A型ストーカー 二

 坂本が真面目な顔つきで腕組みをした。


「旦那さんが奥さんのストッパーになれないのはマズイな。英ちゃん、駐在さんには相談しておいた方がいいぞ。おまえさん家と赤路さん家の周辺、重点的にパトロールしてもらうんだ。相手が手を出しにくいように守りを固めろ」

「そうですね……」

「私も今日の作業の後、赤路さんの家に寄って夫妻と話してくるよ」


 私がそう申し出ると英司、そして翠の目が輝いた。


「ありがとうございます。村長さんが協力して下さるのなら心強いです!」


 村社会において長の権力は絶大である。意に反する者に対して、村八分と言う名のえげつない制裁を加えることができるからだ。もちろん私の代では、そんな陰湿な慣習を発動させる気は無いが。


「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」


 何度も礼を述べつつ、若い男女は公民館を去っていった。どちらかと言うと、英司が翠に引っ張られていく形で。


「さて、あと少しだからさっさと終わらせてしまおうか」


 私達自治会メンバーは作業に戻った。手を動かしつつ坂本が軽口を叩いた。


「あの調子じゃあ英ちゃんは将来、翠ちゃんの尻に敷かれるな」


 確かに、あのカップルは翠が主導権を握っているように見えた。


「あらあら違うわよ。翠ちゃんが好きなのは優一くんよ」


 さらりと桃川が暴露してきた。


「えっ、そうなの!?」

「そうよー。だから翠ちゃんも地元に残ったのよ。優一くんの傍に居たいから」

「でもさ、英ちゃんが帰って来ないことに、さっき翠ちゃん苛ついてたじゃん。会いたかったからじゃねーの?」

「あれはね、優一くんがいつも英司くんのことを心配しているから。たまには顔見せて安心させてやれって、そういう気持ちだったんでしょうね」

「はえ~」


 閉じているのか開いているのか判らない細い目で、桃川はニコニコと笑い、またもや爆弾発言をかましてきた。


「それにね、英司くんが好きだったのは陽菜ちゃんよ」

「!?」


 私と坂本は目を剥いた。


「陽菜ちゃんとは……、赤路さんの娘さんのことですか?」

「そうよ。陽菜ちゃん、英司くん、翠ちゃんはみんな同級生よ」


 坂本がうーむと唸った。


「同級生だけどさ……。俺には、英ちゃんが陽菜ちゃんと一緒に居たところを見た記憶が無いよ」

「英司くんは奥手だったからね。遠くから見ていることしかできなかったみたい」

「何で桃川さんはそんなこと知ってんの?」


 桃川は無邪気に答えた。


「英司くんのお母さんから聞いたのよー。英司くんが学校に行っている間に部屋を掃除したらね、机の中から、陽菜ちゃんを隠し撮った写真が何枚も出て来たんですって」

「げっ……」


 井戸端会議で息子の恥部を広めてしまったのか。その調子だと、息子や夫が持つアダルト本の趣向をも話していそうだな。恐るべき主婦軍団。


「俺のお袋は会話に参加してないよね?」


 自分のことも暴露されていたらどうしようと、坂本は縋る瞳で尋ねたが、桃川はその質問を華麗にスルーした。


「でも英司くんは東京の大学へ行くことになったでしょう。陽菜ちゃんは地場産センターでの就職を希望していたし。二人は離れ離れになる運命だったの」

「ほぉ、陽菜さんは地元に残るつもりだったのか」

「だから巫女さんのアルバイトをしていたんだと思うわ。宮司さんは顔が広いから、就職の口利きをお願いしたかったんじゃないかしら」

「ああ……」


 地方での就職は、個人の能力よりも縁故が重要視される傾向に有る。だからこそコネクションを持たない者は別の土地へ移り、外から新しい住民が入居することもなく、どんどん過疎化が進むのだ。


「可哀想に。陽菜さんがあんなことになって、英司くんは想いを伝えることすらできなくなったんだね」

「そうね。英司くん、東京に行く前に陽菜ちゃんに告白するつもりだったらしいけれど」


 桃川は遠い目をした。


「お母さん、聞いちゃったんですって。英司くんが優一くんに相談するところ。二人は仲の良い兄弟だから、英司くんは自分の心の中、お兄さんにだけは打ち明けていたのね」


 盗み聞きしていた母親にだだ漏れだったが。


「英司くんは高校最後の夏祭りに、陽菜ちゃんに告白するはずだったのよ」

「夏祭り!?」


 私と坂本の声が見事に揃った。高校最後の夏祭り。それは陽菜が殺害された、十年前のあの夜のことだ。


「うわ、キツイ。それはキツイよ……」


 坂本は指をグーパーさせた。これは気まずくなった時の彼の癖らしい。

 私も坂本と同じ気持ちだった。英司は想い焦がれていた相手に告白しようと、一大決心をして祭り会場に乗り込んだのだろう。しかしその晩、陽菜は変わり果てた姿で発見された。


「お祭りが始まってからね、英司くんは陽菜ちゃんをずっと捜していたそうよ。でも会えないまま熱射病……、今は熱中症と言うのかしら? とにかくダウンしてしまったんですって。英司くんと一緒に居た優一くんから電話が有って、お父さんが神社まで車で迎えに行ったそうよ。英司くんは高熱で一晩苦しんだって」


 英司にとっては踏んだり蹴ったりだ。告白できず病にかかり、熱が下がり漸く目覚めた後には、好いていた女の訃報が待っていたのだ。


「英司くんがなかなか地元に戻って来なかったのは、陽菜さんのことを思い出したくなかったからかな?」


 私の呟きに、坂本と桃川はハッとした顔を返した


「そうかもしれないですね。同じ立場だったら俺も、地元を離れたいって思ってたかも。あれ、でも英ちゃん、今年の祭りに来るって言ってたよな。ついに吹っ切れたのか?」

「……吹っ切る為の参加かもしれないわ。今年は事件からちょうど十年だし、気持ちに区切りを付けたいのよ、きっと」


 ここでどれだけ議論したところで、英司の心の内は英司にしか判らない。我々はお喋りをやめて、袋詰め作業に専念した。


「よし、これでラスト」


 坂本が最後の菓子詰め合わせ袋を完成させた。祭り当日までこれらは公民館に保管しておく為、菓子袋は熱で溶けにくいラムネやクッキー、ポテトチップス系で構成されている。


「窓を閉めてくるよ」


 冷房を利かせた作業部屋以外の公民館の窓は、風通しの為に開け放してあった。

坂本と桃川が簡単な後片付けをしている中、私は戸締まりをしに公民館中を歩き回った。

 大広間の窓を閉め、給湯室の窓も閉め、便所の窓を閉めてついでに用も足した。


そして最後に廊下の窓を閉めようとして、赤い色調が目に留まった。


「?」


 窓の外およそ二メートル先に、鮮やかな色模様の浴衣を着た女性が立っていた。紺色の生地に赤や黄、だいだい色の花が描かれていた。まるで夜空に打ち上げられた花火のようだ。

 浴衣の女性は黒髪を団子状に結い、長い前髪を左右に分けて垂らしていた。うつむきがちだったので、顔はよく見えなかった。


「キミは……」


 私は女性に見覚えが有るような気がした。思い出せないまま、窓の外に佇む彼女に声をかけた。


「どうかしましたか。公民館に用が有るのですか?」


 私の声に反応して女性は顔を上げた。うっすらと化粧を施した、美しい顔が晒された。

「!」


 私は悲鳴を上げそうになった。彼女の白く細い首にくっきりと、赤黒い痕が残されていたからだ。

 あれは……、あの痕はまるで……。

 女性の紅を注した唇がいびつに持ち上がった。彼女は笑ったのだ。ニタリと。

 私は本能的に見てはいけないモノを見たと感じ、即座に窓を閉めて施錠した。女性と私の間に隔たりを造りたかったのだ。


「どうしました、村長」


 いつの間にか、片付けを終えた坂本が私のすぐ後ろに立っていた。彼は紳士で通っている私が、乱暴に窓を閉めたことに対して驚いているようだった。

 そして私は坂本を見て思い出した。あの浴衣の女性……彼女は先週、私と坂本が車で神社に向かう途中で、すれ違った人物だったのだ。


「村長……?」

「あ、いや……」


何と説明しようかと迷ったが、とりあえず私は見たままを答えた。


「外にね、その、怪我をした、顔色の悪いお嬢さんが居て……」

「は!?」


 坂本は私を押しのけた。


「大変じゃないですか!」


 坂本は即座に窓を開けて外を確かめた。正義感の強い彼にとっては自然の行為だ。

しかし駄目だ。アレは駄目なんだ。きっとただの怪我人ではない。


「坂本く……」

「誰も居ないじゃないですか」

「ほぇ?」


 私は坂本の背中に隠れながらそっと外を窺った。本当だ、窓の外には見渡す限り誰も居なかった。


「おーい、誰か居るー?」


 坂本が数度呼びかけたが、誰も現れなかった。


「村長、何かを見間違えたんじゃないですか?」


 それから坂本は大きく息を一つ吐き、私を咎めた。


「でも駄目ですよ、本当に怪我人が居た時はすぐに言って下さい。血が苦手なら俺が対処しますんで」


 坂本の中での私のイメージが、怪我人を放置する冷血漢になりつつあった。


「違うんだよ坂本くん、私が見たアレは……」

「アレ?」


 私は言葉にすることを一瞬躊躇ためらった。感じたことを素直に言って良いものなのか。


「何ですか村長、アレって?」


 信じてもらえる自信は無かったが、私は述べた。


「たぶん、生きた人間じゃなかった」


 血の気の無い青白い顔、首に付いた絞め痕、そしてあの虚ろな瞳。

浴衣姿の彼女はそこに居たが、彼女の生は存在していなかった。


「………………」


 坂本はしばしの間私の顔を見つめて、それから妙に優しい顔つきになった。


「村長、疲れてるんですよ」


 言われると思った。私が彼の立場でもそう言っていただろう。私とてこんな体験は生まれて初めてなのである。


「修兄ちゃんの所で神鏡の騒ぎが有ったもんだから、ナイーブになってるんです。イフでしたっけ?」

畏怖いふ……。私は必要以上に、怖さに敏感になっているのかな?」

「そうそう、そのif」


 坂本と私ではニュアンスが微妙に違う気がしたが、確かに私は神経質になっているのかもしれなかった。

 御神体の前で泡を吹いて倒れた佐々木。あれは何だったのだろうかと、今でも考えている。

極限の緊張状態からヒステリーを起こしてしまったのか。それとも人智では計り知れない現象だったのだろうか。

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