神社の御神体 一
七月も終わりに近付いた暑い日。真っ直ぐ伸びた加賀見町の主要道路を、車体に坂本文具店とペイントされた白いワゴン車が、法定速度プラス五キロで走っていた。
「村長、もう少し先に自販機在りますけど、何か飲み物買ってきましょーか?」
運転席の男に気遣われた助手席の私は、苦笑いを浮かべた。
「飲み物は大丈夫。あと、村長と呼ぶのはそろそろやめてよ」
「あー、スンマセン。去年までここ、村だったから。会長よりも村長の方が、俺らにはしっくりくるんですよね」
そう言って運転席の男は、日焼けした顔に人懐こい笑みを浮かべて、白い歯を私に見せた。脇見運転である。
彼に限らず町民の大半が私を村長呼びしてくる。長年続いた慣習からはなかなか抜け出せないようだ。
「坂本くん、今日の店番は誰かに頼んだのかい?」
運転席の男は
今期自治会の最年少メンバーでありながら、副会長の任に就いている。この数ヶ月間、幾度も私と行動を共にし、的確に補佐してくれた。口調と思考がやや軽いが頼りになる人物だ。加賀見で三代続く文房具屋の店主でもある。
若者の多くが私のように都会に進出していく中、坂本は地元に残って親の店を継いだ孝行息子として、地域の老人達から熱い寵愛を受けている。
「あー、ウチの店は基本、客来ないんで。たま~に来る客には呼び出しベル押してもらってます。そうすると住居スペースから、親父かお袋が出て行くんで」
じゃあキミ、要らない子じゃないか。
「ええと、坂本くんの分担は?」
「隣町の小学校と中学への、学用品の一括納入と注文取りですね。これが収入の大半を占めてます」
良かった。ちゃんと彼の役割も有ったようだ。
「なるほど、隣町の学校か。加賀見小は廃校になっちゃったからねぇ」
市立加賀見小学校は私の母校。私が在学していた当時ですら、一学年十五人程度の小規模校だったが、学校が無くなってしまったのは残念なことだ。同窓生との思い出は今もたくさん胸に残っている。
「そうそう、学校閉まったの、俺が小三終わった時でした。小四から急に、バスに乗って隣町の学校に通うことになったんですよ」
「急な環境の変化に戸惑っただろうね?」
「いや、全然。コミュニケーション能力の高さが俺の長所ですから」
坂本はこちらを見て、筋肉の付いた左手を挙げてガッツポーズを取った。頼むから前を見て運転してくれ。
坂本は完全に油断しているが、車社会の田舎でこんなに暑い日だとしても、歩いている人はちらほら居るものなのである。現に車は数人の歩行者とすれ違った。
その中で目を引かれたのは、色とりどりの花が描かれた浴衣を着た女。顔は見えなかったが、髪型から推測してまだ若いのだろう。少女かもしれない。
「坂本くん、近くで祭りでも有るのかい?」
「へっ? どうして?」
「さっき浴衣を着た女性とすれ違ったからさ」
「そうでした?」
坂本はすぐ傍を通った女を認識していなかった。やはり脇見運転をしていたな。
奴はのほほんと答えた。
「隣町に在る大型スーパーで、イベントでもしてるんじゃないですかね。ほら、浴衣を着て来店した客には何かサービスが付くとか」
「大型スーパーか……。この町にも在れば便利なんだがね」
加賀見に在るのは、個人が経営する小さな商店のみ。コンビニエンスストアすら無い。人口が爆発的に増えない限り、大型店の誘致は不可能だろう。
「そうなんですよねー。ちょっと良い物買おうと思ったら、いちいち隣町まで行かないとですからね。あ、でも、夏祭りの規模はウチの方がデカいですから。隣町の連中も、こぞって遊びに来るんですよ」
「そうだね、今年のお祭りも成功させよう」
「もちろんです!」
語気を強め、坂本はやる気を示した。私も同じ気持ちだった。
無理やり押し付けられた自治会長という役職だが、やるからには全力で取り組むのが私の信条だ。今日の外出も夏祭りの打ち合わせをしに、地域一番の名士である神社の宮司に会う為なのだ。
「今の宮司さんはまだお若いんだよね?」
春から数回、宮司と顔を合わせてきたものの、どうも年齢が測れない相手だった。見た目は三十代だが、彼の落ち着いた立ち居振る舞いは、五十代や六十代の雰囲気を醸し出していた。
「俺の三つ上ですね」
「すると宮司さんは三十四歳か。あの神秘的な袴姿のせいか、もっと上かと思っていたよ」
「村長の歓迎会には、私服を着て参加してましたよ?」
「……覚えてないな」
宴が始まった途端に次から次へと酒を注がれて、私はすぐにまともな思考ができなくなってしまった。そして騙し討ちのように地区会議が始まったのだ。これについては生涯許さん。
「ま、すぐに会えますからね!」
坂本の運転するワゴン車は主要道路から脇道に入った。緩やかな坂道を上がった先が神社の境内だ。
砂利が敷かれた駐車場に車を停めて、私と坂本は神域の玄関である赤い鳥居に向かった。
広大な敷地を誇る神社の名前は加賀見神社。シンボルとなるこの神社が在ったからこそ、地域名が加賀見町になったのだ。歴史は室町時代にまで遡る、由緒正しい神社だと亡くなった父に聞いた記憶が有る。
「あの……」
鳥居をくぐった私達に、年老いた男女が近付いて来た。どちらも骨が皮膚に浮き上がる程に瘦せていた。
「村長さん、こんにちは」
「こんにちは。ええと、
黒縁の眼鏡を掛けた男の方には見覚えが有った。自治会費の集金で赤路邸にお邪魔した際、玄関先で対応してくれた人物だ。
「そうです。家内とは挨拶がまだでしたよね?」
そう確認を取ってから、赤路は自分の後ろに立つ夫人を紹介してきた。
「私の妻の
「えっ!?」
赤路の言葉に私は面食らった。と言うのも、夫人は私より一回りは上に見える風貌をしていたから。
「清美さん……?」
私は急いで少年時代の記憶を手繰り寄せた。全校生徒が少なかったので、学年は違っても児童の名前はたいてい知っていた。
該当者にすぐ行き着いた。
「旧姓、
懐かしい名前を口にして、私は改めて驚いた。増田清美とは本が大好きな物静かな美少女で、幼き日の私は密かに彼女に憧れていたのだ。
「いや、お懐かしい。高校卒業後に他県へ就職されたと聞きましたが、加賀見にお戻りだったんですね」
初恋の君との思いがけない再会を果たし、私は少し浮かれてしまった。しかし清美の反応は、私が期待するものとはだいぶ違っていた。
「……お久し振りね、和彦くん。ところで、和彦くんは何型だったかしら?」
「?」
型とは何のことだろう。朝型夜型、得意な時間帯について聞かれているのか。それとも意表を突いてハマキ型かアダムスキー型、目撃したUFОについての質問だろうか?
唐突な問いにポカンとした私に代わり、横に居た坂本が答えた。
「村長は俺と同じB型ですよ」
B? そうか、型とは血液型のことか。まぁ普通はそうだよな。私は思った以上に浮かれていたようだ。
ただし私の血液型はA型だ。訂正しようと口を開き掛けた私の右手首を、坂本の左手がギュッと握った。彼の熱い体温が伝わって来た。
恋の芽生え?
違う。余計なことを言うなと、坂本の左手はそう告げていた。
異常事態を察した私は浮ついた気分を封じ、口を閉じ、赤路夫婦の対応を坂本に任せた。
「これから昼にかけて更に気温が上がりますよ。赤路さん、奥さんを涼しい家で休ませてあげた方がいいんじゃないですか?」
坂本は夫婦にやんわりと帰宅を勧めた。夫はそれに同調し、優しく妻に声を掛けた。
「そうだね。清美、絵馬は奉納したのだからもう帰ろう」
清美は黒いレースで縁取られたモダンな日傘の陰から、しばらく無表情で私の目をじっと見つめていた。日傘を握る手にも、黒いレースの手袋を填めていた。
「和彦くん、本当にあなたはB型なのかしら?」
何だって彼女は、血液型にそんなに拘るのだろう。
「清美、お忙しい村長さんを長く引き留めてはいけないよ。帰ろう」
「……わかったわ。和彦くん、坂本さん、またね」
赤路夫婦はトボトボと、駐車場の方向へ歩き去った。
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