A型ストーカー 三

「さぁ、気を取り直して次に行きましょう。帰る前に赤路さん家に寄るんでしょ?」


 パンパンと両手を叩いて坂本が仕切った。その通りだ。礼儀として夕食時間と被らないように訪問したい。夏は陽が長いのでまだ明るいが、腕時計の時刻は既に十六時半を少し過ぎていた。


「じゃあ坂本くんと桃川さん、今日はお疲れ様でした」

「何言ってるんですか。赤路さん家には俺も付き合いますよ。村長をこの暑い中、歩かせる訳にはいきませんから!」


 実は公民館まで坂本の車に便乗させてもらって来た。私も車は所持しているのだが、毎回自治会の仕事が有る日は、親切なことに坂本が我が家まで車で迎えに来てくれるのだ。至れり尽くせりで彼とお付き合いしている気分になる。


「それに、人数居た方がいいと思いますよ。これは本気の注意だって解らせる為にも」


 そうだな。あまり赤路夫婦を追い詰めたくないが、今回は強めに釘を刺さなければならない。清美の破壊衝動が窓ガラスから、次は人間に移るかもしれないのだ。


「キミの言う通りだ。同行をお願いするよ」


 私は坂本の申し出を受けた。

 玄関を施錠し桃川と別れた私と坂本は、坂本文具店のバンに乗り込んで道路を東方面に走った。帰宅途中か夕飯の買い出しか、いつもは閑散としている主要道路が少しだけ混んでいた。


 赤路邸は公民館からさほど離れておらず、車内が冷房で涼しくなる前に到着した。しかし私の家はそこから徒歩で二十分以上掛かる。帰りのことを考えると車に載せてもらって正解だった。

 路肩に車を停め、私と坂本は赤路邸の玄関へ向かった。出窓が特徴の洒落た洋館風な造りの家だ。庭の空きスペースに夫婦が使う自家用車の姿が無かった。


「ありゃ、外出中ですかね」

「でも電気の点いている窓が有るよ。取り敢えず行ってみよう」


 私がチャイムを鳴らして、しばし待った。


 玄関ドアを開けたのは清美であった。会費の件で訪れた際は夫が出て来たので、今回もそうとばかり思っていたのだが。


「あら、和彦くんに坂本さん。どうかしたの?」


 穏やかに微笑む清美には昔日の面影が有った。おさげ髪の親切な図書委員。あの頃のまま、優しく時が過ぎていれば良かったのに。


「急にすまないね。少し話をしたいのだけれど、お邪魔してもいいかな?」

「構わないわよ。お祭りのことかしら。次の土曜日よね?」


 清美は快く我々を家に迎え入れてくれた。玄関近くの一室に通されてソファーを勧められた。


「お茶の支度をするわ。くつろいで待っていてね」

「どうぞお構いなく」


 私と坂本は尻と背をソファーに預けながら、周囲を窺った。清美の他に人が居る気配を感じられなかった。

 ティーセットを運んできた清美に私は尋ねた。


「今日は……、旦那さんは?」

「夫なら今出ているわ」


 心の病の清美を残して外出するなんて。私は一瞬赤路に対して憤り、そしてすぐに考えを改めた。一人で二十四時間介護は厳しかろうと。


「夕食前には戻るはずだけれど、夫にご用だったのかしら?」


 清美はアイスティーとクッキーを振る舞ってくれた。こうして見る限り、精神状態は安定しているように思えた。

 家の中は綺麗に掃除されていて、庭の手入れも行き届いていた。A型の男に接しさえしなければ、清美は問題無く日常生活を送れるのだろうか。


「和彦くんは毎日忙しそうね。坂本さんと一緒だということは、今日も自治会のお仕事だったんでしょう?」

「ハハ、まあね。でもおかげで、妻を亡くした寂しさを忘れられそうだよ」


 私はあえて妻の話題を出した。家族に去られた悲しみは私にも解る。清美の凝り固まった心をほぐしてやりたかった。


「……奥様は、ご病気で?」

「ああ。癌だった。発見が遅くて、判った時にはステージ4で転移していた。明るくてサッパリした、肝っ玉母ちゃんを体現したような女性でね。だから信じられなかったよ、アイツが私より先に逝ってしまうなんて」

「村長……」


 坂本が私の背中を擦った。私は知らぬうちに涙ぐんでいたようだ。


「悪いね。私はまだ妻のことを上手く話せないようだ。二年経って吹っ切れたと思っていたんだがね」

「……そう簡単に、家族の死は吹っ切れないわよ」


 清美がテーブルの上の、茶菓子入れを私の前に移動させた。


「クッキー良かったら食べて。甘い物を食べると気持ちが落ち着くわよ」


 清美を気遣うつもりが、私が彼女に心配されてしまった。


「和彦くん聞いているわよね、私の娘のこと……」

「……ああ」

「十年経っても私は吹っ切れないわ。今でも待ってしまうの。娘が夏祭りから帰って来るのをね。行ってきます、行ってらっしゃい。それが娘との最後の会話だった」


 私は病室で妻と最期の別れができた。だから一応、心に区切りを付けられた。

 だが清美の心は、十年前に止まったままなのだ。


「……優一くんには、自首してもらいたいわ」


 清美の低い声の呟きに、私と坂本の肝が冷えた。


「あの、奥さん、優ちゃんは犯人じゃないよ」


 否定した坂本を清美が見つめた。怒りではなく、不思議そうに。


「でも優一くんはA型なのよ?」

「A型ならね、優ちゃんは十年前にDNA鑑定をしているはずだ。犯人じゃないって結果が出たから、彼は逮捕されてないんだよ」

「鑑定結果が間違っていたのよ。昔のDNA鑑定は精度が悪かったんでしょう?」

「いやでもさ、A型だってだけで犯人と決めつけるのは良くないよ。A型は日本人に一番多い血液型なんだしさ」

「私ずっと前にも優一くんに聞いていたのよ、あなたは何型ですかって。その時彼は、O型だって言ったの」


 ああ、それは……。


「だけれど昨日、弟の英司くんが本当の血液型を教えてくれたわ。嘘を吐いていたってことは、優一くんが犯人だということでしょう?」


 私と坂本は顔を見合わせた。困った。清美を刺激しないよう、A型以外の血液型を申告する地域のルールが、巡り巡って優一の首を絞める結果となってしまったのだ。

 どうするべきかと私は思案した。優一から清美の目を逸らさせる為に、陽菜の元恋人で第一容疑者である佐々木の名を出すべきか。

 しかし彼はまだ犯人とは確定されていない。故に佐々木のことは外部に漏らさないように、宮司と教授から箝口令がしかれているのだ。


「奥さん、陽菜ちゃんにはお付き合いしている人は居なかったの?」


 迷う私を尻目に、坂本が清美に切り出した。

 どうするつもりか。佐々木のことを話してしまうのか。

 私はこの時ハラハラしながらも、坂元を止めようとはしなかった。結果として清美の恨みが佐々木に向かってしまうかもしれないが、無関係な優一が被害に遭うよりは良いと考えてしまったのだ。


「陽菜の、交際相手……?」


 清美はキョトンとした表情で聞き返した。予想していなかった質問だったのだろう。


「陽菜ちゃんの遺体が発見された場所って、お社の裏の放置された倉庫だっただろ。あんな所、一般人はまず立ち入らないよ。倉庫が在ることすら関係者以外知らなかったさ」

「…………?」

「でも陽菜ちゃんはきっと知ってた。巫女さんのアルバイトをしてたから、神社の敷地内について詳しかったはずだ」

「そうね。陽菜は知っていたのかも知れない。でも、それが事件と関係有るの?」

「俺、思うんだ。陽菜ちゃんは自分の意志で倉庫に行ったんじゃないかって。倉庫が在る場所は屋台が出ている所より高台で、おまけに人も来ない。祭りの打ち上げ花火を観るには特等席だ」


 坂本が言おうとしていることを理解しようと、清美は真剣に聞き入っていた。私も。


「陽菜ちゃんは恋人と二人きりで花火を楽しみたくて、彼氏を誘ってあそこに行ったんじゃないかな?」

「!」


 それまで淡々と話していた清美が大声を上げた。


「それじゃあ、犯人は陽菜の恋人なの!?」

「俺はその線が濃いと思ってる。素人推理だけどね」


 清美はワナワナと身体を震わせ、私は坂本に感心した。これで陽菜が屋台から離れた場所に居た説明が付いた。


「陽菜に……恋人……。誰がっ!?」

「付き合っている人が居るとか、陽菜ちゃんから聞いてなかった?」


 清美は考え込んだ。私と坂本は静かに待った。

 やがて、


「居た……のかもしれない。娘からは何も聞いていないけれど」


 清美はポツリポツリ、思い出したことを話し出した。


「あの子、中学くらいからお洒落に目覚めたのだけれど、フリフリした可愛い系が好きだったの。それが亡くなる数ヶ月くらい前から、急に大人びた服やアクセサリーを身に付けるようになったのよ。恋人の影響だったのかしら?」


 陽菜の恋人とされる助教の佐々木は当時、大学生か院生。年上の恋人に釣り合おうと、高校生だった陽菜は背伸びをしたのかもしれない。


「夏祭り用に選んだ浴衣もそう。花模様だったけれど、紺の生地だったからずいぶん大人っぽく見えたわ」


 ゾワリ。背筋に悪寒が走った。


「紺地に花模様の浴衣……?」

「ええ。当日は髪も結い上げてね。お化粧だけは薄目にするように注意したの。それでもシックな仕上がりになっていたわ」


 私は一瞬にして、冷凍庫に放り込まれた気分になった。

 私は知っている。紺地に花模様の浴衣姿の若い女性を。

 そして彼女の首には、絞められたような赤黒い痕が残っていた。

 私がつい先ほど、公民館の窓の外に見たアレは。


 まさか、まさか、まさか…………。

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