神社の御神体 五

「今回は何も起きなかったようですね」


 宮司の締めの言葉に教授が待ったを掛けた。


「いえ、まだ二人残っています。さぁ佐々木くん、キミの番だよ」


 教授に名指しされた助教の佐々木は、肩を大きく揺らして驚いた。


「ぼ、僕もやるんですか!?」

「もちろんだよ。キミの後に私も行く」

「で、ですが、今日は学生達の付き添いで来ただけで……」

「何を言うんだ、これもフィールドワークの一環だよ。御神体が真の力を発揮する場面に立ち会えるかもしれないのに、研究者のキミがその機会を放棄するのかい?」


 教授は真っ直ぐな目で佐々木を射貫いていた。佐々木が言い訳をして逃れようとしても許さない、教授の目はそう語っていた。


「さぁ、行っておいで。キミという人間を神鏡に映してきなさい」


 学生達に向けた優しい口調とは異なり、教授の佐々木に対する語気は厳しく、強かった。

 佐々木は力無く立ち上がり、神鏡へ歩を進めた。


「………………」


 重い足取りで神鏡の前に到着した佐々木であったが、彼の目線は鏡には向かず斜め上の宙を泳いでいた。


 「どうしました? 具合でも悪いんですか?」


 顔色の悪い佐々木を、神鏡を挟んで真正面に立つ澄子が気遣った。

 近くで見ると佐々木、肌に張りが無く小皺も多く、とても三十代とは思えなかった。まるで短期間で老けてしまったかのような容貌で……。ここまで考えて、私は清美のことを思い出した。


「佐々木くん、御神体を拝める機会などそうそう無いのだから、しっかり見ておくんだよ」


 教授が背後から声を掛けても、佐々木は変わらず宙を見つめるだけだった。


「神社に来られたのも実に十年ぶりだ。亡くなった陽菜さんに手を合わせに来たあの日以来……。ああ、いや、あの時キミは一緒に来なかったね」


 教授は佐々木の背中に向かって言葉を紡いだ。


「佐々木くんがここに来たのは、あの夏祭りが最後だったのかな?」


 佐々木の身体がブルンと震えた。直立姿勢の彼は、涼しい室内で大量の汗を掻き始めた。


「え、佐々木さん、夏祭りに来てたんですか?」


 坂本がした何の気無しの質問に、佐々木は明らかに動揺した。裏返る声で否定した。


「い、いえ僕は……、祭りには行ってないです」


 佐々木の言葉尻に教授が発言を被せた。


「そんなはずは無いだろう。陽菜さんに誘われたから夏祭りに行って来るって、照れながら私に話してくれたじゃないか」


 教授は昔話をしている風で、しかし目が笑っていなかった。そしてその言葉は皆に衝撃を与えた。


「陽菜ちゃんに、誘われた……?」


 坂本はあんぐりと口を開けて固まり、学生達は驚きの目を佐々木に向けた。


「佐々木さん、陽菜さんに誘われるくらい、彼女と親しかったんですか?」


 下世話なことは承知の上で、私はつい佐々木を問い詰めてしまった。


「いや、それは、何と言うか……」

「どうなんですか!?」

「あ、あなたには関係無いじゃないですか!」


 心労でボロボロになった清美を見たばかりの私は、無関心ではいられなかった。


「殺されてしまった陽菜さんは、私がお世話になった先輩のお嬢さんなんです!」

「!」


 佐々木は私の顔を凝視したが、答えはくれなかった。尚も詰問しようとした私を、教授の言が遮った。


「佐々木くん、やっぱりキミだったのか?」


 未だ座布団に座ったままの教授が、ゆっくりと佐々木に問い掛けた。


「あの事件が起きてから二日間、キミは大学を休んだね。やっと出て来たと思ったら、頭に大きなガーゼを貼っていて、アパートの階段で転んだと私に説明したんだったね?」


 佐々木のまばたきが異様に多くなった。


「交流が有った陽菜さんの訃報が届いて、私は葬儀に出ようとキミを誘ったのに、キミは頭の傷が痛むと言って断ったね。大学には来ているのにさ。正直、薄情だと思ったよ。陽菜さんと真剣にお付き合いしていると、他ならぬキミから聞いていたんだよ?」


 教授は目を伏せた。


「それでも、最初はキミを心配していたんだ。恋人を失ってしまって、さぞかしショックなのだろうと」


 佐々木の脚は大きく震えていた。


「だけれども、宮司のお父さんから陽菜さんの死因を聞いてからは、キミを疑惑の目で見るようになってしまった。陽菜さんは殺される前に乱暴されていた。そして残っていた犯人の体液は、A型男性のものだったらしい」


 佐々木の顔がくしゃっと歪んだ。


「佐々木くん、キミはA型だったね」


 核心を突いた教授の指摘。女子学生の誰かが小さく悲鳴を漏らした。


「ち、違うんで……、教…………」


 佐々木は弁明しようとしたが、声がかすれてまともな音にならなかった。顔面を伝う汗が幾筋もの線を造った。


「あの、佐々木さん……」


 小さい声で澄子が口を挟んだ。


「少し下がって頂けますか。汗が、神鏡に落ちてしまいそうです」


 佐々木のすぐ前には神鏡が置かれていた。確かにその位置のまま立っていれば、いずれ彼の汗が神鏡を汚してしまうことだろう。


「あっ……?」


 澄子から注意を受けた佐々木は、神鏡の位置を確認しようとしたのか、目線を下方に修正した。

 その結果まともに見てしまった。彼が避けていた鏡面を。


「!!!!」


 何を見たというのだろう、佐々木は最大まで目を見開いて、


「うあわぐあぁぁわぁ!!」


 大絶叫と共に後ろへよろめいた。


「危ない!」


 近くに居た宮司が佐々木を支えようとした。が、宮司は非力だった。佐々木の重さに耐え切れず、佐々木に押し潰される形で共に倒れた。


「修兄!」


 すぐさま坂本が宮司の救出に動いたが、大きく振り回される佐々木の腕に阻まれた。


「ちょ、佐々木さん、落ち着いて!」


 佐々木は宮司の上でしばらく手足をバタつかせていたが、やがて白目を剥き、口の端から泡を吐き出して動かなくなった。女子学生数人が金切り声で叫んだ。


「これヤベーぞ。澄子姉さん、救急車呼んで!」


 連絡を澄子に任せて、私と坂本と男子学生の三人掛かりで佐々木を持ち上げた。


「あまり揺らさないように」


 私達は、意識を失った佐々木をそっと座布団の上に寝かせた。その彼を赤い目をした教授が見下ろした。怒りか、悲しみか憐れみか、教授の心中を私は窺い知れなかった。

 電話を終えた澄子が夫に駆け寄った。


「あなた、大丈夫なの?」

「ああ、少し腰を打ったけれどね」


 宮司は尻を擦りながら力無く笑った。相当痛む様子だ。


「なぁ修兄ちゃん、これってさ……。俺、頭ワリーからよく解んねぇんだけど」


 坂本が頭を搔きながら意見を述べた。


「佐々木さんが、陽菜ちゃんを殺した犯人ってことなのか?」

「まだそうとは決まっていないよ。深く関係していることは確かなようだけれど」


 宮司は複雑な表情で教授に尋ねた。


「南田さん、あなたはこれを狙って今日いらしたんですか?」

「その通りです。前宮司であったお父さんから神鏡の謂れを聞いていたので……。佐々木くんはこの十年間、陽菜さんについての話題を避け続け、加賀見の土地を踏むことも無かった。ですから私が機会を作ったのです」

「陽菜さんと関係の無い神鏡公開なら、佐々木さんも参加するだろうと考えたのですね。彼は学生を指導する立場の助教ですから、引率役としても」

「ええ、宮司さんにも、学生達にも、利用してしまって申し訳無く思っております。しかし佐々木くんがかつて過ちを犯し、尚且つ償いをしていないのだとしたら、このままゼミに在籍させる訳にはいきません。私にとって弟子であり共同研究者でもある彼を、正すのは私の役目なのです」


 鎮痛な面持ちで語る教授を責める者は居なかった。身近な人間が殺人事件に関与しているかもしれないのに、何もせず傍観してしまったと、教授は教授でずっと苦しんできたのだろうから。十年間も。

 そしてついに教授は行動を起こした。大勢の前で過去を問われた佐々木は、教授の思惑通りに馬脚を露した。神社が陽菜の殺害現場であったことも大きいだろう。


「しっかし佐々木さん、何を見たんだろうな?」


 坂本が神鏡の前へ歩み寄った。つられて私も。


「ん~、俺はやっぱり、いつもの俺だよな」


 坂本に続いて私も、おっかなびっくり神鏡に顔を映してみた。


「………………」

「村長はどうですか?」


 どう、とは上手く説明できなかった。見間違いや願望に近い姿がそこに映ったのだが、これも変異と呼べるのだろうか?」


 鏡の中には、今よりも少し若く見える私が居た。

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