A型ストーカー 四

「村長」

「わぁおwhooo!!」


 不意に坂本に肩を叩かれて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。若干アメリカ人が混じっていた。坂本も私のオーバーリアクションに驚いていた。


「いや、あの、村長の携帯鳴ってませんか?」


 言われて私は、自分の横に置いていたセカンドバックの中を確かめた。携帯電話から着信メロディーが流れていたのですぐに出た。


「はい、立花です」


 私が通話している横で、坂本も自分の携帯電話を取り出した。タッチの差で、彼の方にも着信が有ったようだ。


「え、田上さん家で火事!?」


 電話は地域の消防団員からだった。私と坂本も入団している。そして田上と言う姓を持つ家は、加賀見には現在一軒しかない。


「田上さんって、優一くんと英司くんの……?」


 電話を終えた私に、清美が不安そうに尋ねた。


「ああ。火はすぐに消し止められたそうだけど、我々も一応現場に向かうよ。事後処理を手伝ってくる」

「奥さん、お邪魔しました」


 何か言いたげな清美を残して、私と坂本は足早に赤路邸を後にした。


「ヤバイ展開になりましたね」

「……ああ」


 坂本が車を、今度は西方面に走らせた。

 消防団員の話によると、炎は外壁の一部を焦げ付かせた程度で、田上家近所の有志達が持ち寄った消火器で、協力して無事に鎮火させたとのことだ。

 大規模火災にならなかったのは不幸中の幸いだった。他者への攻撃に使われない限り、団結力は村社会の素晴らしい宝だ。

 だが今回のボヤ騒ぎには大きな問題点が有った。


「赤路の旦那さん、そこまでやるなんて……」


 やりきれないといった風に、坂本が歯ぎしりをした。

 出火の原因は放火だった。そして放火犯は清美の夫だったのだ。


「私は馬鹿だよ。清美さんにばかり意識を集中してしまった。子供を亡くして、つらい想いを抱えているのは母親だけじゃない。父親だって同じなのに」


 先にノイローゼとなった清美よりも、彼女を支えなければならなくなった夫の方が、むしろ心の負担は大きかったのかもしれないのだ。

 自分が倒れたら誰が妻を守るのか、誰が妻を解ってあげられるのか。夫は疲れることを許されなかった。


「俺も馬鹿ですよ。村長は覚えてますか? 赤路さんが奉納してた絵馬の話」

「あ……」


 失念していた。そうだった、夫婦は犯人の火あぶりを望んでいたのだった。


「それで放火を?」

「きっとそうです。絵馬のこと、俺は何度も修兄ちゃんから聞いてたのに。現物だって見てたのに。なのに赤路さんが放火するなんて考えもしなかった。英ちゃんと翠ちゃんから相談された時点で、すぐに赤路さん家に行けば良かった。そうしたら間に合ってたかもしれないのに」

「もしかしたら窓ガラスを割ったのも、旦那さんの方なんじゃないかな?」


 清美は絵馬にこそ過激な文を書いていたようだが、実際には怪しいと思う優一に自首を勧めていた。


「旦那さん言ったそうですね。妻は割ってないって。でも、そうか、自分もやってないとは言ってないんだ。ああもう、自分の鈍さに腹が立つ!」


 私達は自責の念に囚われながら現場に向かった。空に広がりつつあった赤い夕焼けが、火は消されたというのに私の心をざわめかした。


 田上家の前には人だかりができていた。坂本は少し離れた所に車を停めて、私と共に人の群れに近付いた。


「村長だ」


 群衆の誰かが私を見付けた。

 それからは村長だ、村長が来たぞと皆が口々に言い、私と坂本を通す為に左右に別れて道が造られた。まるで海を割った十戒のモーゼだ。


「赤路さん!?」


 まず目に入ったのは清美の夫、赤路。彼は男四人がかりで地面に押さえ付けられていた。

 赤路は鼻血を垂れ流し、近くには片側のレンズが割れた眼鏡が転がっていた。大乱闘が有った模様だ。


 次に注目したのは家の前の道路に寝かされている青年と、彼を見つめる男女のグループ。女二人は泣いていた。公民館で会った翠と、もう一人は年齢的に青年の母親だろうか。


「優ちゃん!」


 坂本が駆け寄った。傍には英司も居たので予想はできたが、倒れている青年は田上優一、その人だった。


「健太くん、触らんでくれ。優は頭を殴られてるんだ。揺らしたらいかん」


 田上兄弟の父親らしき人物が坂本を制した。


「殴られたって、赤路さんにか!?」

「そうだ。家に火を点けやがったのを咎めたら、いきなりゴルフクラブを振り回して襲い掛かって来たんだ」


 父親が顎で、道路に無造作に置かれたゴルフドライバーを指した。まさか赤路は、あれを人に向けてフルスイングしたのか!?


「救急車は!?」

「もうすぐ来るはずだ。たぶん警官と正規の消防士も」

「そいつが悪いんだ!」


 誰かが叫んだ。男達の下敷きになっていた赤路だった。


「娘を殺して、何で普通に生きているんだ! そいつのせいで妻の心まで壊れた!!」


 馬鹿、もう黙れ、赤路を押さえ付けている男達が叱ったが、赤路は拘束から逃れようと尚も暴れた。

 何ということだ、四人の男達の身体が僅かだが持ち上がったのだ。赤路のあの細い身体の何処から、それだけの力が出ているのだろう?

 目を血走らせた赤路の口から、呪いの言葉が紡がれた。


「死ねばいい。火に焼かれて一秒でも長く、苦しんで死ねばいい!」

「ふざけんな!」


 兄弟の父が怒鳴り返した。


「陽菜ちゃんが死んでから、村のみんながどれくらいアンタら夫婦に気を遣ってきたか。女房だって優だって、ちょくちょく奥さんの話し相手になってたじゃねーか。それなのに、何だよこの仕打ちは!!」


 赤路に殴り掛かりそうな勢いの父親を、背後から近付いた坂本が羽交い締めにした。


「手を出しちゃ駄目だ、おじさん」


 赤路は完全に正気を失っていた。殴っても諭しても、もはや意味の無い状態だった。


「解ってる、解ってるよぉ。でも何で家がこんな目に遭わなきゃならねーんだ。火ぃ点けられて、優まで……」


 父親は両膝をその場について泣き崩れた。

 優一はぐったりとしてピクリとも動かない。最悪死亡、助かったとしても頭部への大ダメージだ、障害が残るかもしれない。

 群衆の誰もが暗い想像をしてしまったのだろう、場が静まり返った。

 その静寂を切り裂いたのは女の金切り声だった。


「アンタが悪いんだ!」


 翠だった。彼女は涙と鼻水でグシャグシャになった顔を隠そうともせず、ゴルフドライバーに歩み寄ってそれを手に取った。

 桃川が言っていた。翠は優一が好きなのだと。

 ならば翠は、優一を傷付けた赤路を許せないだろう。新たな惨劇が生まれないように、私は赤路の前に立って翠を止めようとした。

 しかし翠はなんと、自分の隣に居た英司に向かって思い切り、凶器のドライバーを振り下ろしたのだった。


「死ねぇ!」

「うわぁ!?」


 英司は虚を突かれながらも、翠からの一撃目を何とかかわした。

 だが尻餅をついた英司に、翠は無慈悲な二撃目を繰り出そうとしていた。


「オマエが……、オマエのせいで……」


 どうして? どうして翠は英司に殺意をぶつけるのだ?

 私達にも、おそらく英司本人にもその理由は判っていなかった。


「やめてぇっ!!」


 兄弟の母親の悲鳴が響き、我に返った私がいち早く翠に飛び付いた。坂本が追従し、群衆の中の一人も後に続いた。彼は村人Aとする。


「それから手を放すんだ、翠さん!」

「邪魔するなぁぁ!」


 翠は凄まじい怪力を発揮した。まず翠の背面に居た私がヒップアタックで弾き飛ばされ、次に翠の左側面に居た村人Aが、左手からの水平チョップを胸に喰らって咳込んだ。

 赤路もそうだが翠は興奮状態で、脳のリミッターが外れてしまっていたのだろう。辛うじて坂本が翠の右手に取り縋っていたが、筋肉質な彼すらも翠の腕力に押され気味だった。


「やめろ、何で英ちゃん狙うんだよ? 翠ちゃん、やめろって、おいっ!」

「コイツが、コイツのせいで優一さんまで!」

「ゲホゲホッ。この馬鹿、その物騒なモンをこっちに寄こせ!」


 村人Aが、逆襲のモンゴリアンチョップを翠の両肩に叩き込んだ。流石にフラついた翠に、私は再度ダイブした。


「指、指を開くんだ翠さん!」


 暴れる翠に寂しくなった頭髪を何本か毟り取られたが、私は怯まなかった。絶対に止めなければならなかった。翠に英司を殺させない為に。

 二分近くに渡る格闘の末、男三人がかりでようやく、翠からドライバーを取り上げた。もう皆汗だくだ。私はともかく、若い坂本までもが肩で息をしていた。


「……………………」


 武器を失った翠は戦意も喪失したらしい。虚ろな瞳で立ち尽くしていた。


「何でっ……」


 腰を抜かしていた英司が、声を振り絞って翠に抗議した。


「何で俺のせいなんだよ。俺が兄貴の血液型をバラしたせいか!?」


 翠は答えない。


「あれは仕方が無かったんだ。俺は事情を知らなかったんだから!」


 翠の身体は左右に揺れていた。重力の少ない所を漂っているかのように。


「それに兄貴を襲ったのは赤路さんじゃないか。俺は悪くない。そうだろ、俺は何も悪くない!」


 激昂した英司は自己弁護を繰り返した。対する翠は生気の伴わない顔で笑った。それを見て私は戦慄した。公民館での陽菜の姿が、今の翠に重なって見えたのだ。


「英司……」


 翠は英司に向き直った。


「アンタって、本当にどうしようもないヤツね」


 言ったきり、翠は後方に倒れ込んだ。坂本が咄嗟に胸倉を掴んだことで、翠はアスファルトに頭を打ち付けずに済んだ。


「翠ちゃん、おいっ?」

「翠さん!」


 私達の呼び掛けに翠の反応は無かった。代わりに遠くから、待ち望んでいたサイレン音が聞こえて来た。

 良かったと、そう思えたのは束の間だった。群衆の中にあの花模様が居たのだ。


 浴衣の彼女はこちらを見ていた。他の誰でもなく、この私を見ていた。

 目が合った瞬間、彼女はまたニタリと笑い、そして煙のように消えてしまった。

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