A型ストーカー 一

 八月に入って最初の火曜日。私は加賀見の地区公民館で、夏祭り用に購入した大量の菓子や玩具を、せっせと袋に詰める作業に追われていた。これらはクジ引きや輪投げ屋台の景品となる。


 本日の自治会メンバーは三名。私、暇を持て余している坂本、そして未亡人の桃川静江モモカワシズエだ。

 他は全員仕事で不参加となった。メンバーは農家であったり、小さな商店を経営する個人事業主が大半で、高齢であっても現役で働いている。それでも祭りの前日準備と当日の屋台運営、後日の撤収作業には皆仕事を休んで参加してくれる予定だ。


 桃川静江は七十六歳。六十代後半まで夫婦で農業を営んできたが、夫の死後、都会に出た子供達が家業を継ぐことを拒んだ為、農地を処分して現在は年金暮らしをしている。


「あら村長さん、肩の所がほつれているわよ」


 桃川が指で示した箇所を見ると、確かにシャツの生地が傷んでいた。


「村長、そのシャツお気に入りですよね」


 私と頻繁に顔を合わせる坂本が指摘した。そうなのだ。私はこのポロシャツをよく着ていた。二年前に亡くなった妻からの、最後の贈り物だから。


「残念だけど、そろそろ買い替え時ね。色もけっこうあせてきているし」


 それは承知していた。しかしある意味これは妻の形見。おいそれと処分はしたくなかった。

着られなくても残しておきたい。箪笥に仕舞い込むのではなく、できれば身に付けたい。ハンカチ等にリフォームできないだろうか? 今度手芸店に持ち込んで相談してみようと私は思った。


「すみません、村長さん居ますか!?」


 不意に誰かの大声が、玄関方面から聞こえてきた。公民館にはチャイムが付いていない。


「すみません、すみません、誰か居ませんか?」


 焦りが混じった声の主を確認しようと、坂本が玄関へ向かった。


「誰かしらね?」


 私が桃川と顔を見合わせていると、坂本が若い男女を連れて作業部屋に戻って来た。


「村長、この二人が話有るそうなんですけど」


 男女の顔を見た桃川が言った。


ミドリちゃんに……、そっちの男の子はもしかして、英司エイジくん?」


 男の子と称された青年は恥ずかしそうに名乗った。


「はい。田上タガミ英司です」

「あらまぁ久し振り!」


 桃川は手を叩いて英司との再会を喜んだ。私は大袈裟だなと思ったが、坂本が入れた補足で納得した。


「英ちゃんは高校卒業後にすぐ東京に出たから。顔見たの十年振りなんですよ。もー、全然帰って来ないんだもんなー」


 土地を長らく離れていた若者だったのか。私の四十年には遠く及ばないが、地元民からしたら懐かしい相手だろう。高校卒業後に十年ということは、今の彼は二十八歳くらいか。

「コイツって、薄情だから。自分の生活が充実してたら、家族や友人のことなんてどうでもいいんですよ」


 苦虫を噛み潰したような表情で、翠と呼ばれた若い女性が皮肉った。


「まぁまぁ翠ちゃん。村長、このコは古関コセキ翠ちゃんです。英ちゃんの同級生で、俺と同じく地元組」


 翠はずっと地元に残って暮らしてきた女性のようだ。不機嫌そうな翠に、桃川がのんびりと話し掛けた。


「そうよねぇ、英司くんは都会で頑張っていたのだろうけど、田舎に居る私達からしたら、音沙汰無いのは寂しいわよねぇ」

「あたしは、別に、寂しい訳じゃないですから!」


 翠が桃川にまで噛み付きそうになったので、私が自己紹介で場を収めた。


「初めまして、自治会長の立花和彦です。二人共どうぞ座って。作業中で机の上が散らかっているけどね」

「そーそー。床には段ボールも転がってるけど、気にせず座って」


 坂本が部屋の隅に重ねられていた座布団を二枚、畳の上に並べた。男女二人は素直に腰を下した。


「英ちゃんはどのくらい村に滞在すんの? 土曜の夏祭り来る?」


 加賀見地区の夏祭りは毎年、八月の第一土曜日の夜に開催されてきた。今年もその予定だ。


「はい。祭りの翌日に帰る予定なんです」

「いいねぇ。今年は俺が実行委員だからね。楽しんでってよ!」


 英司は坂本に愛想笑いを返した後に、私へ視線を移した。


「すみません、急にお邪魔して」

「構わないよ。それでどうしたのかな。私を捜していたようだけど」


 間髪入れずに翠が発言した。


「赤路の奥さんを何とかして下さい!」


 私達自治会メンバーはギョッとした。


「赤路の奥さんとは、清美さんのことかい?」

「そうですよ。あの人、本格的にオカシイです。村長の権限で何とかして下さいよ!」


 唾を飛ばす勢いで、翠は私に訴えた。


「A型ってだけで人を犯人扱いするなんて、完全にイッちゃってますよ。どうしてあんな人が普通に道歩いてるんですか。病院入れなきゃ駄目でしょう!?」


 あんまりな言い草だった。清美は一人娘を殺されて、深い悲しみの中に居るというのに。


「翠さん、言葉が過ぎるんじゃないかな?」


 低い声の私に注意を受けた翠は、叱られた犬のような怯えた目をした。

いけない。若い女性を怖がらせるなど、いい歳をした男のすることではない。どうも私は清美に感情移入してしまうようだ。


「具体的に、清美さんに何かされたのかい?」


 幾分か柔らかい声音を心がけて、私は翠に説明を求めた。


「あ……、あたしがされたんじゃないんです」


明らかに翠は勢いを無くしていた。


優一ユウイチさんが、赤路の奥さんに付き纏われてるんです」

「優一さん?」

「優ちゃんは英ちゃんの二つ上の兄貴で、田上家の長男ですよ」


 初登場の名前を出されて首を傾げた私に、坂本が情報を与えてくれた。ありがとう私のワトソンくん。


「名前の通りに優しくて、おまけに頭のいい好青年でね。ちなみに優ちゃんも地元組」


 優秀でありながら田舎に留まったのか。坂本のように地元愛で残ったか、宮司のように家業を引き継ぐ為にやむを得ずのパターンか。


「優一さん、A型だってのが赤路の奥さんにバレて、それで付き纏われてるんです」


 清美はまたそんなことを? 佐々木がまだ陽菜殺害の犯人と確定していない為、神鏡公開の日の出来事は村人には知らされていない。それが仇となったか。


「え、でも、優ちゃんは村のルール知ってるはずだろ?」


ルールとは前に坂本から聞いた。A型男性は清美に、嘘の血液型を申告しなければならない。


「何でわざわざ優ちゃんは、本当の血液型を奥さんに……」


 そこまで言って、勘の良い坂本は英司の顔を見た。英司はおずおずと答えた。


「俺が、言っちゃったんです……。俺、おばさんがあんな風になってること知らなくて。昨日家の庭で洗車してたら、散歩中のおばさんとおじさんが通りかかって……」

「赤路夫妻に声を掛けられたんだね?」

「はい。英司くんはA型かしらって聞かれて、いいえ、俺はO型でA型は兄貴ですよって。ただの世間話だと思って、正直に答えちゃったんです」


 ああ~、と、坂本と桃川が頭を抱えた。


「英司くんは悪くないわ。知らなかったんだから」

「だな。英ちゃんが東京出たの、陽菜ちゃんが殺された次の年だもんな。その時の奥さんはまだ、悲しみに暮れていたけど妄想はしてなかった」

「それで、清美さんは?」

「おばさんは兄貴の居場所を聞いてきました。ここでも俺、兄貴なら家に居ますよって馬鹿正直に教えちゃって。そうしたらおばさん、家へ押し掛けて勝手に上がり込んだんです」


 田舎では家族の誰かが在宅中、玄関に鍵を掛けない家庭が多い。防犯上問題なので、次の回覧板で注意喚起を行うべきかな。


「おばさんは台所に居た兄貴の腕を引っ張って、警察に連れて行こうとしました。お巡りさんに全部話そう、罪を償おうって。俺は事情が呑み込めなくて呆然としているだけでしたが、親父とお袋がおばさんを引き離して、陽菜を殺した犯人は兄貴じゃないって何度も説明してました。でもおばさん、全く聞き入れてくれないんです。おじさんもぼ~っとしていたし」


 その場に居なくても情景が目に浮かんだ。


「何とか家から追い出して、親父の車でおじさんとおばさんを二人の家まで送りました。昨日はそれで終わったんですが:」

「今日も?」


 英司は重々しく頷いた。


「家の、庭に面していた窓ガラスを割られたんです。ちょっと大き目な石を投げつけたようです」

「清美さんが!?」

「早朝だったから姿は見ていません。ガラスの割れる音で目が覚めて、見に行ったらもう誰も居ませんでした。でも昨日で今日ですから、たぶんおばさんの仕業なんだと思います」

「清美さんが、そこまで……」


 物理的な被害が出てしまった以上、流石にもう清美を庇えない。ここで止めておかないと、彼女の行動はどんどんエスカレートしてしまうかもしれない。


「警察に通報はしたのかい?」

「いいえ。兄貴がおばさんは気の毒な人だから、大事にはしたくないと言ったんです。それで親父が赤路さんの家に行って、おばさんを通院させるか、落ち着くまで一時的にこの土地から離すべきだと、おじさんに勧めたそうです」


 私に助けを求めに来たということは、父親の交渉は上手くいかなかったのだろう。


「でもおじさん、とぼけたらしいんです。妻はずっと家に居た。お宅の窓ガラスを妻が割ったなんて言いがかりだって」


 英司は深い溜め息を吐いた。


「そんな馬鹿なことが有りますか。他に誰がやったって言うんです!?」

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