第104話 禁術

 聖女ハルカの帰還から二日後。ついにジャミルトたちの準備は佳境に達していた。ここまでただ一人として寝ることも、何かを口にすることもなく、取り憑かれたように儀式に向けた準備を進める。


 王都から少し離れた森の中にはぽっかりと何もない平らな地面が完成していて、そこには信者たちの血を使って、まさに魔法陣のようなものが描かれていく真っ最中だった。


「絶対に失敗してはいけない。このリネ様がご降臨してくださるという禁術を、完璧に再現するのだ」

「はい……っ、分かっています」

「あと少し、あと少しでリネ様にお会いできますね」

「ふははははっ、これでリネ様が真に世界の頂点に立たれるのだ」


 それから数時間、ジャミルトたちの前には信者たちの血で描かれた、巨大な魔法陣が完成していた。


 それを満足げに、狂ったような笑みで見つめたジャミルトは、手に持っていたリネ教に代々伝わる書物を改めて読み直した。


 もう何十回、何百回と読んでいる書物の内容は完璧に覚えているが、それでも心を歓喜に振るわせ、もう一度楽しんだ。


 そして皆に告げる。


「では皆、この書物の指示に従い、皆で祈りを捧げよう。そして同時に魔力を流し込むのだ」


 信者たちは示し合わせたように魔法陣の周囲をぐるりと取り囲むと、両膝を突いて手を組み、恍惚とした表情で目を閉じた。


『我らの祖であり、母であり、天地万物を作りたもうた創造主リネよ。我らに慈悲を、その尊きお姿を拝する栄誉を、そして世界に調和を与え給へ』


 数十人が一斉に唱えた祈りは辺り一帯に不気味に響き渡り、ザッと多くの鳥たちが飛び立つ。


 そんな中で信者たちは魔法陣に手を伸ばすと、ジャミルトが合図をした。


「全てはリネ様のご意志のままに!」


 そう叫んだ瞬間、皆が一斉に魔力を流し込む。すると血で描かれた魔法陣は、不気味な赤い光を発し始めた。その光はぐるぐると魔法陣の中で渦を巻き、次第に風も吹き始める。


 その赤い光が次第に膨張していき、目の前の光景を興奮しながら見つめていた信者たちに触れた瞬間。


 触れた部分の肌がドロリと赤黒い血のように溶け、魔法陣へと吸い込まれていった。


「なっ……」


 信じられない光景に数人の信者たちが瞳を見開いたが、もう遅い。赤い光は次々と信者たちを飲み込んでいった。


「どういう、ことだ……? リネ様が、ご降臨されるのでは……」


 最後にそんな言葉を残し、ジャミルトもドロリと魔法陣に取り込まれた。バサッとジャミルトが抱えていた本がその場に落ちる。


 誰一人としていなくなった森の中では、何事もなかったかのように赤い光が渦巻いていて――


 それが中心に向かって収縮していくと、ある一点を超えた瞬間に、ブワッと膨張した。


 そして現れたのは、三階建ての建物に匹敵する大きさである、赤黒い巨大な何かだ。形は歪だが、巨大な人間にも見える。

 太くて短い足があり、長い胴体の高さが違う場所から、手のようなものが二本伸びていた。そして一番上には顔らしきものが存在している。


「ギャャアァオォォォォォォ」


 聞いたこともないような低い雄叫びをあげたその異形は、ドンッッと地響きを鳴らしながら一歩を踏み出した。


 足とは違って無駄に細くて長い手のようなものを振り回し、周囲の森を無差別に破壊していく。


 そんな異形が向かう先は――ラクサリア王国の王都だった。



 ♢



 ラクサリア王国の王都外門で仕事をしていた兵士たちは、聞いたことのない雄叫びを聞き、その直後に地響き、そして何かが暴れるような爆音を聞いた。


 慌てて外壁に登り、森に視線を向けると――


 そこにいたのは、見たこともない赤黒い異形だ。


「な、なんだ、あれ」

「俺は、夢でも見てるんじゃ……」


 兵士たちは現実逃避をしそうになるが、またその異形が腕を振り回したのを見て、ハッと我に返り転がる勢いで外壁を駆け下りる。


「早く王宮に連絡を……!」

「ば、化け物が森に現れたぞ!!」

「すぐに遠距離武器を準備しろ! 弓と投擲武器と、後は石でもなんでもいい!」

「とにかくあいつを足止めしねぇと……っ」


 異形を目の当たりにした兵士たちのあまりの慌てように、実際に目にしていない兵士たちも慌てて動き出した。外壁の上に武器を運ぶ際、森にいる悍ましい異形を見て、全ての兵士がこの異常事態を真に理解する。


 そんな中で最初に異形を確認した数人の兵士は、緊急連絡用の馬を使って王宮に駆け込んでいた。


 兵士のあまりの形相と慌てように、王宮の城壁を管理している門番はすぐに駆け込んできた兵士を中へと通す。そして兵士たちは、王国領の魔物討伐が基礎業務である第一騎士団の詰所へと転がり込んだ。


「た、大変だ……!」


 体を酷使したことで足をもつれさせて詰め所の床に転んだ兵士は、それでも腹に力を入れて声を張る。


「東側の森に、巨大な化け物が現れた!! 腕みたいなやつを一振りすると大木が何本も吹き飛ぶ! そんなやつが王都に向かってきてる……!」


 兵士の必死の叫びは、ちょうど詰所内の休憩室にいたランバートに届いた。慌てて部屋を出て、荒い息を吐きながら立膝でしゃがみ込む兵士に近づく。


「どういうことか詳細を教えてほしい。そこのソファーに座ってくれ」

「わ、分かりました」


 兵士は必死で息を整えると詰所の玄関ホールのような場所にあるソファーに移動し、目の前に腰掛けたランバートに自分が見た光景を全て話した。


 それを聞いたランバートは、険しい表情ですぐに立ち上がる。


「早急な報告感謝する。君はここでしばらく休んでいるといい。すぐに騎士団を動かそう」

「ありがとうございます……っ」


 ランバートは今後の動きや報告するべき場所を取捨選択しつつ、足早に詰所を後にした。

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