神社の御神体 三

「それが……」


 言い掛けて宮司は一旦言葉を止めた。神職の衣を着ていない、普段着姿だが品の良い女が広間に入って来たのだ。宮司の妻の、確か名前は澄子スミコだ。


「お二人共、どうぞ」


 澄子は盆に乗せていた茶の入ったコップを、私と坂本の前に置いた。礼を言ってから頂いた麦茶は、キンキンに冷えていて美味しかった。


「あなた、また新しい絵馬が有ったそうです」


 澄子が囁いた言葉に宮司が眉をしかめた。


「わかった。処理しておく」


 澄子が退出した後に、麦茶を一気飲みした坂本が聞いた。


「絵馬って、赤路さんのだろ。さっきお社の前で会ったよ」

「そうか。どうしたものかな……」


 眉間に皺を寄せたまま、宮司は腕組みをした。私は胸騒ぎを覚えた。


「あの、赤路さんがどうかしたんですか?」

「ああ、いえ。会長はどうかお気になさらず」

「修兄ちゃん、村長には簡単に事情を話してあるから隠さなくていいよ。絵馬についてはまだだけど。村長ね、赤路さんの奥さんの後輩なんだって」

「え、そうだったんですか……?」


 宮司が何とも言えない表情で私を見た。


「はい。清美さんの娘さんが、事件に遭われて亡くなったそうですね」


 室内に重々しい空気が流れた。


「ええ。とても痛ましい事件だったと父から聞いています。私も会長と同じく、当時は別の土地におりましたので、実際には見ていないのです」

「おじさん、自分が管理する場所で事件が起きたことに責任感じちゃって、それで予定よりずっと早く引退したんだよな。修兄ちゃんは東京の神社でしばらく修業積んで、それから後を継ぐはずだったのに」

「我が家の事情はさておき……」


 宮司は一息吐いてから、私が知りたかったことを語ってくれた。


「赤路の奥さんについてですが、彼女は胸の内に抱えた苦しい想いを、絵馬に込めて表すようになったのです」

「エマとは合格祈願とかを書き綴る、あの絵馬ですか?」

「はい。奥さんの願いとは、娘さんを殺害した犯人の死刑です」

「!!」

「最初の頃の願いは犯人逮捕だったのですが、進まない捜査に苛立たれたんでしょうね、徐々に犯人の不幸を願うようになっていきました」


 宮司は頭を左右に振った。


「呪われた内容だとしても、それで少しでも奥さんの鬱憤うっぷんが晴らせるならば良いじゃないかと、父も私も甘く考えて放置していたのです。その結果、絵馬の内容はエスカレートしてしまいました。今では具体的に、処刑方法までもを祈願する程にです」


「火あぶり、だよな」


 坂本が付け加えた一言に、私は身震いした。


「火あぶり……?」

「主に西洋で行われた、近世までのオーソドックスな処刑方法ですね。なかなか死ねずに、炎の中で地獄の苦しみを味わうのだそうです。罪人と言えども残酷過ぎるということで、即死できるギロチン台が後に開発されたくらいです」


 まだ倫理観が薄かった、近世の人間ですら躊躇ためらった火刑。最も苦しいとされる死に方。


「そんな恐ろしいことを、あの清美さんが考えるなんて」


 私の遠い記憶の中の清美は、穏やかで控え目な文学少女だったのに。


「それだけ奥さんは追い詰められているのでしょう。何度か、娘さんの後を追おうと自殺未遂も起こしています。ですから旦那さんが仕事を辞め、今は常に付き添っている状態なのです」


 先ほど会った清美は手袋をしていた。傘同様に日焼け防止かと思ったのだが、もしや手首に付いた傷を隠す為の……?


「できれば奥さんには医師のカウンセリングを受けてもらいたいのですが、近隣に専門の病院が無いので通院が難しいようです。私にできることと言えば、時々旦那さんの愚痴に付き合う程度で」


 宮司は肩を落とした。坂本と私が慌ててフォローした。


「修兄ちゃんのせいじゃねーだろ!」

「そうですよ。私も清美さん……、奥さんのことは気をつけて見るようにします」

「……ありがとう、二人共」

「はいはい、絵馬についてはこれでおしまい。で、神鏡がどうしたって?」


 暗い空気をはらうかのように、坂本が強引に話を戻した。


「ああ、そうだね。今日はそちらが本題だった」


 宮司は背筋を伸ばして仕切り直した。


「この神鏡にはいわれが有りまして、稀にですが、鏡を見た人間の本質を映し出すと伝えられています」


 坂本がすかさず突っ込んだ。


「鏡なんだもん、ありのままの姿を映すのは当然じゃねーか」

「そうじゃないんだ。賢いと評判の子供が大人の姿で映ったり、皆が振り返るような美人が醜く映ったりするそうだ。人以外の姿が映ったことも有って、龍が映った人は後に大出世を遂げたとか」

「えっ、見た目とは違うモンが映んの!?」


 私は話をまとめた。


「つまり神鏡は外見ではなく、その人の内面を正しく映し出すということですか?」

「おそらくは。修業不足なのか、私が見ても何の変化も起きませんが」

「へ~、面白いな。俺はどうだろ?」


 坂本が立ち上がり、神鏡に近付いた。


「健太、見る分には構わないが、清めていない手で触れてはいけないよ。息も吹き掛けないように」

「あいよ。ん~、いつものカッコイイ俺様だな」


 坂本は御神体の前で、マッチョがよくやるポージングを披露した。バチが当たるぞ。


「銅鏡だから色は一定だけど、他は普通の鏡と変わらねーぞ?」

「何かが起こるのは稀だと言ったろう」

「にしても神鏡って、曇ったり錆びたりしねーのな。相当昔に造られたんだろ?」

「手入れしても無駄な程に曇ってきたら、京都の職人さんに依頼して磨いてもらうんだ」


 源氏や北条氏が活躍した時代に造られた鏡を、長い時を経た現代で修復できるとは感動だ。職人の技というものは凄い。


「俺さ、御神体が鏡だってーのは知ってたけど、謂れ聞いたり実際に見るのは初めてかも。兄ちゃんの名字の由来もな」

「普段は奥の間で祀っていて、一般公開していないからね。それが今回は大学の依頼を受けて、民俗学ゼミの人達に公開することになったんだ」

「ふ~ん、いつ?」

「今日だよ。約束の時間まで後二十分程だね」

「はっ?」


 私と坂本は改めて広間を見渡した。大量に並べられた座布団は、これから来る客の為だったのだ。


「それでは、邪魔になる前においとましないと……」


 腰を浮かし掛けた私を、宮司が制した。


「いえ、会長と健太にはぜひ同席して頂きたいのです。その為に今日を選んでお呼びした次第でして」

「おいおい、祭りの打ち合わせはついでだったんかい?」

「すまないね」

「しかし、どうして私と坂本くんを?」

「率直に申しまして、見張り役をお願いしたいのです」


 私と坂本は顔を見合わせた。


「修兄ちゃん、ゼミの人間はヤバイ奴らなん?」

「かもしれない。研究者という人間は、好奇心を盾に何をしでかすか判らないからね」

「修兄ちゃん、それって偏見だよ。嫌なら断れば良かったのに」

「私は断りたかったんだが、父が受けろと言ったんだよ。教授の南田ミナミダさんと父は旧知の仲らしくて、信頼できる男だと太鼓判を押されてしまった」

「おじさんの友達ならいいじゃん。滅多なことはしないだろ」


 宮司は真っ直ぐな瞳で言った。


「教授はともかく、彼が引き連れて来る学生達が心配だ。若さという財産を免罪符に、やりたい放題やるのが若者という生き物だからね」

「だからそれ偏見……」

「神鏡には教授以外は触れさせないと通告してあるが、調子に乗った馬鹿者が、手を伸ばそうとするかもしれない」


 おや宮司、今、若者ではなく馬鹿者と言ったか?


「会長と健太には、馬鹿がそのような行為に出ないよう、視線で馬鹿に圧力を掛けて欲しいのです。妻にも頼んでいます。見張り人数は多い方が効果的ですからね」


 確実に馬鹿と連呼しているな。優しそうな人物に見えて、宮司は意外と口が悪かった。

 結局宮司からの指示で、私と坂本は神鏡の置かれた台座の左右に立つことになった。まるで仁王像だ。

 そこへ宮司の妻の澄子が、到着した客達を案内して来た。


「南田ゼミの皆さんです」


 言って、澄子は台座の真後ろに立った。位置的には私と坂本の真ん中。事前に宮司から指示されていたのだろう。

 ここに私、澄子、坂本のトライアングルフォーメーションが完成した。

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