神社の御神体 四

「南田です。今日はどうもありがとうございます」


 集団の中で一番の年長者であろう、白髪の多い男が名乗った。彼が南田教授か。教授は続けて身内の紹介に移った。


「隣に居るのが助教の佐々木。後ろがゼミの学生達です」

「宜しくおねがい致します!」


 総勢十八名の男女が声を揃えて挨拶しながら一斉に頭を下げた。私には礼節をわきまえた集団に見えた。宮司の懸念は杞憂に終わるのではないかと。

 宮司も私と同じように考えたのか、それともただの営業スマイルか、にこやかな表情で客達に座布団を勧めた。


「はじめまして、宮司の加賀見修です。彼女は妻の澄子。残るお二人は町の自治会の方々です。御神体の公開は滅多に無いことですので、彼らにも立ち合いを依頼しました」


 腰を落ち着けた教授が、懐かしそうに宮司に話し掛けた。


「修くん、いえ立派になられたのだから修さんですね。お父さんからあなたのことを何度も聞かされていたので、初対面という気がしません。お父さんはお元気ですか?」

「それが……、あまり良いとは言えません。風邪をひくだけでも長く寝込むようになってしまいました。その為、本日は同席しません。南田さんに宜しくと言付かっております」


 宮司の返答を受け、教授の表情が陰った。


「そうですか。そんなお歳でもないのに。お父さんはまだ引き摺っているのでしょうね、十年前のことを……」


 宮司が聞き返した。


「……父の体調不良の原因を、教授はご存知だったのですか?」

「ええ。私の専門は信仰文化の研究なのですが、十年前はよくこちらへお邪魔していたのです。当時まだ学生だった彼と一緒に。佐々木くん、キミもよく覚えているだろう?」


 教授は隣に座っていた助教の佐々木に話を振った。頬骨が出た、ゴツゴツとした輪郭の男だった。


「えっ、は、はい……」


 佐々木は小さい声でモゴモゴ答えた。十年前に学生だったのならこの男、坂本や宮司と同世代だろうに精彩さを欠いていた。


 そうこうしている内に、巫女装束の若い女が二人広間に入って来た。一人が麦茶の入った大きなヤカンを、一人が広い盆に重ねたグラスを乗せていた。彼女らは飲み物を順に集団へ振る舞った。

 身近に居ない巫女という存在に給仕されて、学生達は嬉しそうに狼狽うろたえた。そんな微笑ましい光景の中で、教授と佐々木だけが渋い顔をしていた。

 佐々木に至っては巫女が傍に寄った時、嫌そうに顔を背けていた。失礼な奴だ。


 用を済ませた巫女二人が退出した後に、教授が遠い目をしてこんなことを言った。


「……陽菜さんも、ああやって巫女のアルバイトをしていたのですよね」


 清美の娘が巫女をしていたとは初耳だった。なるほど、教授と佐々木は現在の巫女達に、在りし日の陽菜を重ねてしまったのか。彼らの固い表情の理由が判った。


「陽菜さんの長く綺麗な黒髪は、彼女にとても合っていました」


 教授が漏らしたその感想に、坂本が追随した。


「そうでしたね。陽菜ちゃん美人だったし、神社の看板娘的な存在だった」


 美人、というキーワードに男子学生達が反応した。


「何ですか、そのヒナさんって人」

「お会いしたいなぁ。もうバイトは辞めちゃったんですか?」


 学生達は陽菜の事件について知らないようだった。にわかに活気付いた学生達に、教授は優しい口調で残酷な事実を告げた。


「もう会えないんだ。陽菜さんは十年前に……殺されてしまったから」


 男子学生達は一斉に口をつぐんだ。


「夏祭りの夜に、乱暴された上に首を絞められたそうなんだ」


 死因まで具体的に話してしまった教授に対して、私は怒りを覚えずにいられなかった。

 人の死は無遠慮に語って良い話題ではない。特に不幸な死は。関係者同士で情報を共有する場合ならともかく、無関係な学生達にまで知らせる必要は無いだろうに。


「うわ、最悪なんだけど……」


 女子学生が不快感を隠さず吐き捨てた。


「教授、犯人はどんな奴だったんですか?」

「それが、まだ捕まっていないから判らないんだ。犯人の男は罪を償わずに10年もの間、社会に紛れてのうのうと暮らしているんだよ」


 最低、酷いと女子学生達が犯人を罵る中、宮司が咳払いをして話題を替えた。


「教授、本題に移りましょう。本日は研究の為、御神体である神鏡に触れたいとのことでしたね?」

「ああ、失礼しました。話が逸れておりましたね」


 宮司は脇の小机に置かれていた白い手袋を手に取り、自分の前に座る教授へと差し出した。


「神鏡に触れる際には、この清めた手袋を填めて下さい。そしてお電話でも説明しましたが、神鏡に触れるのは教授お一人のみとさせて頂きます」


 しかし教授は胸の前で軽く手を振った。


「私も御神体に直接触れるつもりは有りません」

「はっ?」

「いや、説明不足で申し訳無い。触れるとは、御神体の持つ神々しい空気に触れたいという意味でして。学生達に畏怖いふの念を知ってもらいたくて、今日はお邪魔したのです」

「畏怖……ですか?」


 宮司は怪訝けげんそうに教授に尋ねた。


「はい。信仰文化の研究に深く携わる人間は、恐ろしい体験をすることが少なくないのです。ですから軽い気持ちで他者が信じるものを否定しない、領域に踏み込まない、傾倒しない、そういった心構えが必要となるのです」

「それは、強い信仰心から狂気に走ってしまう人間が、時折現れてしまうからですか?」

「それも有ります。しかしそれ以外にも、科学では解明できない恐ろしい現象に遭遇することが有るのです。見えるはずのないモノが見え、起きるはずのないコトが起きる。稲荷信仰や狗神いぬがみ信仰に手を出す時は、特に気を付けろと私の師が言っておりました」

「ああ、そうですね……」


 宮司は頷いた。


「私もこの職に在りますので、ってはならない木、動かしてはならない石などの話は耳に届きます。最も有名なのは将門公の首塚でしょうか」


 日本三大怨霊に数えられる平将門。平安時代中期の豪族で、新皇を自称し東国の独立を標榜ひょうぼうした。結果として朝敵と見なされて討伐、斬首されてしまった人物だ。

 彼の首をまつった塚を移転しようとすると、工事関係者に必ず大怪我する者が出る。

 無学な私ですら知っていた将門公の名前は、文化を学ぶ学生達の間でも有名だったらしい。彼らは神妙な顔つきで、教授と宮司の会話に聞き入っていた。


おそれるという気持ちを、学生達に体験してもらいたいのです。こちらの御神体である神鏡にも、不思議な言い伝えが有るそうですね?」

「はい。人の本性を正しく映すと言われております」


 学生の一人が挙手して質問した。


「本性って、魂の色が見えるとかですか?」


 宮司は私と坂本にしたように、神鏡の謂れを学生達に話して聞かせた。


「へえぇ、じゃあ大人しい奴が、鬼のような姿で映ることも有るんですか?」

「その者の本性がそうであるなら、映るのでしょうね」

「え、やだ、怖い……」


 大なり小なり人間は皆、仮面を付けて本心を隠している。それを暴かれてしまうというのは確かに恐ろしい。


「なるほど、神鏡の前では隠し事ができないのですね」


 教授はそう意地悪く前置きしてから、学生達を促した。


「さぁキミ達、そこの端から順に一人ずつ立って、神鏡に自分の姿を映してきなさい」

「えっ」


 学生達がざわめいた。怖いと感じたばかりなのに、行けと命じられたのである。


「端からって俺……? 待って下さい教授、まだ心の準備が……」

「今キミが抱いている感覚、それこそが畏怖だよ。それでいいんだ。畏れ敬う気持ちを持った上で、神鏡の前に立ちなさい」


 教授の弁に続いて、宮司が注意事項を付け加えた。


「神鏡には絶対に身体を触れさせてはいけません。そして息を吐く際は横を向いて下さい。みそぎをしていない人間の息は、不浄なものとされています」


 緊張して尻込みする学生一番手を、見かねた坂本が元気付けた。


「大丈夫だよ、さっき俺も姿を映してみたけど普通だったから。妙なものが映ることは滅多に無いそうだよ」


 すかさず教授が宮司に聞いた。


「滅多に、ということは、実際に不可思議なものが映ったことが有ったのですね?」

「昔のことまでは存じませんが、父の代には三回有ったと聞きました。神鏡公開の折には毎回二十人程の人間が集まるのですが、その中の一人の割合で移り込むのだそうです」

「二十人に一人……。今日の人数もそれに近いですから、充分可能性が有りそうですね」


 この一言を受けて余計に学生達は緊張したようだが、一番手の彼は意を決して神鏡の前に立った。


「………………」


 広間に居る全員の視線が、鏡の前の彼に注がれた。


「……普通の、俺だ」


 男子学生は安心したように呟いて、次の学生に場を譲った。

 もし自分の番に何かが移り込んでいたらどうしよう、学生達はきっとこんな風に思っていたのだろう。

 次の学生、また次の学生と、順番に若者達が神鏡に姿を映していった。強張った表情から柔らかな表情に戻る様を見る限り、誰にも変化は起きていないようだった。


 そして最後の学生の番が終わった。

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