に……絞められたような赤黒い痕が付いていました」
『え……』
宮司の声音に驚きの色が含まれた。
『その特徴は父から聞いた、赤路陽菜さんが殺害された時のものと一致するのですが』
ああ、やはりな。宮司の反応は私の考えを肯定した。
「そうなんです。おそらく私が見た幽霊は、陽菜さんに間違い無いと思われます」
どうして彼女が私の前に現れたのか、それはまだ判らなかったが。
『見たのはいつですか?』
「ええと、初めて見たのは先週の神鏡公開の日です」
『えっ、
「いいえ。その日は神社に向かう途中ですれ違っただけです。こちらが車で、あちらは歩行者という関係でした。そして今週の火曜日に、公民館と田上さんの家の前で見ました」
『三回も見たのですか?』
「三回も見ました」
『ううん……』
宮司が小さく唸った。
『会長、あなたの言われたことを疑っている訳ではありません。しかし私は神職に就く身であるからこそ、超常現象に対して慎重な姿勢を取る必要が有るのです。判らないことを全て物の怪の悪戯や、神の奇跡に繋げてしまうのはとても危険で愚かな行為です』
「はい。私もそう思います」
『そういった相談を良く持ち込まれる神社に、同じ大学を出た友人が
「………………」
『会長、失礼な質問をお許し下さい。あなたは陽菜さんの母親である赤路清美さんに、特別な想い入れをしていませんか?』
私の胸が痛んだ。私が清美に情を抱いているのは事実だった。彼女は私の青春に光を与えてくれた恩人なのだ。
「否定はしません。ですが私には、清美さんと個人的にお付き合いしたいという願望は有りません」
清美はあくまでも思い出の中のマドンナ。私が愛する女は今も、亡くなった妻の
『それでも情は有る訳ですよね。会長、私や健太から陽菜さんが殺された話を聞いて、清美さんに深く同情、いえ同調してしまったのではありませんか?』
「それは有ると思います」
一緒に居るのが当たり前だった娘に急に先立たれ、やつれた清美が可哀想だった。
私も妻が亡くなってから一気に老け込んだ。癌が発覚してから四カ月後の早過ぎる妻の死。心の準備は間に合わなかった。
『もしも会長が清美さんなら、何を最も望みますか?』
決まっている。
「家族……、娘さんとの再会です」
『その気持ちが、陽菜さんの幻を見せたとは考えられませんか?』
宮司の言いたいことは解った。清美の嘆きにシンクロした私が、願望から陽菜の幻を見た。私もそうであって欲しかった。だが、幻では片付けられない理由が有った。
「私は坂本くんから、陽菜さんが亡くなっていた時の状況を聞きました」
『はい』
「お社の裏の倉庫で、A型の男に乱暴されて首を絞められたって。でも聞いたのはそれだけでした」
『?』
「陽菜さんの幽霊は綺麗な浴衣を着ていました。紺の生地に、色とりどりの花模様が描かれていて、夜空に打ち上げられた花火のようだと思い、ずっと記憶に残っていたんです。そしてその後に清美さんから、陽菜さんは殺された夏祭りの夜に、私が見た浴衣を身に着けていたと聞きました。私が幽霊を見た後に、清美さんから聞いたのです」
『!』
後、という部分を私は強調した。宮司は私の意を汲み取ってくれた。
『まだ知らないはずの情報を、会長は幽霊を通して知ったということですか?』
「はい」
『ううん……』
再び宮司は唸った。
『まいったな、本物か』
これは独り言だったようだが、受話器の傍で呟いたのでバッチリ聞こえた。
『ではここからは、幽霊が居るという前提で話を進めます。陽菜さんの幽霊は、会長に何か害を与えてきますか?』
「何かをする訳ではないんですが、非常に怖いです。目が合うとニタリと笑われるんです」
『それは怖いですね』
「怖いです」
あの笑顔を思い出して身震いしてしまった。
『ですが会長、霊に反応せずに無視を決め込んで下さい』
「無視ですか?」
『そうです。見えていても、見えない振りをして下さい。死んだ後もこの世を彷徨う彼らは、自分の欲望を叶えてくれる相手を捜しているのです。自分の存在に気付いてくれる誰かを。ほとんどの人間は霊が傍に居ても気付きません』
「……私は陽菜さんに気付いてしまった」
『ええ。ですがまだ間に合います。これからまた陽菜さんが会長の前に現れても、素知らぬ振りをし続けて下さい。いつもの生活を送って下さい。そうすれば陽菜さんは諦めて、会長に纏わり付くのをやめるでしょう』
なるほど。私に頼れないと陽菜に思わせれば良いのか。
「宮司さんはいつも幽霊に対して、そう対処されているんですね?」
『いいえ。私には霊が視えませんので』
「えっ、そうなんですか?」
『そうなのです。神主や僧侶は心霊の世界に詳しいと皆さん先入観をお持ちですが、そんなことは有りません。視えない者が大半です。前出した禰宜、私の友人は少数の視える者の一人です』
「意外です。神職の方は全員、悪魔祓いができると思っていました」
『悪魔祓いはエクソシストですね。いろいろとお間違えです、会長』
「あ、でも、地鎮祭とかやられていますよね。あれと同じ要領で、霊も退散させることはできませんか?」
『できません。そもそも地鎮祭とは、土地神様へのご挨拶なのです。騒がしくしてしまうことを神様にお詫びし、工事の無事を祈願する儀式です。人間同士でも、引っ越しの際は隣近所に挨拶をするでしょう?』
「なるほど……」
『私も祝詞を使って退魔の真似事は一応できますが……』
真似事って言った。
『いかんせん何も視えないので、成功したか失敗したか判別が付かないのですよ』
私は家庭用固定電話の前で頭を抱えた。
『そう悲観しないで下さい会長』
こういうところは視えなくても察するのか。
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