神社の御神体 二
夫婦の姿が完全に見えなくなってから、私は坂本に尋ねた。
「私は本当はA型なんだけど。さっきのやり取りはどういうことだい?」
「マジですか!? 危なかった~、俺ってばナイスフォロー!」
坂本は鼻息荒く私に釘を刺した。
「村長、赤路さんの前では絶対、A型だってこと黙ってなきゃ駄目ッスよ!」
「だからどうして?」
坂本は私から離した手で、グーとパーを何度も造った。そして気まずそうに言った。
「うーんと、赤路さんはね、娘さんを殺した犯人を捜してるんです」
「はっ……?」
坂本の口から飛び出した言葉は、物騒な響きを伴っていた。
「赤路さんのとこのお嬢さん、一人娘だったんですけどね。ええと、ちょうど十年前になるのかな、夏祭りの夜に殺されたんですよ」
「ええっ、こ、殺された!?」
「シッ!」
大声を出してしまった私を坂本が制した。参拝客はもう居なかったが、巫女らしき女性が少し先の売店で作業していた。
坂本は声を潜めた。
「場所はここ。この神社の境内で事件が起きたんです」
「ここで……?」
私は続く言葉を失った。
そんな、自分達が今居る神社で殺人が起きただなんて。澄んだこの空間でそんな蛮行が。しかも被害者は清美の娘だって!?
「祭りの屋台が出るのはここら辺だから、祭りの最中、人はここに集まるんですけどね。あっち、向こうに細い坂道が在るでしょ?」
坂本が指し示した方向を私は見た。
「坂道を登り切った先はお
細かく説明されて実感してきた。現実に起きた事件なのだと。
「そんな。私の両親は何も話してくれなかったよ。あ、でも一度、今年は帰って来るなと言われた盆が有った。親は身体の調子が悪くて静養したいからと言っていたが……、まさかその年に?」
十年前。帰って来るなと言われたのは、確かそれくらいの時期だった。
「村長はその当時、別の土地で所帯を持ってたから。ご両親はこちらの事件に、村長を巻き込みたくなかったんでしょうね。凄い騒ぎだったんですよ。犯人が判らなくて、住民同士が疑い合って。俺も容疑者扱いされましたから」
「坂本くんまで!?」
「ええ、村の男は全員」
男、のみなのか?
「……つまり、犯人は男性だと、性別の段階までは特定できたんだね。男の腕力でないと無理な犯行だったのかな?」
「う~ん」
目を伏せた坂本は再び、拳でグーパー運動をした。
「実は陽菜ちゃん、乱暴されて、その後に絞殺されたそうなんです。んで、体内に残った男の体液を調べた結果、犯人がA型だってことまでは判ったんです」
「ああ、それでか……」
清美が私の血液型を知りたがった理由。
「村の男達は血液型調べられて、A型はDNA検査までされましたが、全員シロでした。だから犯人は祭りの日に、別の地域から来た野郎なんだろうって、そーゆー結論になったんですけど……」
坂本は溜め息を吐いた。
「そっから先、捜査が一向に進まないんですよね。それで赤路の奥さん、どんどんやつれていっちゃって。ただでさえ細かったのに」
娘を亡くした喪失感。そして怒りをぶつけるべき仇、犯人を見つけられない無念。心労は清美を早く老けさせた。
「精神的にも危うくなっちゃって、村の中に隠れA型が居て、そいつが犯人なんじゃないかって妄想し始めて。だから村長、絶対に自分がA型だってバラしちゃ駄目ですからね!」
「あ、ああ。解ったよ。庇ってくれてありがとう」
あの時、坂本が機転を利かせてくれなかったら、私は正直に自分の血液型を清美に伝え、犯人か否か彼女に詰問される展開となっていただろう。
無論そうなったら身の潔白を訴えるが、妄想の世界に居る彼女に、果たして私の声は届いただろうか。
「それじゃあ行きましょう」
坂本は私を先導する形で歩き出した。社の通用口から入って迷わず廊下を進む彼は、代替わりした今の宮司とは兄弟のように親しい間柄で、子供の頃から頻繫に神社へ遊びに来ているらしい。
そうして私達は宮司の待つ、三十畳程の広間に辿り着いた。
「よっ、
坂本の気安い挨拶の先には、白衣と紫色の袴に身を包んだ男が居た。後ろ姿の彼は何やら、円形の物体を布で磨く作業をしていた。
物体を台座の上に丁寧に置いてから、袴姿の男は我々を振り返った。
「来たね、健太。会長、暑い中お呼び立てして申し訳有りません」
日焼けで黒い坂本とは対照的な、肌の白い男が私にうやうやしく頭を下げた。彼こそが町一番の名士、加賀見神社宮司の加賀見修、その人である。薄めの整った顔立ちは和装に良く合っていた。私を正しい役職名で呼んでくれる、数少ない人物だ。
「いえこちらこそ、お時間を取らせてしまってすみません」
礼をし合う私と宮司を傍目に、坂本が口を尖らせた。
「村長だけでなく俺も暑い中、頑張ってここまで来てるんですけどー?」
子供か。坂本の訴えを宮司は軽くいなした。
「おまえは暑かろうが寒かろうが、異常気象が訪れようがウチに来るじゃないか」
「だって店に客が来なくて暇なんだもん。消防団の訓練も碌にねーし」
宮司はヤレヤレといった表情を作った。
「こういう奴ですから、会長、遠慮無くこき使ってやって下さい。あ、どうぞ。お好きな座布団に座って下さい」
板張りの床に座布団が数十枚並べられていた。私と坂本は宮司に近い席に座った。
私は持参していたファイルから紙を二枚取り出し、宮司に手渡した。
「早速ですが、こちらをご覧下さい。発注に掛かった費用です」
一枚は夏祭りの出店に必要な器具のレンタルや食品、玩具の発注に掛かった費用の内訳を記したもの。もう一枚は出店の性質を考慮した上での、配置予定図だ。
発注前にも打ち合わせをして、おおよその予算を宮司には伝えてあった。支出を予算内に抑えられたので大丈夫だと思うが、最大出資者であり、敷地を貸してくれる宮司から最終承認を得られないと、祭りは開催できないのである。
宮司は頷いて言った。
「問題は無さそうですね」
私は胸を撫で下ろした。今日で神社側との打ち合わせを終えられそうだ。
「ありがとうございます。それでは祭り前日と当日、どちらも十四時から、準備の為に境内にお邪魔します」
夏祭り開始時刻は十七時。出店の数は二十二。年寄りの多い自治会だが、消防団員が前日のテント張りに協力してくれる手筈なので、二日掛ければ何とか屋台を設置できるだろう。
「何、打ち合わせこれで終わり?」
坂本が不満を漏らした。
「わざわざ村長にまで来てもらったのに。これだったら俺一人で書類届けるか、郵送するだけで良かったんじゃね?」
「いやいや坂本くん、祭りの為に多くのお金を預かっているのだから、明細書は責任者の私が直接お渡ししないと」
「あ、実は会長……」
私と坂本の会話に宮司が遠慮がちに割り込んだ。
「実は今日お呼びしたのは、祭りのことだけではなく、別の問題についてもご相談したかったからなのです」
「別の……問題ですか?」
「はい」
宮司は自身の背後に目をやった。
「当神社の、御神体についてです」
それは先ほど宮司が磨いていた、赤胴製の円形の物体だった。
「神鏡です。私の家は室町時代から代々、鏡の守り人として続いてきた一族なのです」
「もしかして、名字の元々の漢字はそちらの字を?」
「はい。昔は姿を映す鏡の方で名乗っていました。明治時代に今の、地域名にもなった加賀見という漢字を当て替えたそうです」
「へぇ~、知らんかったわ。それで修兄ちゃん、神鏡がどうかしたん?」
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